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20年近くぶりにポケモンやってて楽しいぞ日記

クリアしてから書こうかなーと思ったけど、だらりと日記風に書く。

ネタバレ全く気にせずに書くので各自の判断で回れ右してください。

参考としては最初に選んだホゲータがレベル40くらいになっててジムバッヂ4つ、スター団倒したボス3人、集めたスパイス4つ、たぶん中盤から終盤に差し掛かってるくらい。

 

まず俺がプレイしてたのが赤緑と金銀とルビサファまで。それ以降はなんとなく教養としては入ってきてるくらい。やっと物理か特殊かがタイプ依存じゃなくてわざ依存になったんかい、金銀時点でやらなあかんかったやろ、とか。ネット対戦のガチ勢だるすぎるから絶対やりたくないわ、それはそれとして学校の友達のエンジョイ勢としか対戦することないのに努力値振ってた俺まじで時間の無駄やな勉強しろ、とか。

そんな感じで横目で楽しそうだねーとは思いつつも、まぁ他にやることあるし、めんどくさいし、カネないし、みたいなその時々の理由でポケモン(というかコンシューマゲーム自体)を全然やらない月日を重ねてたんだけど、5歳の息子にポケモンブームが来てて配信でアニメ見たりとかポケモン図鑑だけ本で買ったりとかはしてて。で、今回完全新作が満を持して登場って話題になっているのでここはさすがに買ってやらなきゃダメだろうとなりまして。あのー、昔の知り合いの蓮田くんっていう5人兄弟の長男の親が稼ぎそんなに良くないので超貧乏だった蓮田くんっていうやつがいたんですけど。そいつの貧乏エピソードのなかで好きなのが、ファミコンとか貧乏で買えないけど弟たちがマリオしたいマリオしたいっていうから、ダンボールででっかいファミコンのコントローラーを作って、それを弟にプレゼントして弟がダンボールのコントローラのAボタン押したら蓮田くんがジャンプするっていう。蓮田くんがマリオの役目を担うマリオごっこファミコン買えない代わりに兄弟でやってたって話をすごく覚えてて。それを覚えてたので、せっかくポケモン好きで、別にSwitch買えないくらい生活に困ってるわけじゃないんだから、それならやっぱSwitch買ってポケモンやるか、って流れで約20年ぶりくらいにポケモンやることになりました。

 

※前提(建前)として、とりあえず息子がゲームやるのは休みの日に1日2時間までみたいなルールでやっていくので、あまり変な詰まり方をして全然進まないのはストレスになると思うので俺が先回りして全クリしておこうみたいな感じでゴリゴリプレイしてます。

 

ほんで、まぁ一言でいうと超面白いね。最初の3時間くらいは結構かったるくて「あーもうやっぱ、ゲームするのしんどいな、RPG無理やな」思いながら仕方なくやってたんですけど、ちょちょいとハマらせてくれますね。

まず、めちゃめちゃブランクがあるから余計なんですけど、知らないポケモンに出会うの超楽しい。全然知らんポケモンに初めて遭遇して見た目からタイプを予想して憶測でこうげきを仕掛けるの超楽しい。いつものようにねむりごなで捕獲しようとした時に相手のとくせいでねむりごなが効かなかった時とか超楽しい。ホゲータはどんな最終進化になるんだろうと頑張って育てて思ったのと全然ちゃう感じになってしまったの超楽しい。なにあの最終進化?「ポケモン(人間と心を通わすことができる動物よりももう少し高い知性を持った生命体)」としてはむしろ進化じゃなくて退化してない?フィールドに放って野生のポケモンの群れ襲わせてる時本当に怖いんですけど。後ろ姿も「そんなにポケモンが憎いのかウルトラマン」みたいになってるし。まぁ愛着が湧いてきたら格好いいんだけどね、この下りまじで最初にホゲータ選んだ人にしか伝わらん気がする。あと、「お前、絶対進化するよな!?信じてるぞ!?お前は絶対一回は進化してそこそこ種族値が高い複合タイプのかっこいいポケモンに進化してくれるって信じてるからな!?」って思いながら育成するのも20年ぶりで楽しかった。まぁ、ガケガニなんですけど。ガケガニ絶対進化するやろ思ってもうレベル40になってるからたぶんこいつ進化しないじゃん、みたいな。攻略サイトとかTwitterとか一切見ないでプレイしてるんで本当に純粋にそういうのが楽しくて。なんかそういう赤緑でエレブー一生懸命育ててたこととか思い出せて、そういうのもすごい楽しい。ガケガニはたぶん他のやつとレギュラー交代検討してもいいと思うんだけど、とくせいのぼうぎょ系が下がってすばやさとこうげきが上がるやつが強敵との戦闘で「せめて死ぬ前に向こうも一人殺す」を完遂してくれて助けられた経験が多いので最後まで連れて行ってやりたい気持ちになる。こういう感情移入をさせてくれるのも、本当にポケモンの素晴らしいところだと思う。ステータス値や性能で最適解を取るみたいなプレイをしがちな自分が愛着を優先できるのって自分でも新鮮で楽しい。

