https://anond.hatelabo.jp/20241020141755
これを読んで思ったことをざっくばらんに書く。
筆者はアラフォーのサラリーマンで、20年近く会社員としてビジネスに関わることでお賃金をもらいながら生きている。そのあいだずっとさすがに自己研鑽を何もしていないはずもないのでいくらかスキルは身につけているものの、自分の強みとしてはコミュ力とか渉外能力とかネゴシエーションとかだと認識していて、相手に納得してもらって動いてもらったり機嫌良く仕事をしてもらったり相手の言わんとするところを察してみたり、いわゆる調整役みたいな立ち回りが多い。
自身にとってはそういうのは出来て当たり前普通という感覚で、出来ない人は大変だなぁと思う一方、みんながみんな出来ることではないからこそそれが出来ちゃう自分は重宝されて飯が食えてるんだなありがたやありがたやという感覚もある。
そういう自認識を踏まえて元増田のような人の悩みを聞くと「そんな無理して苦手なことやらなくてもいいんじゃないか」とも素直に思う。
苦手なことややりたくないことから逃げ続けて「意外とみんなこれでけへんねや、できる俺の方がレアなんや」で生き抜いてきたおっさんとしては、こういう悩み方は実に時間の無駄でもったいないのではと心配してしまう。
スマートにオーダーを理解してそのオーダーをスマートにこなすなんてのはできれば理想だけど、そんなデキるやつはなかなかいない。そんなに柔軟に臨機応変に立ち回れる人材になることを無理に自分に課する必要はないんじゃねーかなーと思う。
たとえば、両手がドリルの人間がいるとするじゃないですか。そいつに「豆を一粒一粒摘んで運べ」って指示を出すやつはアホだと思うんですよ。そいつに頼むべきは絶対に掘削なわけじゃないですか。
自分に何を求められてるのかわからない、相手の言わんとしてるところが読み取れないから困っちゃう、みたいな言い分は、気持ちとしてはわからんではないのだけど器用で万能になりたい願望が前に出過ぎなんじゃないだろうかと思う。
手をドリルにしろ。手をドリルにしろ。手をドリルにすることで「明らかに手がドリルの私に掘削以外の話を持ってくる時点で、お前の方が空気読めてないコミュ障ですよね〜!?」て感じにできるから。なんでもかんでもあれもこれも対応できる人材になる必要なんてない。そんなこと考えるより手をドリルにしろ。
そうしたら俺みたいな調整力をドリルにしてる人間はむしろ信用できる。俺は物事を前に進めるコミュ力というドリル一本で生きているが、そういう人間からすると手にドリルしかついてないのに「つまり、私に何をしろってことですか?」とかよくわからん駆け引きや相互理解を求めてくるやつより「つまり俺が掘削すりゃあ話が進むんだな!」と両手のドリルを回転させるやつの方が頼もしい。
俺だけじゃないと思うんだけど、一見立ち回りが上手いだけのやつだって、みんなちゃんと人に感謝できるんじゃねえかなと思ってる。失敗した時に一番馬鹿にされる役を買って出て、頼れる仲間の仕事を作ってなんかやり遂げようとしてるんだと思う。うまくやれてる奴らに見えるかもしれないけど、たぶん実態はそんなもんで、持ちつ持たれつが有様なんだよねー。
やってくれ。やらないままくたばらないでくれ。得意を探してくれ。丸くなるな星になれサッポロビール。
以上です。