←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

息子が東京でヒーローに出会った

先日、初めて妻と8歳の息子と共に東京観光に赴いた。

私自身は仕事柄で定期的に東京出張に出向いてはいるが観光目的で東京に足を運ぶのは高校の修学旅行以来だろうか。ましてや私が親で自らが作った家族と共にというのは今回が初めてだった。

主な目的は知る人ぞ知るディズニーの英語教材の卒業式に出席するためだ。1歳だかの時に購入して足掛け7年、小学2年生の息子は英検3級に合格した。そして教材のテストプログラムもすべてクリアして晴れてホテルミラコスタで行われる卒業式の参加資格を得たので東京に行こうとなったわけだ。ホテルミラコスタという単語自体、俺の辞書にもナポレオンズの辞書にも載ってないんだがなんかすごいとこらしいね。まぁ行ってみたらすごかったけど。あ、ナポレオンじゃなくてナポレオンズの辞書だから。あの首まわし芸の。ミッキーマウスとかの花形がいるところにナポレオンズの芸はいらないから、たぶんナポレオンズの辞書にホテルミラコスタはきっとない。

つまり、まずある事実としてはこうだ。

8歳の息子は既に俺より英語ができる。そして妻も俺より英語ができる。

あの手の英語教材は親の伴走が必須であることは明確で、俺は購入前に妻に強く確認した。「俺は伴走しない。全部あなたがやるなら買ってもいい。あなたがやらせたがってるから。俺は英語苦手だし、大学受験もハックで突破しただけで今は全く英語喋れないし聞き取れない、そして今後AIがますます発展して語学力なんか大したスキルにはならないと思っている。が、それでもやりたいというならやってもいいなら、買う。ただ、これが無駄な買い物に終わったときは、今後の息子の習い事にどう課金するか俺はかなり慎重になる」と。家長らしい偉そうな物言いであるが、間違ったことは言ってないと思う。何より高校生の全国模試の国語全国1位偏差値79を取ったことがあるので何も勉強しなくても満点余裕で取れる科目がひとつよりふたつの方が将来受験のときとか有利なのかなくらいしか考えてなかった。あとたぶんあの時の全国もし、テスト作ったなんらかの先生怒られたと思う。国語で偏差値79が出るのは絶対問題の難易度設定をミスってる。

そして、果たして二人はやり遂げた。家では常に英語が流れてる毎日で俺は気が狂いそうだったが、それでも二人は英語を日常のそばに常に起き、今日の英検3級持ってる小学二年生になり仰せたので。子の伴走を忙しいなかこなす妻は賞賛するに値するばかりで、お陰で息子が4歳からピアノ教室に通い始めることを止める権利を私は失った。端的に言うと賭けに負けた。そして、その後「やっぱ安いキーボードだと鍵盤の重みがないから」40万円近くする電子ピアノを後に購入することとなる。践んだり蹴ったりとはまさにことだ。

それで、ホテルミラスコスタで開催されたディズニーなんたらの卒業式であるが、それはもうとんでもない一体感であった。なんでも「買ったはいいものの置物になるだけ」が当たり前の先述したとおり親の伴走が必須の商品であるため、この卒業式に辿り着けるのは全体の10%未満、だいたい想像通りの数字である。その狭き門を突破した奴らの卒業式である。一体感が半端ない。まず日本語が一切ない。「この卒業式に到達できる程度には英語できるんだろ?じゃあわかるだろ?」のテンションで外国人の先生が熱弁してる。卒業に辿り着いた子どもは当然英語のスピーチを聞き取れて理解しているのだろう。子どもと常に伴走してきた親も同じ程度の英語力は最低限身につけてるだろうのでうんうんと耳をかけている。

俺は英語全然わからないからだいたいで想像するしかないよね。断片は聞き取れる、しかし断片以外は聞き取れない。たぶん「お前達よくやった。お前達はやり遂げた。そんなおまえたちは日本に留まらず世界で活躍できる。お前らは世界中の架け橋になれる」みたいなことを行ってたと思う。もうマジで聞き取れなくて、身振り手振りと喋ってるテンションからの俺の推測なので本当に何行ってたのかは本当に何もわからん。なんか、突然変な宗教に放り込まれた感覚に近い熱狂だった。ミッキーマウスやドナルドダックと肩を組んで写真を撮れたりなど、普通にディズニーリゾートではできない特別なことらしい。卒業者にだけ許された特権らしい。俺は「やっぱプロの着ぐるみの中の人はキレが違うな、すげえな」くらいしか思う感想がないのだが。

