←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

【読み物】ズイショ版『山月記』

遠藤三平31歳、専門学校を卒業したあと非正規雇用自動車整備士に。24歳の時に合コンで知り合った彼女とデキ婚、一人娘を授かるも半分は夢を追っているつもりでしかし実態として半分はただの趣味に過ぎなかったバンド活動に終止符を打つことはそれでもなかなかできなかった、そしてなかなか家に帰らない旦那を尻目にワンオペで娘を育てるしかなかった嫁は三平を怨むしかなかったし娘こそを1番に考えるしかなかった。スタジオに入って練習をして小さなライブハウスに立って平日土日を問わず家を空けることに躊躇いがない三平であったがそれから2年が経ち3年が経ち三平同様の生ぬるい覚悟でダラダラとバンド活動を続けていたにすぎないメンバーたちも一人仕事が面白くなってきてまた一人は結婚を意識して、三平にとっては非常に不思議なほどに彼らの生活におけるバンド活動の重要性はその立場を失いまるで最初から半分の夢と野望の部分はなかったかのように活動は縮小していったし、そうしてやがて学祭でやったホワイトベリーの夏祭りと六甲おろしGLAYのウインターアゲインのコピーから始まったバンド「ホワイトタイガー」は結成7年目にして空中分解した。ほかのメンバーは新たな目標に向かって歩き出したが、ほかのメンバーより一足先に本来戻るべき場所向き合うべき場所を作っておきながらバンド活動にうつつを抜かし続けていた遠藤三平はすっかり家庭から居場所を失っており途方に暮れるより仕方がなかった。更に運の悪いことにこの頃三平は勤務中に思わぬ事故で足の靭帯をやってもーた。復職できるようになるまでの1ヶ月半ほどの治療期間、三平もその妻も互いに一層の孤独を深めた。労災も降りるし、手当も出たし、そんなに生活が困窮することはなかったけれど、この思わぬ事態が二人の夫婦仲を好転させる機会には残念ながら残念ながらどうにもならなかったのだ。だってそうさ、妻からすれば、この自分の夫であるちゃらんぽらんな生き物がこれから何に頑張りたいのか家族のために頑張ってくれるのかそもそも何かに頑張りたくて自分たちを蔑ろにしていたのか何もかもがてんでわからない、わからないものを頑張れ頑張れと支え応援することなどできやしない。三平も三平でここで自分を支えてくれない妻に怒るなり泣くなりする身勝手さがあれば、人間なんてのは案外単純な生き物でなんとか良い方に転んでいた可能性もなきにしもあらずだったはずだが、自分の進むべき道を見つけてその道のド真ん中を歩こうと去ってゆくほかのバンドメンバーを見ていると自分にそんな身勝手を言う権利があるようにはどうにも思えず我慢してしまった。それでも自由の効かない夫を支える役目は妻が苦々しく請け負うより仕方がなく、三平は三平で針のむしろで暖をとるより仕方がない有様で、この頃にはすっかり物心がついた娘も母の言うまま垂れ流すままを学習してすっかり父を疎ましく毛嫌いするようになっていて、三平の人生はあかん方の確変にフィーバーしていたのであった。復職後間もなく、少し動けば熱を持って痛む足を引きずりながら三平は自動車整備士の仕事を退職した。

それから三平は座り仕事を探して投資マンションのテレマーケティングの職についた。日夜何万行あるのかもわからない知りたくもないCSVデータにある電話番号に片っ端からセールスの電話をかけて一日何十回何百回のガチャ切りや罵詈雑言を乗り越え5人とか10人からアポイントを取り付ける。実際に彼らと対面するのはまた別の営業スタッフらしいのでアポを取り付けた彼らがその後どうなっているのか良い買い物をしているのか悪い買い物をしているのか三平は何も知らない。三平の仕事は実際の電話営業にのみ留まるはずはもちろんなく、その日営業をかけた顧客を今後の見込み度順に振り分け、またそうして過去に振り分けた顧客リストと睨めっこしてまた電話営業をかけるべき条件に引っかかっている顧客をピックアップしてまた明日の営業に備える。これらの作業をすべてエクセルベースで行なっている。ちなみにこのくだりは一から十まですべて想像で書いているので実際どういう風に現場が回っているのか知っている人がいたらこっそりでいいので教えてください、単純に興味があるので。だから三平はいつも帰りが遅く、そしてそれがまた三平には心地良くもあった。家に帰っても居場所などどうせありはしない。妻と娘が寝静まった頃にこっそりと家に戻り、二人が眠る寝室のドアを一度も開けることなくリビングのこたつ机をベランダ際に立てかけ布団を敷いて潜り込む、それが三平にとっての我が家であった。