あとなんだかんだポケモンの捕獲は楽しい。レギュラーはだいぶ固まってきたし、本当にストーリー最短クリアを目指すなら数合わせのしょぼそうなポケモンなんか放っておいてガンガン進んじゃえばいいはずなんだけど、やっぱ知らんポケモン見つけたら捕獲したくなっちゃうもんね。今回は歩いてたら突然ででーんとポケモンに襲われるランダムエンカウントじゃなくて、フィールドにポケモンがウロウロしていて接触すると戦闘になるシンボルエンカウント方式を採用してるから余計だよね。次の目的地目指してる時に視界の端に見たこと無いポケモンがいるとやっぱり近づいて捕獲したくなっちゃう。知らん生き物見つけるのって楽しいんだなという原始的な感情を思い出させてくれてやっぱり楽しい。

昔だったりあんまり感じなかった面白さとして、基本的にはストーリー最短で攻略するためになるべく穴のない色んなタイプに対応できるフルアタッカーのポケモンをスタメンに置いてるので、自分より弱いポケモンを捕獲するみたいな器用なことできるやつが全然いない。結果として、蝶みたいな姿をしていて中途半端な攻撃力でひこう技とエスパー技とむし技とねむりごなを持ってるビビヨンが道中の捕獲を全部一手に引き受けてるの大変そうでおもろい。ビビヨン打たれ弱いから必死に打たれながら頑張って初めて見たポケモンを弱らせて捕まえて図鑑に登録していってくれてる。ジム戦とか大きなバトルでは一切活躍してないけど、道中で地道に活躍してくれてる。「よし、ここらへんのポケモンだいたいゲットしたかな?」ってなったら主力ポケモンに先頭を交代されて、その主役のやつらがちまちまバトルするんじゃなくてフィールドを縦横無尽に駆け回って野生のポケモンを蹂躙していくのをひっそりと見守るビビヨン、まじ不憫。自分がチクチクダメージ受けながら徐々に弱らせて捕獲していたポケモンたちを我が物顔で蹂躙していく主力ポケモンたち。モンスターボールのなかでボロボロのビビヨンはきっとこう思っているはずだ、「俺だってその役割を与えられて、もっとダメージソースに特化した技構成にしてもらえたら同じようにできるんだぞ」と。なんかそういう、駆け出しのまだ人数も少ないベンチャーのヒューマンリソースとか広報担当という名の雑用をやらせてる創業メンバーっぽさがビビヨンにはあって愛らしい。実際ビビヨンは一番最初の進化前から一緒にいるほぼ創業メンバーだし。やっぱこういう感情移入といか愛着が湧くのはとても楽しい。

 

ストーリーとか世界観設定も令和~と思いつつ素直にいいな~と思う。学校が舞台って最初見た時は「なんすかそのハリーポッターに寄せた感じの(笑)」とちょっと冷ややかやったんですけど、プレイしてみると赤緑のカントー地方が今から考えると異常だったんだなーって感じがしますよね。だって、ポケモン一匹渡して「よっしゃ、じゃあ行って来い」って今考えると相当おかしいですよね。

 

マサラタウンから でていけバイバイ お前はこいつと旅に出ろ(ネグレクト!)