『二月の勝者』という中学受験を題材にした漫画で主人公である塾講師が「中学受験で勝利するために必要なのは父親の経済力と母親の狂気」というような発言をしていたのを思い出す。私の経済力は心もとないものの母親の狂気、つまり我が子の明るい御手洗のために最後まで付き合い切る伴走力は大変に必要なのだなぁと関心した。そうじゃないと、卒業席だけじゃなく親も含めたあの一体感と感動は説明できない。同時に私は、中学受験という未来の選択肢を考えてめんどくせえなぁ、と思った。なぜなら英語に限らず五科目となると俺の伴走も必須になるからだ。そして俺はそういう狂気を持ち合わせていない、プライドも熱意もない凡人なのである。

ともあれ、卒業式を初日に終えて、大阪にいる我々はただ東京に来て帰るだけで往復一人3万円だ。たっぷり東京観光を満喫せねば。

 

ここまでは前段、今回のメインの話はそんな我々家族の三泊四日の最終日に起きた偶然の重なりによる小さな出会いの物語だ。

 

最終日、17時発の新幹線に東京駅から乗る。確定事項の予定である。

偶発的なトラブルで新幹線を乗り過ごすわけにはいかないのであまり遠出はできない。11時にチェックアウトした後に東京駅でお土産を探したりカフェで時間を潰すというのがあまりに人の往来が険しい東京駅では現実的ではないということを経験から知っていた私は前日に考えあぐねた。

そしてできた結論は、東京駅からたった一駅の有楽町駅で東京国際フォーラムを見て、そのあと東京駅で一度改札を出て丸の内側の赤レンガを見る、というプランだった。

まず私は自然に興味がない。高い山を登るだとかピクニックだとか芝生に寝転ぶとか一切興味がない。

一方で、建築や美術品を見るのは嫌いではない。私は自然に興味がなく、人工物に興味があるようだ。純粋な感動とはちょっと違う「こんなしちめんどくさいもんわざわざ作った人間がいたのか、そしてまだあんのか、すげえな」という感覚が自分の中で面白くなる。

なので、東京国際フォーラムを見せて、丸の内側の東京駅を見せて「人間にとってカッコいい建物ってたった100年でこんなに変わるんだな!」と息子に見せてやるというコンセプト。なかなか悪くないんじゃないだろうか。まぁ、俺が東京国際フォーラムを生で見てみたかったが半分ではあるが。

で、俺の趣味も入ってくから東京国際フォーラムすげえな、なんだこの建物。なんでこんなものわざわざ作ったの、馬鹿じゃねえの?と俺が楽しんでいると妻がスマホで検索して、その日たまたま、東京国際フォーラムの建物内に「ストリートピアノ」が設置されているという情報をゲットした。

「ストリートピアノ」という言葉、みなさんご存知だろうか?
説明しよう!「ストリートピアノ」とはなんかそこらへんに置いてある、誰でも弾いていいピアノのことなのだ!それ以上のことを、俺は、知らん!何も!まずピアノのことを知らん!黒鍵がフラットなのかシャープなのかもまず知らん。フラットとシャープがヘ長調の時に使うのかホ長調の時に使うのか、そういう理解でいいものなのかも知らん。聞くな!俺にピアノの話を俺に聞くな!俺なんかに聞くな、ばーか!

