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私のカス育児スタンスを開陳します

掲題のテーマについて語ります。この一行目を書き出してる時点で「このテーマについては書いた内容について何言われようが知ったことか」と潔くなれてるのでだいぶ雑になることが予想されます。すごく雑にパッと思いついたことを書き殴りで羅列してぶん投げて終わります。それだけのエントリです。

 

・前提

今小学1年生の息子が一人います。かれこれ7年くらい一緒に生活してることになりますね。7年も同居したことがある相手というのは僕の実の家族と妻以外には彼しかいないので妻も息子も僕もなかなか頑張ってるなと思います。その同居生活の中で大事にしてること思ってることをざーっと書きます。乳幼児の頃のことから最近のことまで特に整理せずに思いついた順に書きます。スタンスの本質は一貫してあんま変わらんので。もちろん年齢によって接し方変えてるとかはいくらでもあるけど、そんな言質とかエクスキューズみたいなん丁寧にやるのめんどくさいんで大体でいきます。ただ書くだけで、参考にしてほしいとか評価されたいとかもないので。唯一エクスキューズがあるとすれば、かなり育てやすいお子さんと思われます。

 

・息子は他人である

俺の遺伝子が半分入ってるんか知らんけど、俺の親や妹や弟がしょせん他人で分かり合えないところは何も分からんことは立証済みなので、息子のことを基本他人だと思ってる。向こうは向こうで勝手に産み落とされて思うところはあるだろうが、こっちとしてもなんか家に妻以外にもう一人おる、くらいの感覚でいる。そりゃ俺の人生の決断でおることになったんだから最低限やるべきことはやるが基本的に他人がなんか家におる感覚でやってる。

 

・他人は完璧にコントロールできないし理想的な育て方なんざできない

本でも教育でも習い事でもなんでも与えたら面白がらねえかなーてもんは可処分所得の範囲内で資本投下できる限りに与えたいが特に期待はしない。親として息子に求める義務やミッションは最低限に留めたい(風呂入れとか歯を磨けとか)。親の顔色をうかがう子どもは誰の顔色もうかがう人間に育ってしまうと思うので、極力ただの同居人でいたい。監督者や教育者でいたくない。なんなら庇護者であることにも気づかれない方がいいとすら思う。

 

・ムカついたらすぐムカつく

不機嫌で他人をコントロールするのは良くないというのは大人同士の上下関係がある中でよく言われることだが、子どもと接する際には子どものようにサクッとムカついて「やめて!」「うるせぇ!」とか言う方がいいんじゃないかと思っている。そして子供のようにカラッとすぐに仲直りするのがいいんじゃないかと思う。まあそもそも本気で怒ってないし溜めずにすぐムカつきの意を表明するだけだし。リアルでもネットでもよく見聞きするやつで、怒っちゃダメだと我慢するんだけど最終的に怒ってしまって自己嫌悪みたいなのあるけど、アレって「ここまで我慢したんだから怒ってもいいよね」みたいな自己正当化のために、自分が気持ちよく怒るために我慢してるんじゃないのと思うことがよくある。そういう怒り方は本気の怒り方になるので、だからこそ尾を引くし怒った後自己嫌悪にもなる。親と子供は、親と子供だからこそ、子供同士のように雑に喧嘩すればいいと思う。親としての威厳を放棄するテクニックはいるが、どんな親もどうせ卑近なしょーもない人間なのでその自覚があればできる、はず。

 

・先輩のパパママの言う事を参考にしない

わかりやすいところでいうと、幼稚園入ったくらいになると少し上の年代の先輩パパママどもが「習い事してないの?水泳いいよ?英語いいよ?」とか言ってくる奴らが湧いてくるけどあいつら全員まともに相手しなくていいです。もちろん全員が全員まともに取り沙汰す必要のないアホだとは言いませんが、そこは会話の中での粒度や解像度で見極めてもらうとして、基本的には自分の教育方針の選択が間違ってないと思い込みたいためにマウント取ってくるアホだと思ってます。教育本とかもn数少ないのに何言ってんのみたいな実体験本か、n数はあるんだろうけどポジショントーク大前提の教育者本しかないんだから、そんなもんに縋るより子供ちゃんと見とけばいいじゃんと思ってる。

なお、筆者はそういう「子供をどう育てるのがいいか(正解か)」みたいな話が飲み会で発生すると「20年後に答え合わせでいいんじゃない?無意味無意味」とぶった斬ります。

 

・成果は努力と過程の積み重ねの結果なのでそこをセットで賞賛する

ここまでで既にだいぶ放ったらかしなカス育児カス父親のイメージがあるかと思いますが、まあそれでいいんですけど、そりゃ相手もします。妻に任せてる部分もめちゃめちゃ多いですが。まず愛情を注いで私は愛されてるんだみたいな自己肯定感を育てることが大事ってのはそれはそうなんですが、世の中に放り出されたら誰もなかなか愛してくれないわけじゃないですか、世知辛い世の中であることは皆さんご存知周知の事実だと思うんですけど。無償の愛を親が頑張って注ぐことは簡単かもしれないけど、子供なんかすぐに親になんでもかんでも報告してくれる時期は終わっていくじゃないですか。だから、自分で自分を鼓舞したり賞賛したりする力を養ってほしいなーと思う。どうせ息子より俺の方が絶対先に死ぬしな。なので僕個人としては「何があっても俺はお前の味方だからねー」とかはあんま興味なくて(妻がそこは担ってくれてるというのもある)、「お前この前までこれできなかったのに今日できたやん、すごいやん」とか「なんで今日はうまくいったん?なんでそうしたん?どう考えてそうなったん?自分で考えてうまくいったんなら、これからもどんどんすごくなるやん」みたいな、そういうことを言って、「親は無償の愛を注ぐ」とかどうでもいいから「自分を自分で褒めて発起させるコツ」みたいなのを外から託せたらいいかなーと思ってる。