 

みたいな感じじゃないですか。ほんで、その後わりとガチ目のマフィアと一人で抗争することになりますからね、赤緑の主人公。普通に負けたら殺してきそうなマフィアと一人で戦う感じになってるんでよく考えたら色々ダメだろ。アニメだとさすがに心配すぎて最初の方のジムリーダーついてきてますからね。赤緑も金銀もライバルの性格がめちゃめちゃこじれてたんですけど、あれもやっぱ大人のフォローが無かったからなんやなーとか頭をよぎりますし、色々冒険してるまだ道半ばですけど、本作の「大人に見守れてる感」って昔のポケットモンスターにはなかったなーと思って素直に時代の変化を感じる。

あと、それでいうとジムリーダーもいいですね。みんな副業持ちというか、たぶんもう片方が本業で片手間というか副業か趣味かの感じでジムリーダーやってる雰囲気、俺こっちの方がしっくり来るなーと思った。それがどれだけ多数の意見なのか知らないけれど、Twitterで「ジムリーダーが本気で戦ってない感じが嫌だ」みたいな意見も見かけたんですけど、俺はこれくらいのゆるい感じの方がいいなーとむしろ思って。むしろ、最初の方の頃のジムリーダーってみんな闘志剥き出しで俺は負けないぜ!って本気で言ってたわけですけど、じゃあタケシもカスミもマチスポケモンバトル舐めすぎやろっていうレベルのポケモンだったわけじゃないですか。お前らそれ本気?それが本気でポケモンバトルにプライド持ってるんだったらお前アホすぎるやろみたいなことは当時小学生ながらに思っていたんですけど。今回のポケモンのジムリーダーのノリは「あくまで試験官として、相手の力量にあわせた戦いをして相手を試している」みたいなところが強調されていて、「本当はもっと強いよ」というリアリティと「そういうふうに有志のクラブ活動の顧問として後輩を見守ってるんだよ」みたいな安心感があって、これも良いんじゃないかなーと思いました。ポケモントレーナーを本職としてポケモンバトルを生業としている奴らが主人公の成長過程にあわせて弱いよりかは、こっちの方がよっぽどリアリティがある。ので、小学生の頃から思っていたポケモンのジムリーダーへの不満が解消されたので嬉しかった。あと、試験官としての役割で手加減してるんだよという設定があれば本編クリア後に本気のジムリーダーと戦えそうだし。これはたぶんあるでしょ。64のポケモンスタジアムでめっちゃ強いカスミのスターミーとかと戦えた記憶がうっすらあるし。

ジムリーダーのなかでは特に、居酒屋で戦うサラリーマンのジムリーダーはめちゃめちゃいいなーと思った。YouTuber的なジムリーダーもやっておく一方で、毎日出勤して毎日疲れてくたびれてて自炊する元気ないから居酒屋で毎日定食食ってるサラリーマンをジムリーダーに設定するというのは「コロナ禍!リモート!リモート!」と騒がしい現代において英断は言い過ぎだけど「めっちゃいい!!」となりました。これは僕もサラリーマンをやっているからなのかもしれませんが。そんな感じで、ジムリーダーの多様性、めっちゃ良い。でもそういうテーマならせっかくだし、有志のサッカー少年団のコーチのおっさんとかめちゃめちゃ怒鳴るヤバいおっさんしか名乗りをあげないのが常なので、そういうヤバいおっさんを優しいポケモンの世界にも一人欲しいかな。そういうタイプのジムリーダーがこの後出てくることをめちゃめちゃ期待しています(絶対出ないやろ)。

 

とか言ってるあいだに日記とか言っておいて5,000字だな。切り上げるか。

まぁ、やっぱ面白いねポケモン。なんかこう、大人になるとちょっと変な視点で、「全世界の子どもたち大人たちに夢を見させるために賢かったり色んな技術を持ったりしているたくさんの大人たちが集まって、カネと時間をかけて全力で作ってるぜ」っていうのを浴びるだけでなんか感動しちゃうよね。ストーリー進めるなかで2回くらい負けたかな、その負けた後にさーどうすっかなーって考えてる時にも「自分に何が足りないか、どうすれば前に進めるか、何をどう補えばいいのか」をすごく考えさせる仕組みになってるなーと思って感動してちょっと泣いてしまった。未知に挑んで発見と喜びを得る、チャレンジと報酬の繰り返しというゲームの本質を本当に味わってるなーっていう感じがして楽しい。