遠藤三平、31歳。三平は会社を早く上がれた日、上がるより仕方がなかった日、自宅の最寄り駅から二つ手前で電車を降りる。改札を出るとそのすぐ向かいにはこじんまりとしたファミリーマートがあって、その時間にいつもシフトに入っている鼻の下のほくろと乳のでかい中国人の女性店員のレジでストロングゼロの500mlを三平は買う。そして店を後にするとプシュッとプルタブを開けて、沿線と平行に流れる用水路沿いを家路まで足を庇い引きずりながらストロングゼロを飲み飲み歩くのだ。その日もそんな風に娘を寝かしつける妻の乾ききっていない黒髪が枕を濡らしていくのを想像しながら期間限定のキウイ味ストロングゼロを飲み飲み歩いていた三平であったが、その日はいつもにましてやるせなかったようで六甲おろしを調子っぱずれに歌いながら歩くかつてはベース担当の三平であった。そんな折、すぐ横のガードレールのその向こう、用水路の下から声がする。

「その歌声は、その歌声はエンサンではないか」

聞き覚えのあるその声に三平はガバッとガードレールから身を乗り出した。

そうして覗き込んだ用水路にあったのは、なんかちっちぇ小枝が不自然に固まってる感じの、なんかドアの開け閉めで空気が流れるからびっくりするくらいここんところに埃溜まるじゃん?くらいのアレの勢いで小枝がビッシーみたいな、そういうやつが用水路の片隅にデデンと吹きだまっていたのである。

「あれ、エンサン?まじじゃん?まじのやつじゃんかこれ」

月明かりに照らされゆらゆらと油っこく揺らめき輝く用水路を覗き込むばかりの三平には知る由はなかったが、三平のド頭の上にはドでかい満月が輝いていた。と、その刹那、三平の顔のすぐ横を当たったら危ない刺さるところがついてる金属が通り過ぎた。三平の顔のすぐ横を通り過ぎたあのブラックバスがよく飲み込むやつじゃん的な何かはガードレールに引っかかり、それは深淵の用水路の方へと続くロープとつながっていたので三平の中でそれは「ブラックバスがよく飲み込むやつじゃん」から「忍者のじゃん」へと変化した。

「忍者のじゃん」

三平が言うと埃が溜まるところみたいな枝木の密集地帯から何かがガバガバっと腕の力で登ってきて、三平は「腕あるじゃん」と思った。忍者のやつを頼りに用水路を抑え込むコンクリの傾斜を駆け上がり、今こうしてガードレールの上に器用に直立する満月をバックに変態仮面みたいに自信満々のシルエットを晒した身の丈60cmほどの何かは、もう一度言うのであった。

「エンサンじゃん」

三平もそれに応える。

「利長か?トッシーなのか?トッシーの声だけど、お前、ビーバーじゃん!!」

 

高校時代、三平と同じクラスだった利長(としなが)、全国に100人もいない苗字だといつも自慢していたが、他に何も誇るところのない男であった。運動ができなければ勉強もできず、性格もお世辞にも良いとは言えない男だった。あだ名はトッシーで、せっかく珍しい苗字なのにありきたりなあだ名はやめてくれといつも不満そうであったが、彼個人はどう考えても凡百のトッシー、そんな男であった。そのうえ、大言壮語と嘘八百には定評があり、クラスの二軍以下の男子の中には彼のことを本当にモテモテでなぜならセックスがうまいからだと本気で思っていた奴らが気の毒なことに一定数いた。そしてそんなトッシーは高校の卒業文集に「相田みつをみたいな大した言葉売りにおれはなるんだなぁ」と書き残し、それきり地元で彼のことを見たことはいなかった。

 

「いや、エンサンよー、俺、色々あってビーバーになっちまったよ」

「なん年ぶりだよお前、10年以上ぶりになるけどお前いったい今までどうしてたんだよ」

「色々あったんだよ俺も、わかるだろ色々あったんだよ、俺も。それで色々あってビーバー?になっちゃったのよおれ」

「予備校にいる大学生のチャーターのアクセントでビーバーとか言うなよトッシー、ビーバーの正しいアクセントは、TVerUberじゃないのかトッシー」

「いや、俺もさ、色々あったんだけど、なかなか受け入れられねえよこんなこと。だから俺が俺のことをビーバーって呼ぶ時は、TVerでもUberでもなく、チャーターのアクセントのビーバー?だよ、そうじゃなきゃやってられないよお前」