 

つまり、まずある事実としてはこうだ。

8歳の息子は既に俺よりピアノができる。俺には音楽の才能が一切ない。中学のリコーダーのテストに備え五線譜が読めないのでそのうえにドとかファとか全部書いていた。カラオケも大嫌いで福山雅治をキー2下げてやっと歌える音域の狭さと音痴を兼ね備えている。

そして、私は音楽のことはからっきしだが東京という場所の意味は知っている。「東京国際フォーラムにあるストリートピアノ」なんてとんでもないことになっているに決まっている。しかし、妻と息子は東京を知らなかった。「ストリートピアノで大熱狂を集めるYouTuber」的なものを映像で見たことはあったようだが、それを肉眼で目撃したのは初めてなようで二人とも面食らっていた。

息子は、ストリートピアノを弾いた経験は過去に何度かある。が、そのいずれも片田舎の道の駅だとか、伊丹空港の改札を抜けたところだとか、まぁ簡単に言うと誰でも気軽に「ぽろろん」と弾けるようなハードルの低いストリートピアノである。

しかも運が悪いことに、息子のピアノ教室では発表会が7月と12月に年2回、この時期はオーディエンスの前で披露するための課題曲に全力で打ち込む。しかし今はちょうど3月も終わろうとする季節。つまり、もっとも自信のある「人前で披露してやってもいいぜ」曲がないタイミングだったのである。わかるぞ!お父さんもピアノはできないけど、準備足りてなくて急にお鉢が回ってきてやべ~って感覚はお父さんでもわかるぞ!

 

で、お父さんよくわかんないんだけどさ、東京のストリートピアノの人、みんなめちゃうまいな、「ぽろろん」しかお父さんも聞いたことないからビビったよ。まずたぶんみんな暗譜とかじゃなくて、全部アドリブで弾けそうな曲弾いてる。アレンジ入れまくってオーディエンス盛り上げる気満々。で、オーディエンスもいる。

田舎の道の駅なんて「ぽろろん」してたら周りの家族連れが「あら、上手ねえ」くらいだけど、東京のストリートピアノはオーディエンスもあるし弾き終わったら喝采も起こる。俺には想像通りの光景だったが息子には衝撃的な光景だったろう。

 

そして、「弾くか弾かないか」で私と妻のあいだで意見の対立が発生する。

私の意見は簡単で「8歳で上手に弾けないのは当たり前、でも東京国際フォーラムでみんなの前で弾いたって経験は将来の財産になるのではないか、弾くべきだ」だ。妻の意見は「みんなの前でうまく弾けなくてそれが失敗経験としてピアノを嫌いになるのは避けたいので無理する必要はない」だった。

どちらかも間違ってない、疲労困憊の東京最終日でお互いに喧嘩腰になったが、どちらの意見も一定の理があり、一定の瑕疵があっただろうと思う。そして、強引でせっかちな父親はiPhoneに「へい、Siri!タイマー10分!」と叫び息子にこう告げた。

「10分やる。自分で決めろ、お前はお母さんの意見もお父さんの意見も十分に聞いた。今、自信がないのもわかる。だからお前が決めろ。弾かないって行ってもお父さんは怒らない。お前が自分で決めろ。10分で決められないなら、弾かずに帰る。お前が自分で決めろ。」

息子は半分泣きじゃくりながら「わかった、考える」と良い、妻は「本当に無理しなくていいからね」と言うがすっかり頭に血が昇っている私は「10分で自分で決めろってもう伝えたから、余計なこともう言わなくていい」と言う。

妻は、そんな家族のやりとりを人前で繰り広げていること自体にも引け目を感じているようだったが、俺にとってはそんなこと関係ない。俺にとって東京は、何をしてもいい、他人しかいない、LOOPで車に跳ねられようがホストに沼って売り掛けでどうなろうが自己責任の、誰より自由で何もかもがあってそのくせ何もないから何してもいい街。それが俺の東京なのでこの程度のことなんでもないのである。なお、大阪でも記念この調子なのでこれは東京に責任転嫁した平常運転の俺の思想だ。

10分経たずとも、息子の中での結論は出た。半泣きながら力強い、それは結論というよりも決意であった。

「今の自分のピアノではここでは弾けない。だからもっと練習してここで弾けるようになりたい。」

これは正直、俺も驚いた。YESかNOかどちらか自分の意思で決めりゃそれでいいや、と与えた10分だったからだ。まさか目標を立ててくるとは思わなかった。

 

さらに驚いたのは「もう今日は弾かないと決めたから、もっと聴きたい」と言い出したのだ。自分より明らかに一段も二段もうまい人たちが華麗な演奏を披露するなか「お前は弾くのか弾かないのか?」と問われるそのプレッシャーに「今日は弾かない」を自分で選択した息子の次の選択は「弾かなくていいいならもっと聞きたい。上手い演奏をもっと聞いて糧にしたい」と主張したのだ。

