たとえば、人が「私は映画が好きだ」とか言う時、そこには「面白い映画もあれば、つまらない映画もある。面白い映画を観たら心は踊るし、つまらない映画を観た時はとんだ無駄な時間を過ごしたぜと腹も立つ。そして私はそのうえで映画が好きで、これからも映画を観るのだろう」みたいなニュアンスが一定含まれているだろう。そしてこの前提は映画に限らず、小説にしても漫画にしても演劇にしてもお笑いにしても落語にしてもアートにしても今現在もそのような前提が一定担保されているだろうと体感的には思っている。
ブログもかつてはそのような存在であった。「一人の生身の人格が家でぼそぼそーっとだらだらーっと思ったことを書き綴って、それをインターネットを介して不特定多数の第三者に公開する」という一連の営みが、一つの表現様式として、その様式それ自体が愛されていた時代がたしかにあったよな、と僕は考えるのだ。
しかし、それはかつての話なのだろうと思う。
「文章を一つの作品として発表するのではなく、一人の生身の人格がなんか不定期的に文章をインターネットに勝手にアップしますよ」というブログの様式は、「生身の人間が思ったことを自由に『うんこなう』の5文字からでもアウトプットできますよ」というSNSの文脈にあっという間に回収されたのである。今思い出したリアルでは人に言えない話があったので書いておくけど普段飲まない赤ワインをこの前飲んだらうんこめちゃめちゃ緑色になってめちゃめちゃびっくりしたよね。死ぬんかこれと思ってめちゃめちゃググったよ。「赤ワイン うんこ 緑」でググったら赤ワインはそういう成分があるんだよという内容が複数ヒットして僕は胸を撫で下ろしたよ。はー、よかった。
話を戻すと、SNS(それはもう現代におけるインターネットそのものと言って差し支えないと思うが)が受け止めている人間の欲望というものは至ってシンプルで、「なんか一言言いたい」である。そしてその向こうにあるのは「読みたかったもの(賛同できるもの)を読んで褒めたい」であり「読みたくなかったもの(賛同できないもの)を読まされたら読みたくなかったと文句を言う、賛同しない或いは否定する」である。
ここにはまず「読みたい」という欲求がない。「読みたくないものでも読んでみて何か考えたい」という欲求がない。映画や小説やその他に向けられるような様式へのリスペクトがそこにはなく、SNS上でアウトプットされる「うんこなう」と同列に扱われる程度にブログは至ったのだ。
これは、別に「ブログをもっとリスペクトしろ」という話ではない。ただ、ブログは現代においてリスペクトに値しない「うんこなう」やそれこそ悪ノリバイトテロと同じカテゴリに回収されてしまったんだろうなということだ。テキスト量で見た時に長いか長くないかの違いがあるだけで、SNSにおける一個人のお気持ち表明としか見做されなていないことが現状だよね、というだけの話で「そうだよ、だってそうだろうが」と言われたらそれはそれで特に反論はない(Twitterを主戦場としている人が「今回の件に関してはTwitterじゃなくて、noteで書きます」とかやってるのが普通になってるのは、まさにそういうことなんだと思う)。
今更、「ブログは素晴らしい様式だよ、もっと再評価されるべきだよ」なんて嘘八百をまことしやかに伝える気は全く起きない。ただ、SNSの隆盛によって、そこらへんの文化の一部として一手に集約されて、その文化の中での振る舞いをしないと成立しないものとなってしまったことは少し寂しい。
「今でもブログとか長文起点で一発当ててるやつはいくらでもいるだろ、お前がウケてないだけなんだよ甘えんな」と言われたら「それはそうなんだけどさぁ」という気持ちになるのだが、別にウケて一発当てたかっただけの気持ちではなく、なんか古市憲寿が芥川賞を狙ってくるのを気持ち悪く眺めている感じに似ている。読みたい人が読んでそれを読んでなんか書く、みたいな、それを人は「クネクネ」と呼ぶらしいが、俺はそういうAさんとBさんがクネクネするだけのなにかを「読みたい」そしてそれに呼応して「書きたい」というのがブログをやる原動力であって、ただ「読みたい」だけの人があんまりいなくて色々な文脈でジャッジしたがる「読みたいものを読みたい」人が一挙に押し寄せて過半数をとってる現状では、「読みたい」人もいないのに書いてもダルいだけだなーと思ってて、まあとりあえずわざわざ書かなくていいかなーと思ってる。
昔と変わらず、俺が思ったまま書き続けたら、きっと誰かに届くだろう、感謝もされるだろう、きっと友達ができるだろう、という確信はある。しかし、その人に巡り会うまでの手前にある人混みがダルすぎる。それが俺がそんなに書かない理由だし、みんなそうじゃねえの?と思ってる。
なので、俺の結論は「読みたい」が相対的に世の中から減ってるから、「読みたくないものは読みたくない」がわざわざ読みにくる状況が押し寄せてきているから、が俺の書かない理由で、「書きたい」が失せてるとかいう人たちに関しては本当にそうか?と疑ってるし、カネもらったら書く癖によ、とも思っている。
俺も割と「昔は書いてて慣らしてるんすわ」で仕事とかももらえてる方なので、なおさらそう思う。ブログがあってよかったと思うし、ブログに後ろ足で砂を掛けたくはない。書かないなら書かないでいいんだけど、その理由は、ブログの今と共にありたい。書いてるやつは偉い。
以上です。