 

あと、オープンワールドもいいよね。最後にやった3Dのゲームがワンダと巨像PS2グランド・セフト・オートのどっちだったっけなおじさんには地図全然読めなくて大変ではあるんだけど、人間とポケモンが共に生きる世界っていうのをリアルに立ち上げてる努力はすごい。その結果フィールド広大すぎるけどこれ移動どうすんだよという部分をコライドン・ミライドンで解決してみたものの、今度はポケモンをフィールド上においてシンボルエンカウントという方式を採用したせいですんげえちっちぇえポケモンがすこらへんウロウロしてるの。コライドン・ミライドンお前らそんなん蹴散らせよ!踏み潰して進めよ!みたいなサイズのちっちぇえポケモンにいちいちコライドン・ミライドンが驚いて戦闘が始まるの。実際「これめっちゃテンポ悪いっすね」って開発してる人らのなかでなったと思うけど「まぁ、仕方ないよ、ね!」でこの感じになってるんだと思う。でもまぁそれでいいんだと思うよ。ポケモンは走った勢いのままにポケモンを蹴散らしたりしない。出会って戦うことになったら、4つのわざを順番にぶつけ合って決着をつけるんだ。それが人間とポケモンが共存する優しい世界だし、それをリアルに体験できてるポケモンSVめっちゃ楽しい。

 

それはそうとして、図鑑に食用と明記されてるポケモンめっちゃ多い。

 

またクリアした頃に書きます。

 

以上です。

マイナビ子育てさんにインタビュー記事が掲載されました

woman.mynavi.jp

 

マイナビ子育てさんのオススメ育児アイテムを紹介する企画にインタビューという形で参加させていただきました。

 

編集の方とは先日とある格闘トーナメントの準々決勝で対戦しており、その際に僕が息子をヌンチャクにして闘っていたことから育メンであることがわかりお声がけいただくこととなりました。僕が竜巻旋風脚コマンドで出す、ちっちゃく前方にジャンプしながらヌンチャクである息子を地面に叩きつける技がしゃがみガードを潰す中段攻撃であることがすごく鬱陶しかったそうです。僕はその後、準決勝で谷原章介さんとの育メン対決に挑み辛くも敗れることとなりましたが、せっかくなのでめざまし8からもインタビューのオファーが来ないかなと思っています。比較的まともな内容のインタビューの紹介が照れ臭いのでバランスを取るためにすごく馬鹿なことを書いていますが、この段落は編集の人に「やめて……」と言われて後で消す可能性があります。

 

育児の話ってすごく苦手で、僕は「よそはよそ、うちはうち、よそをうかがいながら正解を確かめて安心しようとするやつも嫌いだし、よそを見て自分はまだ大丈夫だと確認するやつも嫌い」という性格なので育児関連の話題あんま向いてないなと思ってるし、今いざ書いてみるとそんなめんどくさいやつは育児云々の問題じゃなくてどんなジャンルの話題でもめんどくさいから何をやったってダメだろと思いましたが、そんな感じなので具体的に真面目に何かをオススメすることなんて誰かからお話をいただかないとなかなか機会がないので珍しい経験をさせてもらったなと感謝しています。

 

記事でも紹介させてもらってる『MAPS』は本当に面白い絵本で、まあ普通に楽しい絵本です。子供を持つ立場になって思うのは、基本的には子供を持った持たないで価値観が変わっただの変わらないだの洒落臭え親になって一人前とか親になって世の中の見え方が変わったかそれまで何も考えてなかっただけじゃねえかと思う考え方はあまり変わらないのですが、それでも自分が老いて死ぬまでを考えるだけじゃ足りなくてそのもう少し先の未来まで老いて死ぬまで生きていく子供のことを考えるというぶぶんは正直あります。