 

さて、私は英語でもピアノでも息子に劣る。

しかし、私には私の武器がある。ずけずけと他人に遠慮なく話しかけるという特殊能力だ。

たしかルパン三世かなんかのアニソンを一曲を披露したお兄さんが順番待ちの列に戻りiPhoneを胸ポケットから取り出す。これわからんから俺の勘だけど、あのスーツのお兄さん、あの日は営業サボってストリートピアノ引き倒してたんだと思う。だって弾き終わるたびにiPhoneで時間確認してたから、アレ絶対帰社時間まであとどれくらいチェックしてたんだと思う。これは私の息子に劣らない経験上の勘にすぎない。

私は息子の手を引きながら「すみません、お兄さん、もしお忙しくなかったらちょっと立ち話できませんか?」と尋ねる。

息子は私の背に隠れておどおどとしている。息子は私に似ずシャイな分、私にはない才能をきっとたくさん持っているのだろう。

私「僕全然音楽わからないんですけど、さっきのルパン全部アドリブですよね?暗譜とかではないですよね?どれくらいピアノされてるんですか?」

お兄さん「小1から中学卒業まで教室通ってて、その後はまぁ趣味で。家では大きい音出せないんで、こういうストリートピアノあるとついつい弾いちゃうんですよね」

私「おい、息子よ、お前が今で4年くらいか?お兄さんくらい頑張ったら9年でこんなに弾けるようになるんだってよ。」

息子「そうかなぁ」

お兄さん「そっか、君もやってるんだ。弾けばいいじゃん?順番譲ろうか?」

私「今日は弾かないって、自分より上手な人の曲聴いて勉強して、次は弾けるようになろうって自分で決めたんです。なので、勝手ながらインタビュー風に今こうして声かけさせていただきました」

お兄さん「あ、次自分の番だ、じゃあ弾いてくるね」

たぶん、8歳の子どもとのやりとりを踏まえて、それくらいの年齢の子どもが喜びそうな選曲として星野源の『ドラえもん』を弾いてくれた。いや、このアドリブ力、絶対譜面なしで頭の中でやってるでしょ。俺音楽わからんけどすげえなと思った。

また、列に戻ってきたお兄さんiPhoneでまた時間をチェックしてる。私たちが17時の新幹線を乗り過ごすわけにはいかないようにお兄さんも時間との戦いのなかで無意味にピアノを弾き続けている。時間は常に私たちを追いかけて迫ってくる。

私「わざわざすいません、たぶん子供向けの選曲でドラえもんでしたよね。僕は年齢的にドラえもんも直撃世代だし、星野源もグッとくる世代なので」

などとテキトーに世間話をすると、またお兄さんはピアノを弾きに行った。私が「よし、そろそろ東京駅行こうか」と息子に話すと「最後にお兄さんと話がしたい」と言い出した。「お前、ええけどや、グダグダつまらん話したら相手に迷惑や、話したいこととか質問したいこととか決まっとるんけ?」とソトヅラはいいが、息子には容赦がない父。

息子は即答した。

「うん、決まってる!だから大丈夫!」

お兄さんの宇多田ヒカル、FirstLoveを聴き終えると、またiPhoneで時間チェックしてるお兄さんにずけずけと声をかけるおっさんこと私。本当に人間の才能というのはさまざまなものである。

私「さっきお兄さん33歳って言ってましたっけ?僕が40歳で小学生の時に宇多田ヒカルデビューして、FirstLoveは3枚目シングルだった気がするんで、お兄さん微妙に直撃世代じゃないですよね?でも即興で弾けるってのは、名曲って残るんですねー」

などと当たり障りない世間話を織り交ぜながら、息子に促す。

息子「お兄さん、左利きですか?」

このあとの二人の話はピアノがさっぱりわからん私には全くついていけなかったが、何かわからんけどお兄さんの演奏は低音がぱきっとしててそれが曲全体のアクセントになっててかっこよかったらしい。息子曰く。

