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2022年、暫定賛歌

率直に言って今年はかなりうまくいかない年だった。ここ5年6年の中で考えれば明らかに最悪で、それよりも以前を考えると頑張ってもうまくいかなくて世界に唾を吐き捨てたくなるような時もしょっちゅうだったけど、今年は頑張っても甲斐がなさそうなので頑張る気もいまいち起きなくてなんとかやり過ごすような一年だったので、もしかしたら人生の中でもワースト1位くらいの一年だったかもしれない。来年に明らかに好転する目処も特になく、どうしたもんかな〜と考えてはいる。とは言ってみてはいるものの、別に生活に困っているわけではないし、まあもっと大変な他所様の事情に比べれば全然マシでそんなに悲観するような状況ではないのだろうが、俺の人生くらい俺が勝手に評価してもいいと思うのでそういう意味では最悪だった。のびのびご機嫌にあるいは不機嫌にレーザービームのように元気よく飛び出して生きるのが心情であるが、それがどうにもできない一年だった。

しかし、そんな一年の終わりを迎えて気付いたこととして、意外とそんなにイライラしていない自分の感じだ。自分自身は停滞も停滞で、自慢できることなんかあんまりない一年だったから特に自慢ごとを言うことなく過ごしていたが、それでも友人や知人のグッドなニュースには素直に良かったねと思えるし、誰かがグッドな巡り合いにはしゃいでいるのを見かけると素直にこっちまで嬉しくなっていた。僕は僕以外の人間のことがよくわからないので、もしかしたらみんなにとっては普通なことなのかもしれませんが、自分がうまくいってない時にそんな風に他人のことを思えるというのは、僕にとってすごく新鮮な驚きだったんです。

甲本ヒロトが大好きなんですが、『情熱の薔薇』という歌があって、その歌の一節に「花瓶に水をあげましょう」という詞があります。意外と自分はそれをそのまま受け止めてて、意外とずっとそうできていたのかなーとか考えます。だってそうじゃなければ、花瓶に水をあげないような生き方をしていたら、自分がうまくいってない時に誰かに「よかったね」なんて思えないと思うんですよね。心の優しい人は世の中にたくさんいて、「そんなの当たり前じゃん」と思われるかもしれないし、一方で俺がうまくいってないって知ったら「ざまあみろ」って思う人らもそりゃあたくさんいるだろうとも思うけど、なんかうまくいかなかった一年にこんな話をできる自分にびっくりして、人生捨てたもんじゃないなぁと思っている。

そして、そんな自分に気づいたからせっかくだしブログに書いておくか、となるのも今までずっと花瓶に水をあげてたからできることだと思うので、結局過去の自分偉いぜ!と思うし、そういう自画自賛で終わりながら来年もやっていくぜ!

あんまり実りのない一年だったなぁとは本当に思うし、これがずっと続くのは嫌だなぁとも思うから、どうすっかな〜とも思うんだけど、不思議と絶望してないのは色んな人に「よかったね」って思えたからだ。イチローだって打率3割なんだから、自分にだってこういう年もあるよねと思えるし、ホームランは誰が打ったってテンション上がる。そういう風に考えられるようになってるんだ、あの俺が!言い訳風にそうポジティブに考えておこうと思う。

そんな漠然とした俺の話をしたかっただけなので、俺以外の名前なんかどこにも出てきてこなかったけど、これをここまで読んでいる全ての貴方に途轍もなく感謝をしています。

 

俺は他人に生かされてるし俺の人生は俺のもん。

 

以上です。

 

劇団公演の感想ブログ10年書いてたら、悪い芝居・山崎彬さんと対談しました。

2005年だかに京都で産声をあげて、2023年の1月だかに記念すべき30回目の本公演を下北沢・本多劇場にて行う「悪い芝居」という劇団があります。その30回公演メモリアル企画の一つとして、劇団を主宰する山崎彬さんと対談する機会をいただきましてその書き起こしが公開されました。なんで!?

 

waruishibai.jp

「なんで!?」というところから入ると理由はたぶんきっぱり明快で、たぶんインターネット上で悪い芝居について語ってる文字数がわりかし多い方の人だったからだと思うんですけど、なにせ悪い芝居見るたびに数千字の感想ブログを毎回書くってのをかれこれ10年くらいずっとやってたので「なんで」かはわかるんですけど、そのうえで「だからってなんで!?」としかならないわけですけど、滅多にない機会なのでご挨拶させていただきました。あの、サンドウィッチマン単独ライブで毎回立たされてる人みたいな。