具体的には、日本ってどうなるんかなー、とかです。全然具体的じゃないじゃん。

自分のことだけ考えるなら「日本はどうなるかわからんけど俺はなんとか寿命が尽きるまでは逃げ切って生き延びるぜ」とかでいいんですけど、次の世代を生きる子供のことを考えると逃げたかったら逃げられるような、それが選択肢として視野にあるような感じの方がいいのかもしれんなーと思って、英語教育とか世界のことを学ばせたいとか考えているところはあるのかもしれない。少なくとも僕は英語もできないし、大人になるまで国外のことについて大した興味を持ったことは無かったし、まあ別にそこらへんの教養を身につける機会がなかった自分の半生に後悔もないのだけれど(本当に後悔してるなら今からでも自分で頑張ればいいだけだしね)、せっかく今から転びまくって膝小僧を擦りむきまくるガキが身近にいるのなら、俺は知る機会のなかった「日本だけが世界じゃねえんだぞ」という感覚は幼いうちから当たり前に持っててもいいんじゃないかなーと思っている。別に日本が嫌いなわけでも海外に憧れているわけでもなく、泳げないより泳げる方がいいよねくらいの感覚で、子供には色んな情報に触れて育ってほしいなーと思う。

自分の子供にこうなって欲しいみたいな理想像は特にないし、むしろそういうのを強く願う親は血が繋がってようがなんだろうが所詮は他人に過ぎない子供に自分の何かを託しすぎだよと思って好きではないのだが、その子供が何を思って何に触れて過ごすかの決定権は強く委ねられてる立場にいるのが親であるという立場にあることからは逃げられないというか自分でそれを選択したのだから、まあ自分の人生をテキトーに面白くやっていこうと思うのと同様程度には考えていくのが良いんだろうなーと考えている。

なんか間違って堅苦しい話になってはしまったが、「よそはよそ、うちはうち」という前提を共有できるのなら育児の話を誰かとシェアするのは案外嫌いじゃないのかもしれない。まあ、人間社会が嫌いなだけで、人間嫌いではないからな。自分の子供に限らず、よその子供でも、子供は大人よりもより原始的な人間なので、原始的な人間の方が好きだ。だから、こんな子供がこんなんだ、みたいな話は楽しい気がするし、そんな子供はこんなものを面白がるんじゃないだろうかって話も楽しいし、そんな話をするのは俺が子供を原始的から社会的に変化しようと画策してて良くないことをしてるんじゃないかと悩むのも楽しい。

つまり、子供がいて初めてわかることなんか一つもなくって、そんなもんをあると言い張るのはもともとの浅慮なんだとそこは意地を張るのだが、もともと好きで楽しかったことが育児にもたくさんあるんだなぁとは思う。同様に、育児をしていてしんどいことは、育児をしてなくても別にある。

 

全然インタビュー記事の話はしてないけどそんな感じで、以上です。

「男も座っておしっこしろ」を子どもにも初めから教え込むべきかどうか

おーい!男の子のみんなー!!立っておしっこしてる〜〜!?

俺は原則、座っておしっこしてるし、それが令和の習わしだよ〜!!!!!

説明するとね、数年前まではね、これはインターネットで定期的に殺伐としていたポピュラーな話題なんだよ。

男の子は立っておしっこをすることもあるよね。公衆の男子便所の小用便器に座れって言われてもみんな困っちゃうもんね、どうやって座ればいいのってなっちゃうもんね?唯一考えられる選択肢は、初めて能力を覚醒した主人公が雑魚敵を倒した後に現れる夜の街灯の一番テッペンに頬杖をついて腰掛ける悪魔側の敵の幹部の登場シーンみたいに男子小便器のテッペンに腰掛けるくらいしか俺には思いつかないんだけど、そのポーズでおしっこをしても絶対おしっこは便器に入らないものね、便器に腰掛けておしっこする自分の目の前にSASUKEのそそり立つ壁みたいなスロープを設置しない限り絶対におしっこは便器に入らないものね。だから、男の子は小用便器の前に仁王立ちしておしっこをするし、男の子はみんな「立っておしっこする」ってことに概ねノークエスチョンなまま年少期を過ごすし、そのまま家の洋式便座でも立っておしっこしようとすることが一般的だったのが20世紀あるいは平成という時代だったのかもしれない。