お兄さんもまんざらではないようで「よくそこまでちゃんと聴けてるね、すごいね。左指の小指と人差し指の筋肉を鍛えないとそこがうまくできないんだ。ちょっと左手見せてみて?あ、ちゃんと練習してる手だ。このまま頑張ればどんどんもっとうまくなるよ」と褒めてあげてくれた。何より、息子は左利きである。

そこから私たちはこの縁を大事にしますと深く礼をして、東京国際フォーラムを後にして東京駅に向かい丸の内川の赤レンガを観賞した。しかし、息子は「自分もいつでも弾ける持ちネタをひとつ作らなきゃならない。やっぱみんなが盛り上がる派手な曲がいいかな」とピアノの話をしていた。本当はもう少し、東京駅の歴史や東京国際フォーラムの雑学の話をしたかったが今日はこれでいいかと思った。

目撃して目標を作った。今日はそれだけで十分すぎると思った。

何より、普段はただの年の離れた同居人としか思っていない息子の、できない自分を見つめて悔しがり次の機会に向けての決意を新たにするという精神的成長に珍しく涙がこぼれそうになったので父親としてはそれで十分すぎる結果だった。

 

息子の目標になっくてれた、息子のヒーロにになってくれた、東京だからこそ出会えた、たぶん仕事サボってくれたお兄さんありがとう。もし将来息子が音楽で生計を建てるような一廉の人間になったら、俺はドヤ顔であなたと息子が出会った話をします。届くことはないかと思いますが本当にありがとうございました。

 

以上です。

小学館とマンガワンの件雑感

色々な情報が錯綜しててこれからどうなるかわからないし突っ込みにくい話題ではあるんですけど。

www.tyoshiki.com

これを読んで俺もちょっと書いてみようかなという気持ちになった。ので、書く。

まず、クリエイターになれてない、なれなかった自身として、そしてクリエイティブやエンターテイメントから刺激を受けて今日もなんとか生かされている消費者としてすべてのクリエイターに僕は尊敬の念を持っている。自分がおもしれえと思うもん(まぁ100%ではなく制約がつくからまた大変なんだろうが)を描いて作ってそれが商業ラインに乗ることってすごく大変。それでおまんま食えてるだけで大変な偉業である。必死に必死にやってるやつらの更にごくごく一部がやっと辿り着ける修羅の道であることには間違いないだろう。

そんなクリエイターの一人ひとりに「小学館に三行半を叩きつけてくれ」と要求するいち消費者のSNSでの所作については辟易する点で同意する。

 

一方で本件のような事態が起こっている(漫画に限らないかもしれない)出版業界のガバナンス体制の中の一部として自身が加わっていることになんか思うところはないんか、とクリエイターに問い掛けたい人の気持ちも正直わからんではない。

卑近な例えになってしまうのだが、もし出版社自体がこのような限りなく黒に近いやり方を許容する法人であると過程するならば、クリエイター自身が闇バイトの受け子とか出し子みたいな立ち位置になってはいやしないか?カネになるから使ってやるよみたいな法や倫理なんぞどこ吹く風の組織に拾ってもらって自身の才能を発揮することを是とするか非とするか、対岸の火事の他人事とするかどうかというのが今回の騒動の焦点になるのではないかと感じている。

難しいのは「商業ラインに乗ってるクリエイターはそれだけですごい」ってところで、闇バイトの売り子や出し子はただの残念な人だったり運がなかった人だったりですけど。世に出れて漫画書いてオゼゼがもらえてるクリエイターはどうあれすごい努力した結果だし、だからこそ、そのステータスの維持と自身の創作活動の継続だけでせいいっぱいなので他人事として私の担当編集はいい人ですよくしてもらって食わしてもらってますって言うことも言わずもがなもできれば、出版社以上に創作者として自身のステータスが確立されてるから声をあげることができる人もいる、まだそこまでいってないけど個人として声をあげるんだという選択も取れる。ここらへんがグラデーションというよりも、両極端になってしまうのは仕方がないと思う。そしてそのグラデーションの間に立つ人に「白黒はっきりしろや」と叩きつける野次馬が論外であることは繰り返し申し上げる。

 