悪い芝居と僕の出会いはかれこれ15年ほど前、僕が役者や脚本演出などの経験を重ねていた学生劇団の卒業公演を不完全燃焼のまま終えてしまった直後でした。もっとすごく作れたはずだ、もっと何かをお客さんに伝えられたはずだ、それが出来なかったとモヤモヤしていた時に当時京都を拠点に活動していた新進気鋭らしい悪い芝居が僕んちの近所の大阪で公演やるらしいってんで観劇して、「今から殴るよ」とわざわざ宣言されてから右ストレートでぶん殴られた。そこにあったのは「僕のやりたかったこと」で同時に「僕にはできなかったこと」でもあって、何よりも「僕が見たかった景色」だった。それ以降、悪い芝居の公演がある度に足を運び、都度殴られて感動し続けていた。もちろん最初に僕が感じたことなんかは僕の若気の思い上がりで、悪い芝居は「僕になんかは想像もできなかったような素晴らしい景色」を見せ続けてくれて、そのまま15年ほどの月日が流れて現在に至る。

「面白いってなんだろう」、人生の命題です。「面白いってなんだろう」、そんなこと本当は考えなくていいのかもしれない。なんで生まれてなんで生きて、なんで今僕はここにいるんだろう。別に面白くなくてもそこそこで十分なはずなのに世界はそれだけではどうも僕たちを許してくれないから、産み落とされた以上は「面白い」を探し求めるより仕方ない。僕はそう考えるけど、世の中の仕組みは全くそうはなっていなくて、堂々巡りのまま、また明日がやってくる。物心ついた時から漠然と考えていたそんな思いをもう手放すしかないのかなと思っていたそんないっときの気の迷いの瞬間に出逢ったのが悪い芝居なのであった。

対談のなかでも話しているが、何より素晴らしいのはこれから悪い芝居を初めて見る人たちは悪い芝居に初めて出会えることだ。「なんだろう、この生」というぼんやりとした不安を伴いながら続く人生に灯火を得られるかもしれないということだ。夜に寝る人、朝に寝る人、土日に休む人不定休の人、さまざまな人生がそれぞれにあろうがみんなそれを365日続けたら平等に誕生日がくるし、生活はどうあれ人生は続いていく。それが良いことか悪いことはよくわからない。わからないことは自分で決めるしかない。

そんな人生の繰り返しに悪い芝居が挟まれば、自分がどっちに駆け出したいか、その方向が少しだけ見えてくる。本当は「かもしれない」まで末尾につけなくちゃあいけないことを勝手に無責任に言いました。

 

そんな悪い芝居の次回公演はこちら。

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対談を読んだ人も読んでない人も、興味が湧いた人も半信半疑の人も、15年前の僕みたいに「一回だけ冷やかしでいってやろうかな」の気持ちを大きくできないか胸に手を当ててチャレンジしてほしいなぁと思います。

 

あと、悪い芝居じゃなくてもなんでも、自分の好きな作品や作り手について気が済むまでわーわー騒ぐことって意外とそれって向こうにも伝わってるもんだよ、っていうこともはてなブログを書いてるみなさんに感じてもらえたら嬉しいです。みんな好きなものについていっぱい語ろうぜ!えーと、こういうこと書いといたらはてなブログ運営にピックアップされないかなーって思ってアップ直前の最後の見直しのときに書き足しました。「あ、そうだ!」つって。

 

 

そして以下は、せっかくなので過去にこのブログで書いた悪い芝居過去作についての感想文のリンクもいくつか貼っておきます。もともと悪い芝居をご存知の方で、このブログに初めて来られた方の参考になれば。いや、本当は対談記事からリンク貼ってもらってるのに今見たら一番上の記事がおしっこの話しかしてなかったので今慌ててあつらえました。

実際に公演を観た人に読んでもらったほうがいいのかなと思うのでとりあえず最近のやつを。ほかの感想文も気になる方は、なんかこう、それくらい自分でできるでしょの顔で「検索してみてください」。

 

zuisho.hatenadiary.jp

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以上です。

息子の泌尿器科に付き添う父親そんなヤバいやつ多いの?

みんな、おしっこしてる!?俺はしてるよ!!ガロンでしてるよ!!

ところでちょっと聞いてくれよ、うちの5歳の息子がちょっぴりおしっこが苦手でさ、具体的にいうとトイレまで間に合わないことがたまにあったりするのね。家でも一応「おしっこ大丈夫?おしっこ行きたくない?」ってこまめに聞くようにはしてるんだけどさっきまで「大丈夫。おしっこ出ない」って言ってたと思ったら突然「おしっこ!おしっこ!」って言い出して椅子から降りた瞬間ずぼんからぺろんとちんちん出してリビングを抜けた廊下の向こうのトイレに向かって走ってくの。ガンダムのカタパルト発進みたいに。ほら、ガンダムもカタパルト発進の時点ですでに右手に銃を携えてるじゃん。銃を剥き出しのままでカタパルト発進してアムロ、行っきまーす!ってやってるじゃん。うちの息子もそんな感じでカタパルト発進の時点ですでにちんちん出してトイレ、行っきまーす!のノリでトイレに向かって走ってくんだけど、トイレに到着する前にビームライフル撃っちゃうんだよ。で、廊下でしちゃったりとかトイレにはたどり着くんだけど便器に入らなかったりとかそういう粗相が多くて、それで汚れちゃった床を俺も拭いたりしてるんだけど。親父のだって拭いたことないのに!って言いながら。いや親父のを拭かされるのはこれからだよ!つって。