しかし、一人暮らししてるなら好きにすればいいのだけれど、同居人がいたりするとそうもいかないのが難しいところなんだ。

女の人は基本的におしっこを座ってするらしいんだけど、その方が何もかも合理的であるがゆえに立っておしっこをする男の子への風当たりは年々増す一方だったというのが俺の考える人類の21世紀のこれまでの歩みについての総括だよ!21世紀もまだまだ長いしこれまでにも色々あったけど現時点で総括すると、そうなる。

洋式便器で男の子が立っておしっこをすることは百害あって一利なしであることに異論はない。飛び散るから便器の左右の壁が汚れる床も汚れると言われればそれは事実なので、返す言葉もない。そもそも狙いが外れて便器からこぼれてしまう、便器に引っ掛けてしまうなんてことも全くあり得る。「男も座っておしっこしなさい!」と言われたら僕はそれに反論する言葉を持たない。島崎藤村の破戒くらい謝るしかない。だから俺は家でも外でも男性用小便器でない限りは基本的に座っておしっこするし、これからもそうして生きていく。それがアップデートだ!10万馬力の令和の子!僕はそう思っていたのだけれど、ここに来て再考するに至ったのはトイレを覚えてオムツが外れた5歳の息子が最近トイレの失敗が多いことだ。

もちろん、もとより5歳の息子は座っておしっこはまだ難しいだろうので立っておしっこがデフォルトではあったのだが、最初の頃は親に見守られながら一緒にトイレに行って、ちゃんとできたね偉いね〜って感じだったのが、慣れてくると一人でできるだろと息子がおしっこに行きたい時に勝手に行かせてって感じに運用が切り替わっていくわけだが、そうすると後で別の誰かがトイレに行こうとした時に「あれ、トイレ失敗してるじゃん!」って発覚することがままある。

トイレの床にいっぱいおしっここぼれてるじゃん!て時もあれば、廊下にこぼれている時すらある。それもそのはず、息子はリビングを出た廊下を少し進んだところにある左手のドアを開けたトイレに向かって走るわけだが、リビングを出る時にはすでにちんちんを出している。二段階切り離し式のロケットシャトルで言えば「まだ成層圏!まだ全然成層圏だから!」くらいの時点でパンツを切り離してちんちんを出しているわけだから、目的地に着くより先におしっこをしてしまうのは当たり前といえば当たり前のことなのだ。

廊下におしっこをばら撒かれると掃除も大変だし気付かずに歩いているとあのカメとかカニとかを下から突き上げてひっくり返す一番最初のマリオブラザーズで途中から地面を凍らして床を滑りやすくして操作しにくくなるみたいな感じになって危ない。なので、我々はこの「息子が成層圏でちんちん出してしまう問題」について対処策を考えることとなった。

 

いや、今の下りマリオいる!?ふつうにフローリングが濡れると滑りやすくなるのを知ってる人間の人口はどう考えても一番最初のマリオブラザーズで途中から地面を凍らせる敵が出てくることを知ってる人間の人口より多いでしょ!?

 

で、真っ先に出てきたのが「もう今のうちから座っておしっこするように教える?」という案だった。座っておしっこすることを習慣づければ、成層圏でちんちんを出すのではなく、トイレに入ってからパンツを下ろして便座に座ってそしておしっこをするという一連の流れを覚えやすいのではないだろうか。

ゆくゆくのことを考えれば最適解はそれでいいはずだ。洋式便器は座っておしっこした方が掃除が楽だし、つまりはクリーンでSDGsだ。俺の生きた時代は立っておしっこする男の子に関する価値観の過渡期だったので俺は座っておしっこする文化を受け入れることに一定の努力が必要だったがもう今の時代なら最初から「おしっこは座ってするものなんだよ」と教えてもいいんじゃないか?俺の頭の中にもそういう考えは一瞬過ぎった。

が、果たして本当にそうだろうか。

かの天才科学者アルベルト・アインシュタインが遺したこんな言葉がある。

 

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションである」

 

