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悪い芝居vol.18『メロメロたち』感想文

あのー、山崎彬っていう人の「悪い芝居」って劇団があるんですけど、もう初めて観てから8年とか経ってて、8年経ってもまだやってるからまだ観てて、やってる限りたぶん今後も観るから、じゃあたぶんずっとやってるから俺これから一生ずっと観るんだなって思ってるんですけど、例えば僕の中で甲本ヒロトってロックンローラーは永遠の近所のかっこいい兄ちゃんみたいなところがあって、子供の頃、小学生くらいの時って、近所にちょっと悪いところがまたかっこよくてでも全然気さくで面白くてかっこよくて最高にイカしてる高校生くらいの兄ちゃんとかがいたりしませんでした? いや、俺も書いてて、いや、いたか?俺が小学生の時にそんな兄ちゃんほんとにいたか? ってちょっと思いながら書いてるんですけど、概念としてそういう近所の兄ちゃんって頭の中にいません? 概念としてしか存在してないのは、もしかしたらずっとかっこいい兄ちゃんで在り続けることって難しくって、大人はつまんないみたいなことを言いたいんじゃ別にないんだけど、やっぱかっこいい兄ちゃんがどっかで普通の兄ちゃんに見えちゃう瞬間ってのがあって、それは仕方がないというか、もしかしたら兄ちゃんは全然かっこいいまんまでこっちがガキで馬鹿だからかっこよく見えなくなってるだけなのかもしれないけど、どうせガキだからって開き直って言うとそれでも騙し続けて欲しかった、俺にとっての「かっこいい」で在り続けて欲しかったみたいな勝手でわがままな思いがあって、やっぱりその時に俺はどっかでがっかりしちゃったと思うんだ。で、そう思った自分に気付いた瞬間、近所のかっこいい兄ちゃんっていうのはかつて実際にいたはずなんだけれど、普通に見えちゃった瞬間から向こうこっち側にはもう存在できなくなっちゃってるから、概念としての「かっこいい近所の兄ちゃん」だけが僕の頭の中に残ってて、僕はそういう存在に一生憧れ続けるんだなーみたいな感覚があるんだけど、甲本ヒロトというロックンローラーだけはまだ俺の中でかっこいい近所の兄ちゃんのままなんだよね。ずっとかっこいいまんまで、このまま一生俺のこと騙しきって欲しいなって思ってる。いつでもどんな時でもスイッチを入れろよ。そんときは必ずお前、十四才にしてやるぜ。そう言われたことを俺は今でも真に受けている。真に受け続けている。

甲本ヒロトと僕が出会ったのは十歳のときで、十歳なんて馬鹿だから最初から手放しに信じきっちゃってそれから二十年とか経ってとんでもないことに今でも信じちゃってるんだ!っていう緊急事態がたぶんこれからもずっと続いていくんだけど、最近考えるようになったのは、というか実はだいぶ昔から内心わかってて、ほんとはわかってるからそういう風に動くけどそういう風に動くだけで怖いからあんまり考えないようにしてきたことで、でも最近なんか考えようとしてみることができるようになったことで、信じるのってすごい怖いよねって思う。例えばは誰でもいいんだろうけど、例えば清原とか捕まっちゃってさ、信じてた人は本当にショックだったと思う。信じるってこと自体が随分身勝手な態度ではあるんだけど、それでもやっぱ勝手に信じてた側からすると裏切られたらたぶんそれはめちゃめちゃショックで、めちゃめちゃしんどいんだろなと思う。それは俺だって誰だって、例えば近所のかっこいい兄ちゃんが普通の兄ちゃんになっちゃった瞬間とか、絶対なんらかの形で経験してて、それでいつからか別に信じなくったって、私は、あなたと、何かにだってなれるさ、なんて考えるようになって、それは半分かそれよりもう少しくらいは事実で、人とのつながり方って「信じる」だけじゃないし、なんでもかんでも信じるなんて生き方じゃ実際身が持たないとも思うし、けどやっぱどっかで信じたいって思ってる。俺はとにかく色んなものを疑い続けて疑うことで見えてくるものがあるから今度お前ら試してみ、「これご飯かぁ?」って疑いながら噛む米すげえうまいから。だから僕は色んなものを疑いに疑いまくって生きてるけど、たぶん俺はほんとは信じたいなと思ってる。それはある対象を神格化したいとか盲信したいとかってことじゃなくて、信じることを信じたい。信じるに値するかどうかって話じゃなくて、信じるってことを俺はできるんだってことを俺は信じたい。みたいなことを最近考えられるようになって、考えていたところに、悪い芝居がまたなんかやるよって言うから、またなんかやるんだと思って観に行ったんだけど、それを観て、なんか泣けて、そういえば俺、悪い芝居をもう8年とか観てて、作品は毎度面白かったから未だに通ってるってことなんだろうけど、そういう作品どうのとはまた全然またちょっと離れたところで、あんまり言葉にして考えないようにはしてたんだろうけど、ずっと、悪い芝居と山崎彬って人のことを「もしかしてこの人は信じていいのでは?」「いや、やっぱ信じられんな」「この人は何かを信じようとしてるような気がするぞ?」「じゃあやっぱ信じていいのでは?」「いや、本当に信じているか?」「何を信じてるんだ?」「いやでもやっぱ信じていいのでは?」みたいなことをたぶん頭の片隅じゃなくて心の片隅でたぶん俺は毎度毎度ぐるぐると考えていて、それで今回また一年ぶりとかに公演に足を運んで、観て、悪い芝居っていう劇団名は「悪いけど、芝居させてください。」の略なんですけど、俺は、「悪いけど、信じさせてください。」と思った。『メロメロたち』という、バンドと音楽と戦争のある日常にまつわるお芝居でした。