で、家ではカタパルトでちんちん出すからそんな感じなんだけど、幼稚園だと結構トイレまで間に合わなくてお漏らししちゃうことも少なくないみたいで。お漏らし用のお着替えセットなんてそろそろ御守りみたいなもんかなーと思ってたら結構普通に使うことが少なくなくて。いや、ちょっとまって、ここまで書いてて気づいたんだけど、ちんちん出してるか出してないかの違いだけでどっちもお漏らしじゃない?なんで俺さっきまでさもカタパルトちんちんはお漏らしじゃないみたいな感じで話してたんだよ。両方お漏らしだよ!ノドグロとアカムツが同じ魚なのに名前が違うみたいなそういうやつだよ!お漏らしもカタパルトおしっこも同じお漏らしだっつーの!

あとまぁ単純に回数多くない?って思うこともある。なんかもう10分おきくらいのスパンで連続3回くらいトイレ行ってない?って思う時があるから、一応飲んでる水の量とか気にしたりとかはしてるんだけど、そんな飲ませすぎかなぁ、別に普段から鳥貴族の大ジョッキで水飲ませてるわけでもないんだけど、みたいな。

 

で、まぁ本題なんですけど、来年の4月からは年長さんでその次はもう小学生ですよ。「そのうちちゃんと我慢できるようになるでしょ」と楽観しておいて、なんだかんだ改善されないまま小学生とかなったらやっぱり息子が困っちゃうことになるんでね、早め早めに手を打つのがいいんじゃないかなーと思って。

「遠き慮無き者は必ず近き憂いあり」私の好きな言葉です。

あの、昨日やっとシン・ウルトラマン観たんですけど、初っ端神永が『野生の思考』読んでたのウケますね。神永がレヴィ・ストロースを学んでくれたから、ウルトラマンは自身らの文明からすると低レベル極まりない人間という種をあんなにも思ってくれたんだ実質レヴィ・ストあの、俺はこのままシン・ウルトラマンの感想を4,000字書き始めても一向に構わないんですが、早く書き終わって俺がおしっこ行きたいので先を急ぎましょう。

 

で、一回泌尿器科に相談してみよっか、ってなって。「そのうち良くなりますよ、子供なんて個人差個人差」って言われて終わるならそれはそれでいいし、なんらか治療が必要ならそれはそれでやっぱ一回診てもらってよかったねだし、とりあえず行ってみよっかって話になって。それでちょうど僕が有休の日に近所の泌尿器科に妻と息子と3人で行ったんですけど。

で、僕はこの泌尿器科の病院で未だかつてない経験をするんですよ。それは何かっていうと、医者がめっちゃ俺を相手にしてくる。全部俺にヒアリングして、説明を全部俺にしてくる。これ、実はめちゃめちゃ不思議というか今までにないことなんですよ。息子になんかあって病院の世話になる時は、なるべく僕も一緒についていくように心がけてるんですけど、それは何故かというと、症状がどうとか時系列にどうなってるとかの説明をするにしても医者のする説明を「つまりこうこうこういうことって認識で大丈夫ですか?」と噛み砕いて齟齬がないように擦り合わせるだとか、そういうことをするのが妻より僕の方が得意だからです。なぜ僕がそういうことが得意かというと、目隠ししている人間の前のテーブルにバラバラに分解された拳銃が置かれていてそれを口で説明して目隠しの人間に組み立てさせるという特殊な訓練を僕が幼少期の頃からずっと受けていたからです。

だからお医者さんの先生と話すために僕もなるべく病院ついていくんですけど、原則としてお父さんって全然相手にされないんですよ。必ず「これはですねお母さん」ってお母さんの方に話しかけるんですよ。だいたいお父さん置き物ですよ。普段から子供の面倒見てるのは母親、子供の体調把握してるのも母親、子供の心配をしてるのも母親、医者の助言をちゃんと聞いてそれに従って子供のケアをするのも当然母親、父親はとりあえず母親に言われて付き添いで付いてきてるだけって感覚が医者の方でも染み付いてるんでしょうね。

