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『南極ゴジラの地底探検』感想文

あのー、みなさん演劇ってご存知ですか?

なんかね、まずチケットを買って、指定された時間に指定された場所に行って、そこになんかある椅子に座っとくんですよ。そしたらなんか目の前に知らん人らが出てきて、なんか喋ったり動いたりして、スマホの電源を切っておくように言われてるし座っとかんといかんので他にやることないしその、なんか目の前でわーわーやってる人たちを見とくんですよ、とりあえず。で、そのうちわーわーやってる人たちがいなくなって帰っても良さそうな雰囲気になったら席を立って帰るっていう。これを演劇って言うんですけど。だからまあ大体、演劇は、中学校の部活の顧問がなんかわからんけどめっちゃ怒ってる時のやつと同じですね。なんかワーワー言うてるのを黙って見てて、顧問がいなくなったら帰るっていう。ただ、部活の顧問がめっちゃ怒ってるやつと演劇とのほんのわずかな違いとして挙げられるのは、帰った後に入る自宅の風呂が旅行帰りの自宅の風呂みたいに心地よい。それを演劇って呼ぶんですけど、その演劇を久しぶりに観に行ったよ感想文です。

この、なんか場所と椅子を用意してワーワー騒ぐ人たちの群れのことを劇団って呼ぶんですけど、南極ゴジラっていう劇団があるらしくて、聞いたところによると某大学の演劇部の連中が旗揚げした劇団らしくて、僕もその某大学の演劇部のOBなんでよっしゃいっちょ指定の日時場所に椅子に座りに行こうか!てなって、行ったんです。『南極ゴジラの地底探検』。

まず初めに言いたいのは、めっちゃ面白かった。次に言いたいのは、コロナもあって2021年から僕の敬愛する悪い芝居という劇団が配信公演を始めていて、演劇を観に行くハードルの高さのひとつとして時間と場所を指定されてるところにわざわざ座りに行くというのが風呂入るのもモチベーション次第では億劫な人類にはベリーベリーハードなんですけど、配信とかやってくれるとカネさえ払えばいつでも家でもどこでも好きなタイミングで観れるので演劇を勧めやすいっていう利点はやっぱりあって、それで勧めて悪い芝居を4公演くらい配信で見て「芝居って面白いじゃん」ってなってくれた友人に一緒に観に行こうぜって声を掛けたんですよ、『南極ゴジラの地底探検』。彼にとっては初めての指定された椅子に座った目の前で人間がなんかワーワーやるのを観る体験です。僕たちは日曜日17時開演の千秋楽に座りに行ったんですけど、その前日土曜日の昼下がりに「暇やし今からエブエブ観に行こうかな」言うてて、俺は慌てて止めたよね。待て待て、めちゃカネかかったなんとか賞総舐めの面白いらしい映画を観劇初体験前日にスクリーンで観るな、と。そんなもん観た翌日に初めての観劇体験してもなんか昨日見た映画に比べたらしょぼいなってなっちゃうかもしれないじゃん、コンディション整えていこうぜ、と。それで彼も思いとどまってエブエブ観に行くのはやめて次の日に地底体験を一緒に観たんですけど、マジで止めて良かったね!!初手功夫まで被ってるんだから笑うよね!!脚本書いた人もびっくりしてるんじゃないかなあれ。知らんけど。

三谷幸喜っていうなんかひょうきんなおじさんが言ってたと思うんですけど、つまんない映画とつまんない芝居だと、つまんない芝居の方がよりつまんない。ただ、おもしろい映画とおもしろい芝居だったら、おもしろい芝居の方がずっと面白い、みたいな。そんなようなことを言ってたんです。演劇ってそうだよなって僕も思うんですけど、だからこそ演劇と人間の人生って本当に一期一会だなと思ってて、最初に出会った演劇がつまらなかったら「二度とわざわざ座りに来るかこの野郎」となるし、それが面白かったらハマっちゃう。演劇だけに限らない話ではあるけど、やっぱ演劇ってそういうもんだから、その点で言うと初めての観劇が『南極ゴジラの地底探検』なのは100点満点、演劇ってこんなに面白いんだぜってことをあんなに雄弁に伝えてくれる芝居はなかなかお目にかかれるもんじゃない、よかったよかった大正解。

 

はい、ここからやっと作品の感想文始まりまーす!!

 

『南極ゴジラの地底探検』、演劇愛が詰まってて最高だった。目の前に座ってる人がいて、そこでワーワーやってたら、みんなどこまでだって行ける、帰った後の風呂が最高になる旅ができるってことを雄弁に体現するお芝居だった。

物語としてのメッセージ性は後付けのついでに見えるくらい、とにかく目の前にいる人たちが芝居を楽しんでることが明らかで、まずそれに嬉しくなってしまいました。かましたるって言うよりも、楽しいよね楽しいねが前に来てて、かましに来られるとこっちも身構えて負けを認めるか認めないかみたいな感じになってしまうんですが、楽しいよね楽しいねで来られると無遠慮にこちらも楽しくなってしまう。

俺が座れと指定されたアートB1という場所も絶妙で、駅構内なんですよ、ふつうの京阪の駅なんで普通にピンポンって聴こえるんです、なんかわからんけど駅に必要な音。必要なかったら鳴らさないんだろうし。本来なら劇場の外の音というのは雑音に分類するのが普通なんですが、これがまた心地良くて。こいつらは、逆をどこか幻想の世界に連れて行きたいわけじゃなくて、「お前らは芝居をわざわざ観に来てる、俺たちは芝居をわざわざやっている、それで良かろう」みたいな潔さを感じて、楽しそうにわーわーやってる眼前の人たちに対して、俺も楽しいよと思わず声を掛けたくなった。

役者陣は本当にみんな一人残らず魅力的で、その魅力を十分に引き立てる脚本演出とも言えるし、役者が魅力的だからこそこんな脚本を書けたんじゃないかという、信頼関係というよりもシンプルにたぶんこいつら仲良いなというのも感じて、なんかすげー才能のやつの陣頭指揮のもと何かを作り上げようぜみたいなのが普通の古い世代としてはそこが一番自分のおっさんを感じた。何者かになりたくてもがいてお前らは知らない俺だけが知っているものを受け手に見せつけるのが作品作りだと思っていたけれど、「俺にはこんなにある、仲間も希望もぜんぶある」を朗らかに見せつけられているようで、本当に眩しかった。

瞬間が楽しくて、瞬間のために生きている。それを教えてくれるのは、脚本物語よりも目の前の役者たちだった。こんなこと思いつくのは初めてだが、唐十郎にこれ見せたらなんて言うのかなーと思って、その時点でめちゃめちゃすごい劇団だよ、南極ゴジラ

 

以上です。