そういうわけでいろんな権力が弱者を殴りつけてるのが露見したり時たま殴り返されてるショーが披露されたりしてるあいだに2018年も終わりということで、去年育児を始めたということは僕は今年も育児をしていました。去年はやってたのに今年はやらずに切り上げていたならそれはそれで一大事です。もっというとただの刑事事件です。
そんな感じで、今年、息子関連で書いたエントリの一覧です。育児コンテンツを獲得したら全然おもんないやつでもガンガンPVが獲得できてブログが書籍化されたり雑誌でコラムが持てたりすると巷で噂だったのでそろそろ風俗行こうかなの西村賢太の顔でワクワクで過ごしていたのですが恙無く一年が過ぎていこうとしていて僕の憤りは留まるところを知りません。来年は、息子にとにかく辛いものや臭いものを食わせるYouTuberとして一旗上げたいと思います。息子にキビヤックを食わせるためにアザラシを地中深くに埋める雪原を貸してくれる有志を募集します。布に引っ掛けた石をぶん回し投げて海鳥を撃墜するバディも募集します。
「子供を持ったことになにかを思う」という営為自体が、「子供を持てばわかるよ」と子供を望む結婚をしてからしばらく無配慮に言われ続けた自分にはどうにも耐え難く気に食わないのですが(そうして言われた言葉の大半には「子供持ったけどやっぱわからんわ!!それ、子供持ってるやつの普遍的な意見ではなく、てめえの個人的なやつだろ、ぶっ殺すぞ!!てめえの個人的な感情を、こっちが子供いなかったのをいいことにマウント取って正当化してんじゃねえぞ、ぶっ殺すぞ。子供を自分の人生の正当化に使うやつ全員死ね!お前ら全員気持ち悪いんじゃ!!バッジみたいに子供扱って、本当に卑しい人間じゃの、子供を持った今あらためてお前らから学ぶことは一つもないわ、せいぜい身内にまでまんべんなくフマキラーみたいに隅々にまで行き届いて嫌われて死ね!!あと、身近にいるそういう人間にダメージ食らってるやつら、気にすることねえからな、俺が先んじて子供作ってみて確認してみたけど、こいつらまじでただのクソだわ。ダメージ食らうな、馬鹿にしてぶっ殺せ」と思う)、かっこが思ったよりびっくりするくらい長かったですけど、思ったのは、育児って未来みたいなベクトル、子供のことを思ってそういうポジティブなベクトルを原動力にやっていくものなのかな、だとしたら俺みたいに後ろ向きな人間には向いてない営みなのかなぁと思ってたんですけど。
実際のところ、子供の成長を見守るというのは、追憶にも似たものであるということがわかってきました。息子を見ていると、彼の未来を想像するよりも前に「俺にもこんな時があったのだな」ということを考えます。子供を可能性の塊と考えるよりも前に、「可能性の成れの果て」に過ぎない自分のかつての姿のように感じることの方が僕には多いです。別に、息子が俺のように何者にもなれない存在としか思えないってほどではないですけど、やっぱりそんなに無邪気に可能性の塊とは思えないって感覚が、彼を見ていると僕の中にはすごいあります。それは別に彼に身の程を知れと言いたいわけではなく、彼が無邪気なぶん、俺がそう身構えておかなくてはなぁ、という感覚なのかもしれない。
以下のまとめには息子にあてたポエムがたくさんあるんですが、要約すると「お前、今は無邪気に楽しそうだけど、もう少し経てば、楽しいことばかりじゃないのはすぐにわかってくるんだからな」という内容ばかりで笑えます。それがどうも僕の本質らしいです。なので、まぁーあんまり父親にはならないんだろうなぁと日本語もろくにわからない息子と相対していてよくよく思います。
まぁ、でも良い人生に良い父親なんて必須じゃないのは、僕も親を持つ身としてよくよく知っているし、僕は彼がなにか思い悩んだとき、自分が正しいのか自分に疑問を持ったとき、あるいはシンプルに間違った時、でかい視野で見ればほとんど俺がだいぶ前にぶち当たったのと同じ壁に出くわした時、あの時僕が欲しかったけどもらえなかった言葉とか、必要だったけどやんわりと取り下げられた言葉とか、そういうものを言ってやれるようになりたいなーとかは思いつつ。
まぁ、所詮一親等程度の他人だからあんま知らんけど。嫁さんは、僕自身が他人なのに一緒になるんだってわざわざ選んだ人だけど、子供はたまたま生まれてきたたまたま血がつながってる別に選んだでもない他人にすぎないので、絡み方がよくわかりません。彼が言語コミュニケーションを迫ってくる前にもう少し考えたいなと思います。
そんな感じで、以下まとめです。
以上です。