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ネットの向こうの人の性別が分からないとか、顔で人を判断するとか

この話が面白かったので、これを読んでいる時に考えていた全然関係ない話を複数します。

いきなりマジで本当に全然関係ない話から入るんですけど、世の中に数多溢れる格言というのはどれも「ある意味では正しい」「そういう側面もままある」ってくらいのもんだと思ってまして、一律にこれは良い格言これが悪い格言とみんなで決めていくようなものではなく、ミニ四駆のように自分に合った格言をカスタマイズしていってヘアピンカーブをよりジャキッと曲がれるスタビライザーのように自分に最適な格言を抱きしめるべきだと思うんですね。他の人がどんな格言を抱きしめていようとそれをいちいち否定する必要などなく、自分は自分の格言を抱きしめて最終コーナーでぶっちぎればそれで良いわけです。このミニ四駆のパーツのように纏う格言には「そうだと思う格言」のほかに「そうだとは思わない格言」という枠もいくつかあり、その総合で全自動お喋り人生頑張りシャカリキマシーンこと俺の性能は決定し気候や気分の影響を受けながら日々爆走兄弟レッツ&ゴーしているわけなんですが、この僕の中での「そうだとは思わない格言」の一つに数えられるのが「人は見かけじゃ判断できない」なんですよね。いや、だいたい見かけで分かるでしょ、マジで。

人を見かけで判断するのは良くないよってことはみんなその方が都合が良いのか知らないけど結構言うわけですけど、僕は「そうか?」と思うところがあって、僕の見かけで判断能力も誰かの見かけで判断能力もなかなか捨てたもんじゃないだろと思うんですけど、きっとなかなか捨てたもんじゃないくらいに留めてくのが難しいからそういう「良くないよ」みたいな極端な言い方になるのかなとも思うんですけど。たぶん正確には、「人を見かけで断定するのは良くないよ」って話なのではないかなと思うんですね。一度断定してしまうとその後、認識を改めて修正するのがすげえ難しくなるんで、じゃあもう見かけは最初っから参考にしない方向でいきましょうっていう、そういう意味だと思うんですよあの格言。でもな~、その言い方もな~、明らかに性格悪そうな人の話も懇切丁寧に聞きましょうって受け取る人がいるとそれはヤダなと思うし、そんな懇切丁寧に聞くほどではないでしょ。明らかに性格悪そうな人の話に聴く耳持たないってのもアレだけど、聞くにしたってとりあえず半身で聞きましょうくらいがちょうどいいんじゃないのと思うんですけど、これをキャッチーなコピーでさくっと言うのってすごい難しいですよね。あと、今書いてて気付いたんですけどこの格言って「見かけで人を信用しないのはやめましょう」だけじゃなくて「見かけで人を信用するのはやめましょう」みたいな意味合いも含みますよね。根が疑り深いのでこの可能性をてんで忘れこけてましたけども。アンジャッシュ児島みたいな明らかに性格悪そうな顔で邦画にちょくちょく呼ばれて顔を出す人だけでなく、小池徹平みたいな顔で性格悪い人も世の中にはいるんだから、小池徹平を見かけてもアンジャッシュ児島みたいな性格だと思って相手したほうがいいですよ、っていう意味合いも多分に含みますよね。まぁ、この例えは小池徹平君が完全に流れ弾で蜂の巣にされていますけれども、どちらのパターンにせよ僕が何を言いたいのかというと、「既に見えている情報からアタリをつけることを一切しないで、実際のコミュニケーションから全てを判断しようとするのはちょっと無理がある。逆もまた然り。両方をうまく考慮しましょう。」っていうことですね。

僕はネットの人と触れる時っていうのは、まあアタリをつけますよね。この人はたぶん性別はこっちで、年齢はこれくらいで、こういう性格の人なのかしらんというアタリを一応はつけて二言三言の談笑を真顔で執り行うわけですけど、でもまぁそれはアタリをつけてるだけで実際の二言三言にそれが出るかというとよっぽどの確信がない限り出さないですよね。逆にそういうアタリを信じて断定するような言い方をする時っていうのは、それ以上に「もし間違っていてもそんなに怒りはしなさそうだよな」というアタリがついている時に限ります。そして例えばネットの話で言うと、これそのうち好い加減変わってくれるんだろうなと最近心配しているんですけど、僕は15歳くらいからネットで遊んでいて初対面の人と何らか会話を行う際、ヒントがあればそれでアタリをつけていくわけですけどそのヒントが限りなくゼロに近づけば近づくほど、「この人は僕と同じ性別・同じ年齢なのかな」というアタリで想定するようになっていきます。これには合理性もないし、信憑性もないし、現に全く外れますし僕自身全くアテにしていません。けど、僕の中ではそうなっています。15歳のときにまったくよくわからん人と出くわせば「こいつも15歳かな?」と思ってましたし、アラサーの今になっても全くノーヒントだったら「こいつもアラサーかな?」と思ってますし、それで実際のところ中学生だったりします。けど、別にそうやって相手の属性が分からないからって改まって年齢を聞くでもなし、性別を聞くでもなし、内心そうなのかなと俺が思ってるだけなので大して支障はなかったりするわけですよね。ノーヒントだから俺が相手のことを俺と同い年の男性かなと思うのは勝手ですけど、その判断を信用しきって「中学の時、モーニング娘。の誰を想像してオナニーしてた?」とか質問したらヤバいじゃないですか。相手が実のところ言うまでもなく平成生まれの女子高生の可能性とかあるわけじゃないですか。ぐんたいガニかな?って勢いでドン引きを何重にも重ね掛けされる可能性があるわけじゃないですか。ぐんたいガニもちょっとわかんないわってドン引きされる可能性ありますけどね、相手が女子高生だと。あと、相手が普通にアラサーの男性でもモーニング娘。をオカズにしたオナニーの話しをしたらドン引きされる可能性ありますけどね。

だから、結局僕が何でこの話を始めたのかというと、相手に「お前はこうだよね?」という押し付けが直接ないのであれば、相手のことをどう思おうとそれは自由なんじゃないのって話ですよね。「勝てば官軍」という言葉があるわけですけど、人と人とのコミュニケーションほどこの言葉が相応しい界隈というのも無いよなっていう事実に僕はホトホト眩暈がするんですけど、だって穴に棒を入れる行為ひとつをとってもお互いに了解のうえであれば愛の証で、了解がなければ犯罪なわけでしょ?かと言って了解が無いときは自動でATフィールドが発生して事に及ぶのを防いでくれるとかそういうのは一切ないわけでしょ? それは双方にとってなかなか大変なことです。うまくいけばそれでいいし、うまくいかなければ角が立つ。まさしく結果が全て、「勝てば官軍」としか言い様のない春爛漫の晴れ晴れとした地獄のサマアイの下、目と目が合って呼吸が止まる僕と貴方です。

僕は貴方が僕の想像通りの貴方だったのか恐る恐る貴方に尋ねる。僕の想像する貴方を決して悟られないように。貴方もまた、僕と貴方の想像する僕との距離を、恐る恐る測る。そんなことを気が遠くなるほどの時間繰り返して、やっと捕まえたあおのままの貴方と、やっと捕まえられたそのままの僕とが、寿司に寿司をばぶつけ合う。そんな景色を僕は美しいと思うものだから、僕は貴方がどういう人なのかを思い違うことにあまり抵抗がないのだけれど、まぁ「勝てば官軍」の世界なものだので、ここまでした僕のそんな考え方こんな話がアテになるのかどうかというのも、出会ってみないことにはわからないのだろうなと思う。以上です。