これはあくまで例え話として一生懸命生きてる労働者の中にも「あの専務の謎の出張、ただの愛人旅行ですよね」とか「あいつの企画がしょぼくても通ってるのって結局社長に気に入られてるからでしょ」とかそんな話はそこらへんで枚挙に暇がないと僕は思ってる、というか経験してるんですよね。なんとなく気に入られてる、有能じゃなくても言い訳は器用だから気に入られてる、太鼓持ちがうまいから気に入られてる、だからなんとなくちょっとの不正や横暴も許されてる。そんなやつら、別に出版業界に限らず芸能界に限らず石を当てずっぽうに投げたらそいつの頭に当たるくらいどこにでもいるじゃないですか。そこらへんについては僕も全てを納得してるわけじゃないけど、自分の武器で使えるもんはなんでも使って自分の組織内での価値を最大化するためにやっていこうってのは男女問わず個々人の生存戦略なので好き勝手やればと思って匙を投げています、僕はそういうことは決してやりたくないけど。

ただそういうグレーゾーンを許容しているからこそ、そのグレーゾーンをぐっと踏み越えて、組織外の人間を傷つけて取り沙汰されてる人間までもカネになるなら上手に使うって構造の中にいるのはさすがに嫌じゃないか?と僕は考えます。

そういう構造を業界に踏み込んで知っちゃったけどその構造を常識として受け入れて取り込まれる人間、知らないまま良い担当がついて自分を評価してくれる業界に感謝する人間、色々いるんだと思います。

クリエイターには披露する場所がどうしても必要なのですが、その場所を提供してくれるのは結局どこ吹く風の資本主義なのかもしれない。その資本主義に大いに迎合するとか、生活もあるので苦虫を噛み締めながら受け入れるものすべて自由だと思います。

そしてこれはクリエイターは我々市井の人間も変わらないと思う。クリエイターはファンに支えられる職業であるからこそ、自分の日々の生活のなかで苦虫を噛み潰してる人たちが「お前は俺と違って影響力を持っている、だから声をあげてくれ」って言い出しちゃうのはある意味必然なのかもしれません。肯定はしてません。

 

あちらこちらに話は紆余曲折してますが、結局消費者は100%の純度でその作品をただ純粋に楽しみたいってことなんじゃないかと思います。同じ漫画でも、掲載誌によっては嫌だなって思ったり、普通に楽しめたりとか、そういうのはあると思うんですよね。

グルーミングでうんこ食わせるやつを平気で起用する媒体を通して作品に触れるのと、そうではない媒体を通して触れるのでは、やっぱ各作品の読み味は変わっちゃうと思うんすよね。そんな当たり前のことはみんな当たり前に知ってるはずだと思うので、個々のクリエイターに声明を出してくれとまでは思わないんですけど、そこらへん含めて葛藤しているところなのだと思います。嫌な言い方なのは承知で言うと、自分には春から小学3年生になる息子がいるんですけど。小学館の図鑑NEOシリーズが家にたくさんあるんですけど。サンドウィッチマンと芦田愛菜MCを務める博士ちゃんという番組もよく息子と観てるんですけど、芦田愛菜がこれからも小学館のPRするなら博士ちゃん今後も観続けるのちょっとしんどいな、とか。

悪いものは悪いと言いたい、でもそれを完遂出来るほどの力は自分自身にはないから影響力ある人に声をあげてほしい、そういう声を市井の人としてあげる、全部含めて、正義の暴走と弱者の祈りって紙一重なんだなと思います。

 

tyoshikiさんのエントリを読んだことをキッカケに書き始めてはみたものの、この件はまだしばらく詳細が出てくるまで見守るしかないし自分の中で結論が出ているわけでもない。ただ「集英社はこういう対応してたな」レベルで思い出してた漫画原作担当マツキタツヤまで出てきたのは本当にびっくりした。意外と一番関心があるのは集英社ジャンプ編集局とアクタージュ作画担当の宇佐崎しろ氏にこの件伝わってたのかなとかかもしれない。もし伝わっていなかったとするならば、新たな原作担当者と好調に連載を続けている宇佐崎しろ氏に変なダメージが入るんじゃないかとか心配になってしまう。

