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こんな便利な時代なのになかなか無料にならないもの

twitterで仲良くしている人(と書いてみたものの僕が好ましく思っているだけで相手が僕のことをどう思っているのかはよく考えたら知らなかった)が、「twitterでなんとなく想った事を想ったからつぶやいただけなのに、それを正しいとか間違ってるとか言われるのはなんだかなぁ」というようなことを言っていて、確かになぁと思った。

糞リプなんかは典型的なそれだろうし、最近の僕の場合リプはよっぽど話せる相手じゃないとしなくて、公式RTをしてその後に私見をあーだこーだ言う。この時の僕は、その何か言った相手にどうして欲しいとか本当に一つもなくて、僕が何かを喋るための呼び水としか思ってなくて、僕の考え方の輪郭をよりハッキリとさせて人にうまく喋れるようにするためにはそういう僕が自分の口からは言わないだろう他の人の言い回しが必要になってくるので、借用させてもらってる。伝えたいことがあって、そのために貴方の言葉を引き合いにしているが、伝えたい相手は貴方じゃない。という感じなのだが、それは僕が勝手にそう思っているわけなので人によってはそれだってものすごく煩わしいのだろう。いつもすまんね。

と考えていて気付いたのだけれど、こんなに便利で今までは有料だった情報がなんでもかんでも無料で手に入るインターネットだけれども「うんうんそうだねぇ」と同調してまずは感情に寄り添うことを第一に優先してくれるサービスだけは無料にならないんだなということに気付いた。そういうサービス自体は有料なら昔からたくさんある。スナックもそうだし、カウンセラーとかもそうなのかな?占い師とかもそうだろう。そういえば占い師と有料でテレビ電話できるインターネットサービスなんかはけっこう繁盛してるらしい。まぁよくわからんけど、たぶん他にもとてもたくさんある。つまりそれは昔から現在に至るまですごく需要があるはずなのだが、いつまで経っても無料サービスとしては登場しない。あったら教えて。はてな発言小町yahoo知恵袋?これはふざけて言ってますけど、マジメに考えるとアンサーとかはどうなんだろ。もしかすると無料でそれが成立してるのかな。どうかな。

というような話に対して「そりゃそうだろ」というのは簡単だが、そりゃそうにゃのだが、であるならば、と考えることがたくさんあるように僕は思われた。例えば、僕と親しい隣人、別に「うんうんそうだねぇ」だけを求めて交流しているわけではないけれどある程度気を良くして話せる隣人たち、僕は彼らにお金以外の何かをきっと支払っているはずだ。そうでなければ「うんうんそうだねぇ」と僕の話をタダで聞いてくれているはずがない。何を払っているのか自覚はないが、僕がその何かを払えなくなった時、きっと彼らは「うんうんそうだねぇ」とは言わなくなるのだろう。逆に言えば「うんうんそうだねぇ」と僕に言ってくれる奴らは僕から何かしらを掠め取っていってるのかもしれない。まぁそれはご自由に。と考え始めると、そもそも僕らが無料だと思って使っているものというのも別に何も支払ってないってわけじゃあない。きっと何かを支払って、それに無自覚なのでタダだと勘違いしてるだけなのだ。

これは別に個人情報とかビッグデータとかそういう話じゃないんですよ。

そういえば僕はいつも何かを欲しがっている。何かを欲した結果として、人と接している。その結果、少しだけ満たされている。ということはやっぱり私と出会う誰かも同じようにきっと何かを欲していて、その結果として私と出会い、だからやっぱり私は何かを差し出している。最短距離で「うんうんそうだねぇ」を手に入れようと思ったらそこにはどうにも切実にお金が必要なようで、それがイヤならあの手この手の工夫を施して色んなものを差し出して身を削って「うんうんそうだねぇ」と言ってくれる相手を見つけなくちゃならない。この見つけなくちゃは作らなくちゃと言い換えても別に乱暴じゃない。「うんうんそうだねぇ」をもらうのはもしかすると結構大変なことなのかもしれない。

ということを考えていたのでたまたま道を歩いてたら見かけたバス待ってるおばあちゃんにこのような話をしたらすごい怪訝そうな顔で「わからん」と言われました。けっこう「うんうんそうだねぇ」って言いそうな顔のおばあちゃんだったんだけどなあ。以上です。