 

・フィードバックを子供ではなく自分に求める

前段書いてて思ったんだが、ブログなのでちょっと格好つけて書いてて、そこまで俺ができてるか?というと足りなかった場面が想起されるし、次はもっと俺の理想の父親に近づけたいなーと思う。明日からはもっと上手くやりたいなと思う。「子供が思い通りになって欲しい」を一番クソだと思うし「うちの子供は誰がなんと言おうと世界一!」てスタンスが良い親だとも思わない。ただ俺は、同居人として、隣人として、彼が将来一人で歩き出した時に「意外とあいつから学んだことあったかもな」くらいになれたらそれが何よりだ。だって彼は俺とは関係のない他人なので、彼の歩く道を作ったのは8割9割彼の頑張りに寄るものなのだろうから。そのために今できることは、彼の小学校とか習い事でのアウトプットに一喜一憂するのではなくて、それに対してリアクションする俺の彼に対するアウトプットを見直すくらいしかやることがないよねー。

 

・妻のスタンスは極略尊重しよう

ここまで読んだ方は異常者父母と思うかもしれないが、異常者は僕だけです。妻の方はそんな尖ってない育児をしています。「他人だからなるようにしかならん」が僕の基本スタンスですが、妻は妻で我が子を立派に育てるために色んなことを気にかけるし、危険は遠ざけたいし、自己肯定感は強く持ってほしいし、大事に大事に息子を育てています。まあ、だからこそ、僕がこれくらいの感じでやれてるというのはあります。僕のスタンスは別に「これが最強の育児スタンス」とかではなく、「こういう父親がいても案外子供からすると面白いんじゃねーか、変にあーだこーだ言ってくるよりは」くらいの感じでやってます。答え合わせは20年後でいいじゃないですか。なので、そりゃ哺乳瓶毎回ちゃんと洗うとか(当たり前すぎるけど)そういうのも全然やってはいたっすけどねー。あ、でも図書館の絵本はばっちぃから寝室の布団に持ち込むなって厳命されてて、そこまで気を使う必要ねえだろうと思いつつ「わかったよ」としてた息子5歳くらいの頃に息子がどうしても寝る前に図書館のあの本を寝る前に布団で読みたいってゴネ始めて「じゃあ仕方ないから読もうかー」て妻が言った時は「ちょっと待って、そこで匙加減で許容するのであれば俺に厳命するのやめてくれへん?守るべきルールなのか、匙加減で破っていいルールなのかどっちかにしてくれへん?」みたいな喧嘩はしました。僕と妻も夫婦であれど他人なので意見が分かれることはあるし喧嘩もする、そういうのも含めて息子には一人で歩きながら友達とかパートナーとか仲間とかを作れる人間になっていってほしいので、特にこれが変なエピソードとも思わない。

 

・改めて、息子は俺ではない他人である

彼は我々夫婦の一存によってこの世に生まれ落ちた存在であり、そこから発生する我々の責務は重々承知している。しかし一方で彼は、私でも妻でもなく、私のやり直しでも妻のやり直しでもなく、私のつよくてニューゲームでもなく妻のつよくてニューゲームでもない。彼にはまっさらに生まれたところから彼なりの人生を好き勝手歩んでほしいし、それをできるだけ邪魔することなく、今際の際まで見守りたい。俺が死んだあとは知らん。

 

・唯一の親としての欲があるならば

「親がどういう人間だったんかわからん」という話を人と話しててたまに聞く。「釣りが趣味だったのは知ってるけど〜」くらいから始まる、結局何を考えてて子供のこと好きだったかどうだったのかはイマイチわからんな〜みたいな話。ああはなりたくない、というと悪い言い方に聞こえるかもしれないが、そうじゃない別れ方をしたいなと思う。わかりやすくいたいなと思う。「たぶんあいつこんなこと考えてたんだろうね、わっはっは」と葬式で言われたら花丸だなと思う。目指すのは花丸じゃなくて、誰だって他人で誰とだって分かり合える余地があって、分かり合えないかもしれなくて、でもまあなんだかんだ話せる、ただの同居人、ただの隣人、ただの他人、ただの家族で、こつこつと共有することもなく赤丸を集めて、なんとなく一緒にいても苦しくない関係性を続けられれば、それで十分だと思う。けれど、花丸の形は見えている。

 

・ガラスコップ気をつけよう

4歳くらいの時に親だけガラスコップで自分だけプラスチックコップであることに息子が癇癪を起こしたので「まー大丈夫やろ」思ってガラスコップに水を入れて渡したら、息子ガラスコップ噛み砕きやがって、口の中がガラス破片でいっぱいで「お前何やってんだ!吐き出せ!吐き出せ!顎動かすな!絶対動かすな!」つって、顛末としては無傷で済んだが、いいかげんなカス育児で唯一肝を冷やしたのはアレが最初で最後だったかもしれない。いや最後であってくれ。もういらん。ガラスコップにはみなさん気をつけて。

 

以上です。