読者に筋やら仁義やらを通せってのはただの野次馬の野次なので、二の次三の次でいいと思うんですけど、業界の構造やらなんやらで不正や被虐や横暴が許容されるという事実自体は我々市井の人間の生活の中でも起こってることで地続きで、だからみんな怒っちゃうのは仕方ないとは思うんですよね。かわいいからかなんか知らんけどなんか許されてる人とか、なんか目をつけられちゃって過剰な叱責を受け続ける人とか、おカネになるからちょっと悪い商売をしてる人とか、みなさん生きてたら見たことあるでしょう?結局アレの延長線上にこういうことがあって、それに怒る人がいるのは全然仕方ないと思うんですよね。SNSの仕方なさというより、リアルの世界のエグいところの仕方なさの方が大きいんじゃないかなと思う。

でも今回のは、ジャニーズとか吉本とかの芸能界とかとはちょっと燃え上がり方が全然違うよね。クリエイターに意思表明を個別に求める有象無象には「やめとけよ」とは思うんですけど、推しがいるから「ジャニーズ悪くないよ!」とか言ってた人らよりはいくらかマシかなーとは思う。クリエイター個人としてリスペクトされてるからこそなんか言ってくれ、みたいなブレンド具合はいくばくか強いんじゃないかと思う。知らんけど。

 

あとこれ全然関係ないんですけど、是枝裕和が万引き家族で女優に濡れ場シーンをやらせる時に事前に知らせないで現場でヌードシーンなんで前張りでお願いしますみたいなことをやってた件が園子温のハラスメント問題が取り沙汰されたタイミングで飛び火でちょっと燃えかけて、その後で自身でハラスメント反対!みたいな声明をあげて団体的なもの立ち上げたのか忘れたけど、それらが各種インターネットニュースで出まくった結果SEO的に「是枝 ハラスメント」とかで検索しても、「是枝さんはハラスメントを許さない善良な映画監督だ」みたいな記事しか出てこないようになってるの、上手くてズルいなって思ってるの俺忘れてねえからな!!

 

あ、あと、「死刑囚の描いたアート展示」とかたまにあるじゃないですか。別におもんないんすよ。悪いやつはクリエイターとしての才があるわけじゃなくて、普通に面白いクリエイターが悪いことしちゃうっていうのはまた全然別の話で、ただ悪いことしなくちゃクリエイティブできなかったのかは他人の話なので全然謎で、本当によくわかんねぇけど、とりあえずみんな他人を傷つけないよう健全に生きような(SNSで変に暴れるのもやめような)。

 

以上です。

先生の言うことなんか真に受けるな

togetter.com

長年お互いブログを読み合ってるので会ったことはないけど他人とは言えないくらいのしんざきさんがこんな話題でバズっていた。そして僕もそれにいくつか僕もコメントしたりもした。

 

※これ以外にも付随的にいくつかコメントしたが俺の『坊っちゃん』の感想だったりなので割愛。興味ある人は僕のアカウントを辿ってください。

 

で、こっから、僕は全部見てないんですけどしんざきさん本人のところに色んな反応が届いたんでしょうね。こんなことを御本人がつぶやいているのを見かけたんですよ~。

 

なーにー!?やっちまったな~~~~~~!!漢は黙って、墨汁!漢は黙って墨汁!!

 

すいません、ここまでひとつもボケてないなと思って、別にいらないなと思いながらテキトーにクールポコを挟んでみました。でも、筆に墨汁で読書感想文書いてきたら俺はめっちゃ笑ってその子どものこと褒めると思います。さらにそいつが左利きなのに右手で頑張って書いたとかだったらリストバンドとかこっそりプレゼントしちゃうかもしれない。

 

親がそうであるのと同様に、教師の当たり外れのでかさって本当に人それぞれでガチャとしか言いようがないですよね。一般論化できないというか、もう本当にその人それぞれにとっての経験しかないですよね。

親も教師もしょせんただの人間ですからね、何も期待してはいけない、向こうも仕方なくやってるんだから、ってのは常々思うんですよ。

 

今回の話題をきっかけに40歳ズイショ、過去に出会った教師たちを振り返るわけです。

 