三平からすると、この時点でトッシーの10年以上の歳月の何もなさが感じ取れて本当にやるせない気持ちになった。

「いや、本当に色々あったんだよ、10年ぶりの再会は俺も嬉しいんだけどさ、全部を語るわけにはいかないわけよ」

「そうだよな、俺も色々あったから、わかるよ」

「あの頃とはなにもかもが変わっちまったよな。DMMもFANZAになったしな」

三平は特にトッシーとは仲が良くなかった。というか、トッシーと本当に仲が良いやつなんてクラスに誰もいなかった。トッシーがあまりに馴れ馴れしいから誰もがトッシーにはトッシーのテンションに合わせて会話に付き合っていただけで、トッシーとの思い出があるやつなんていないはずだと三平は走馬灯のようにクラスメイトの顔ぶれを思い出して確認し、今少しビーバーになったトッシーと話せて嬉しいと思っている自分に嫌気がさした。

「そういえばトッシーさ、言葉売りになるって言って、ここを離れたじゃない?その後、言葉は売れたの?」

「なかなかなかなかね〜」

「あと言葉売りって何?」

「それに答えるのもなかなかね〜」

ビーバーというルックスのかわいさを持ってしても、三平はこいつとの会話について「あ、もうだるいな」と思い始めてトッシーはビーバーになってもあの頃のトッシーのまんまだ。

「結局、人が欲しいものじゃないと、売れないんよな、それはよくわかった。沖縄まで行ってわかったわ、一つのゴールだったかな沖縄は」

腕を組んでビーバーは言うが、三平は絶対沖縄の話を掘り下げてやるもんかと思った。沖縄まで本当に行ったのかどうかも信じていなかった。

「なんでトッシーはビーバーになったの?」

「気付いてたらなってたね、でもこれも必要な過程だと思うから、いつかビーバーになったことがあって良かったって思える日が来ると思うんだよね」

三平は本当にビーバーになるきっかけが本人の中になかったらしいことと、未だに人間にそのうち戻れる前提でいるビーバーのことを怖いなと思った。

「でもやっぱ帰れる場所が欲しかったんじゃないかな、見てくれよ、アレ」

ビーバーは用水路の方を覗き込むと小枝のがっちゃんがっちゃんしたそれを得意げに指差した。

「そうか、帰る場所がやっとできたんだな」

三平はその時は少しだけ涙が出そうになった。

「いや、帰る場所はずっとあったけどね、それぞれ」

三平の涙は直ちに引っ込んだ。

 

「そしたら俺もさ、そろそろ家だから、最後にかつて言葉売りの人間だったお前からさ、俺に何か一つ、言葉をくれないか?」

「ビバビバビーバー」

「ありがとう、もう一度聞かせてくれるか?」

「ビバビバビーバー」

三平は少し悲しそうに目を閉じると深く頷き、かつてのいけすかないクラスメイトであったいけすかないビーバーとツーショットで写メを撮って別れた。

三平は、帰ったらツイッター捨て垢を作って自分の顔だけスタンプで隠してあの用水路に喋るビーバーがいるって画像付きでツイートしようと思った。

三平にとってトッシーはあの頃のまんまのトッシーで、たとえビーバーになったとしても話してて楽しいのは5分が限界だった。だけど、あいつは元人間の喋れるビーバーだ。トッシーのことを知らない奴らからしたらきっと面白い存在であるはずだ。トッシーだって、それくらいの人気者になってもいいんじゃないかなと思うんだ。

三平は思う。俺はトッシーにはなれない。ビーバーになんかなれない。それは仕方のないことだと思う。トッシーにも、ビーバーにも俺はなれない。だから、俺は、自分にできることだけをやろうと思う。何ができるかはわからないけれど、トッシーに会う前の俺よりは、俺にできることはまだまだたくさんあるような気がしている。俺は今のこの気持ちを失いたくないから、ビーバーのお前を拡散する。それでお前が一時でも人気者になったなら、そのあいだの期間くらいは俺も頑張れそうな気がする。その期間は、そんなに長くは続かないのもわかってるから、その間に俺は俺をなんとかするよ。

山月記に習えばお前が言うパターンもあるかなと思ったけど、トッシーに限ってそんなことはなかったな。だから、俺が言う。俺は、俺の妻と子を大事にしよう。ビーバーになることに、ビーバーになることの不可逆性を疑いもしなくなってしまうことに比べれば、俺はまだまだやり直せる。

ありがとうトッシー、ビーバーになる前のお前はずっと、出っ歯というより全然シャクレていた。