まぁだからってね、それを簡単に、偏見だ!差別だ!馬鹿!もう知らない!立って!早く立って!そして走って!あなたを待っているあの雲まで走って!とかそういうことを言いたいわけでもなくて、お医者さんがそういうふうになるのもある意味経験則なんやろなとも思うわけです。お医者さんは毎日毎日いろんな患者さんを診てきているわけですから、そのなかでの経験則として実際にお父さんは子供のことあんまりよくわかってないし、ちゃんと話聞いて持って帰ってくれるのはお母さんだしってことなんだろうって。わかんないけど、とりあえず子どもを診るのが常のお医者さんにそう思わせる背景が実際にあるんだろうなと想像するわけです。それに腹も立てないし、気になること聴きたいことがあったら俺が話に入っていけばいいだけだしね。そんなわけでまぁ、両親で子どもを病院に連れていくと、基本お父さんって全然相手にされないんですね。

そんな中、先日行った泌尿器科。これが全く逆だったんですよ。医者が完全に俺の方しか向いてない。「今日はどんなご相談でお父さん?」「どういうところが気になりますかお父さん?」「こういうときはどんな様子ですかお父さん?」何を話すにも俺の方を見てお父さんお父さんお父さん、こんなこと今までないって!怖い怖い怖い! で、改めてなんか問診票みたいなん渡されて、おしっこの量とかカタパルト回数とかを記入して、それをもとにまた先生がなんやかんや調べてくれてまた診療室に呼ばれて。また、ここで「お父さん!これはですね!過活動膀胱ですね!」言うて「お父さん!過活動膀胱というのですね!」とお医者さん先生延々お父さんお父さん!めちゃめちゃまっすぐに俺の目を見てお父さん!もうなんやろ、途中からだんだん医者の先生が俺に挨拶にきた娘の婚約者だったような気がしてきたもん。で、「お父さん!大したことじゃないんです、誰でもあるじゃないですか。なんかおしっこが近くなるとか、人それぞれですけど特定のシーンで特におしっこが近くなるとかあるじゃないですか!本屋にいる時とか、講義とかの話を黙って座って聴いている時とか、そういうのあるじゃないですか、ねえお父さん!」言うて。まぁそんなところやろなぁ思いながら「わかります、わかります、ありますねぇ」って頷いて話を聞いてるんですけど、マジでこの医者、俺の方しか見てない。あとで妻に聞いても「たぶん一回もお母さんって言われなかった」って言ってて、こんなこと色んな病院通ってて本当に初めてだったわけですよ。で、まぁ診療の方自体は恙なく終わりまして「お父さん、まぁこういうのはね、年齢とともに良くなっていくもんではあるんですけど、やっぱり子どもがおしっこ自体にネガティブなイメージを持つのが良くないですね。自己肯定感が大事です!なのでね、お父さん、お薬出しときます。過活動膀胱を抑えて、膀胱が過剰に縮まろうとする動きを弱めるお薬です、これを飲んでおけば少しずつおしっこ我慢できるようになっていくはずです、とりあえずお父さん!これで様子見てみましょう!」とのことでした。

 

ま、そんな感じでおしっこ我慢ドリンクをもらって帰ったんですけど、いや面白いと思ってドリンクって言いましたけど本当は顆粒なんですけど。やっぱとりあえず病院行ってみるもんやなーそういう薬がちゃんとあるもんなんやなーと感心してたんですけど、しかし結局何だったんでしょう、うちのかわいいかわいい一人娘を、大学ではラクロス部のキャプテンも務めた一人娘をもらいに来たかのようにお父さんお父さんを連呼していたあの医者は。妻ともなんやったんやろなーって話てたんですけど、ハッと気づいたのが掲題の可能性です。

他の普通の小児科やったらお医者さんがお母さんお母さんというのはお母さんこそが興味感心を持って病院に来ているという経験則に拠るものだとしたら、泌尿器科の先生がお父さんお父さんというのも同じように経験則に拠るのでは?そこから導き出せる仮説は、もしかして息子の泌尿器科受診にわざわざ付き添ってくる父親、過激派のヤバいやつ多い?っていう。なんかこう、ドラマとかに出てきそうなヤバい人多いの?「よその子どもは当たり前に出来ていることがどうしてうちの子にはできないんだ!お前の教育が悪いんじゃないのか!普通できるだろ!!うちの子は普通のことすらまともにできないのか!病気なんじゃないのか!教えてアルムのもみの樹よ!」みたいなそういう人が多いってこと?いや、これなんの根拠もない完全な憶測ですよ、ただ、こういう仮説とかがないと、今までの経験上お父さんメインでぐいぐい来る医者ってほんと初めてだったから。何か特別な理由がないわけはないなと思って、ほんとなんだったんだろうなあれ。誰か正解を知っている人がいたらぜひぜひ教えてください。お母さん無視でお父さんにぐいぐい来る医者の目撃談も募集中です。

以上です。