僕が小学一年生のときの担任は新卒の女性教師で学級崩壊になっていました。その時の先生は大変だっただろうし、当時いじめられっこだった僕はいじめを制御する能力もない先生にあたって大変だった。でもたぶん、お互い大変だったんだろう。今になって思うのは、保育園・幼稚園までは女の先生じゃないと不安、男の保育士さん幼稚園先生はちょっと怖いみたいなことを親世代はみんな言っていたくせに、小学生になった途端に若い女の先生は頼りないみたいなことを親はみんな言ってました。それは今もあんまり変わらないんじゃないかと思う。そういう親の無責任な「正しい意見」を真に受けて馬鹿なガキどもが増長して女性教師を舐めて学級崩壊を引き起こす一助になっていたんじゃないかなと思う。

俺の担任じゃなかったが、よその教室でヒステリックな中年女性教師が教科書を児童の顔面に投げつけて角が当たって出血して、みたいなこともあったな。やっちまったことがアウトだったので擁護の余地もないが、当時の女性が「指導者」という立場で教師を務めることが大変だったのかなと思わなくもない。

クールポコをさっきやってたのはねぇ、このための伏線だったんですよ!(はぁ?)

俺の読書感想文を真っ向否定したのは小学4年生の時の担任で、たぶん当時でアラフィフくらいのババアであった。読書感想文を否定された他に、俺は声変わりが他の男子よりも早くて、そのうえかなりのバリトンボイスになってしまい合唱曲の担当パートすら満足に高音が出ない時にも「サボるな、歌え」とみんなの前で大いに叱責を受けた。アレはかなりのハズレくじで、戦争を経験したほどの年寄りでもないくせに「白い米が大好き」とか言うところも気に食わなかった。

小学六年生の時のアラフォー女教師は、「なにかいいこと」をするとなんか丸いちっちぇえシールをあげて、それが10個溜まるとテキ屋とかにあるくじ引きをするみたいな演出をしていた。「なにかいいこと」の範囲はとても曖昧で「テストで100点」でもらうこともあれば「掃除をとても頑張れた」とか「喧嘩をして和解できた」とかすべては担任の匙加減であった。それでシールを溜めるとしょーもないくじが引ける。くびを引くためにみんなが先生のご機嫌を取る。誠に最悪なクラスであった。大人になって考えると、あのテキ屋のくじ引きと景品、先生が自腹で買ってたんだろうなと思って余計胸糞が悪くなる。自腹切って自分の部署にだけ変な賞罰ルール作るの絶対おかしいじゃん。

ここまで小学生の時の担任教師の話を並べてきたところ、すべて女性教師の話になってしまうのは別にミソジニーではなく、それだけ俺が小学生の時代には女性が男性社会のなかで闘うための手段や苦痛や苦悩があったのだろうという話で、つまり向こうもただの人間に過ぎないという話だ。

中学高校の話をしてもいいんだけど、めんどくさいので割愛する。

僕の言いたいことはただ一つ、教師もただの人間なんだから多くを求めてはいけないし、舐められたら喧嘩をしなくてはいけないし、同じ人間として生活の苦労やストレスを察してやらなくてはいけないというそれだけだ。

そのうえで唯一言えることとして「先生の言うことなんか真に受けるな」と俺は子どもに言う。相手もただの人間だ、そいつの言ってることが正しいとか間違ってるとか、そんな話をすることがそもそもバカバカしい。

俺は教師を馬鹿にしてるわけではない。ただの人間だと思っている。

むしろ教師を聖人だと思ってる奴らの方が教師を馬鹿にしていると思っている。

 

日曜日に居酒屋で一緒に酒を飲んで「はー明日学校行きたくねー」と笑う教師もいるし、「一応おれ教員免許取ってるんすよ」って言いながら全然違う仕事してるお前が教師だったら絶対嫌だよって面白いやつもいる。

教師資格なんか別に大学に通えば誰でも取ろうと思えば取れる。教師が本当に人格者だと思う必要なんかないだろう、今どき農民でもそんなやついないだろ。だけど、お互い一生懸命生きているのはそりゃそうなので、神格化しすぎず、人としての敬意をもって、やっていくしかないんじゃないかなーと思いながら、息子には「先生の言うことが正解とは限らない」と伝えている。

 

はい、武田鉄矢への悪口はB面でーす。以上でーす。