俺が息子に授けるべきは「おしっこは男の子でも女の子でも座ってするものなんだよ」という常識であろうか?いや違う、男の子は立っておしっこすることもできるし座っておしっこすることもできる、女の子はもともと座っておしっこするしかない作りの形になっている。峰なゆかもエッセイ漫画でAVの撮影でトイレに座ってないのにおしっこするの身体がそんなの知らないから出なくて大変だったと言っていた(これは厳密には立ちション座りション関係ない、マジで全然関係ないけど思い出したから書いただけ)。そのうえで、掃除の手間とか汚れにくさとかそういうことを考えたら、座ってやる方が同じトイレを共有する人同士のあいだでのマナーとしてはベストだよね、というだけに過ぎない局地的な選択に過ぎない。敢えて局地的という言い方を選んだのは、立っておしっこすることにも一定の有益性があるからだ。例えば定期的に掃除される前提の不特定多数が使用するトイレ。男子小便器を有した男子トイレの回転効率が、座っておしっこをする前提の女子トイレに勝ることはわざわざ数字を以て論立てるまでもなく誰の目にも明らかだろう。宝塚劇場のトイレが男女で全然面積とか便器の数違うことからも、座りションと立ちションの回転効率の差は物理で埋めるより他なく、回転効率だけで言えば立ちションが圧倒的優位であることは間違いない。ちなみにこれもそもそも宝塚だと客層の男女比が違うというのはわかっててふざけて書いている。そして男子トイレの圧倒的回転効率が男子用小便器と立ちション文化により支えられていることもまた自明であり、ヨドバシカメラとか阪急百貨店でうんこしたくなった時に各階のトイレを巡ってみるもののどの階でも大もできる洋式便器の個室が埋まりまくっていて絶望すると同時に「こんなにうんこしたい人間が、同じ場所で同時多発的に発生しているんだ」と谷川俊太郎の『朝のリレー』を読んだ時みたいな感動を覚える。俺たちは一人じゃない。俺がうんこをしたい時に同じようにうんこをしたい人間がこんなにもたくさんいるし、俺が朝起きた時に一日を終えて布団に入る人間が地球の裏側にいる。うんこしたいだけでこんなに混雑して男も大変なんだから、個室しかない女トイレを使う人はきっともっと大変なんだろう。男は立ちションできるぶん、男子用小便器があるのでまだマシである。

つまり、何が言いたいかというと、別に立ちション最高!座っておしっこなんて女みたいなことができるか!とか、そういう話ではない。おしっこは座ってした方が良い。まあ男の場合は座っておしっこしてても油断すると、あのストラックアウトで真ん中の5番を囲んでるフレームに当たって一枚も抜けなくてわざわざそんなところに器用に当てないでも!?みたいな感じで、便器と便座のあいだにおしっこの軌道が入っちゃってめっちゃこぼれてしまう時もある。

二回目!?そそり立つ壁に続いて筋肉番付ネタが二回目!?

そういうこともあるけれど基本的には座っておしっこした方がいいけれども、トータルで言えば座っておしっこした方がいいことの方が多いけれども、「おしっこは座ってするんだよ、立っておしっこするのはダメなんだよ」と教えるのはアルベルト・アインシュタインが言うところの偏見のコレクションを増やすことになってしまうからそれはしたくないと思ったってことなんだ。座っておしっこするのが当たり前と言う常識を変に内面化して本当に立っておしっこできないようになったらヨドバシとか阪急百貨店とか行った時にマジで困るしな。ほんと、梅田ヨドバシと梅田阪急百貨店の個室の埋まり具合は、こんなに綺麗なオリオン座初めて見たなくらいの感動があるから。

 

「これが正しい形なんだよ」なんて教えたくない、色んなやり方があって、そのやり方の持ってる数は人それぞれで、だから一番ちょうどいいやり方を都度都度話して探すんだよ。常識とかスタンダードよりもそんなことを覚えていってほしい。だから、今はリバウンド王桜木の感じで立ちションをちゃんとできるように頑張ってもらって、ゆくゆくはシュートの練習は楽しかった感じで座りションを覚えていってほしい。

今日の我が家はといえば、トイレへと続くリビングと廊下をつなぐ扉に息子直筆の「といれのどあをあけてからちんちんをだす」という貼り紙が掲示されている。

以上です。