悪い芝居vol.18『メロメロたち』 - 特設サイト

いや、悪い芝居の公演は行くたんびにブログに感想書いてさ、ツイッターでも騒ぎまくってさ、面白いから絶対観に行け絶対観に行けってずっと騒いでて、一生のお願い一生のお願いだから観て!絶対面白いから!なーんつって11枚綴りの一生のお願い券また使ってるよあいつみたいな感じでやってたらさ、やっぱもうそれをブログ始めてから3年とか4年とかずっとやってるから、ツイッターなんかでも見知ったアカウントが悪い芝居観に行ったとかつぶやいてたりするわけですよ、まぁ実際俺が騒いでたから観に行ってんのかよくわかんないけどね、でも悪い気はしないじゃん、えへへへへへってなもんじゃない。だから応援隊長じゃないけど、そんなのもっと隊長格の奴なんぼでもおるわ、だから何?応援番長?誰もが誰かの応援番長じゃないですか、だからこれからも応援番長としてどんどん煽っていくぞって思ってたんですけど、今回の『メロメロたち』はちょっと面白すぎてすごすぎて全然手に負えないぞ、これでブログ俺書けないよってなっちゃって。暇で興味ある暇はこのブログを「悪い芝居」で検索して過去の感想文見てくれたら分かると思うんですけど、すごい煽ってもう俺の中での第一の目的が「観に行きたくさせること」なんですよ。もちろんそこに書いている俺の感想に嘘偽りはないんですけど、それよりも如何にネタバレもないまま「なんだかすごそう」と読んでる人に思わせるかみたいなことに意識を向けていて、一回観てくれたら「すごかった」ってなるはずだから、悪い芝居と山崎彬は絶対そうしてくれるはずだから、俺はなんとか一人でも多くの人間の足を運ばせてやろうみたいなことを考えてて、応援番長だから。で、なんかこういう書き方してたらさ、なんだとっくに信じてたってことじゃんとか思われるかもしれないけど、たぶんそうではなくて、そういうただ芝居のことを思う以外のブログ読んでる人への意識を混ぜようとするのはどっか俺の中で照れがあって、それは信じきれてなかったってことだと思うんだよね。でももう今回で、完全にやられちゃったから。「悪いけど、信じさせてください。」ってなっちゃったから。そしたら今度はさ、しんどいわ!ってなって、いつもの感じの読んでる人煽るみたいな感じで書くのしんどいわ!ってなっちゃってさ、ただのファンとして書かせてくれよ!って俺の中でなっちゃって。「いや、お前もともとただのファンだよ!」ってのはわかるけどなーんか俺の中でそうなっちゃってさ。だからもういいやと思って、今回は諦めたと思って。もうなんかそういうのうまくできないから、今回は全公演日程終わって、ネタバレに配慮する必要もなくなって、「観に行け」って叫ぶ義務なくなってから書こうと思って。もともとそんな義務ないけどね。で、終わってもうしばらく経ったからさ、そろそろ書こうかなって思って書いてんのがこれ。もう3500字書いてるけど、ネタバレのネの字も出てないからね。まぁこれを読んで観たかったなって思う人いるのかはよくわかんないけど。でもすごくない? このこっ恥ずかしい文章を30のいい大人に書かせるって、演劇ってすごいと思いませんか? 僕はとてもすごいと思います。だから、今回の今書いてる文章はあれだよね、ライザップ的なやつだよね。商品の説明はしないよ、『メロメロたち』という作品の内容紹介とかは今のところ全然してないんだけど、『メロメロたち』を観たことでこんなに痩せましたみたいな。ズイショさんこんなにおかしなことになってしまいましたこいつなんかほとんどラブレターみたいなことインターネットに書いちゃってるよ本当どうかしちゃいましたみたいなビフォーアフターを見せる感じだよねまぁこのブログ、ビフォーも大概なもんだけどな。もう今回はこんな感じで仕方ないわ。だってそれくらい面白かったんだもん、もう本当にシーンのひとつひとつがかっこよくってさ、概念しかない近所の兄ちゃんみたいなホントは一回だって見たことないくせにさ、なぜか「また見たいな」って思ってた ような気がする 俺の頭の中にあった ような気がする 風景が目の前に次々現れてさ、初めての懐かしさみたいな心地よい矛盾をずっと感じてた。生きてる心地しかしなかった。ずっと観ていられると思った。実際は一回しか観てないんだけどね。いやーでも別にできるだけ早く観て早く感想書いて観たいと思ったやつが観に行ける確率少しでもあげようって理由なわけでもないんだけどさ、毎回割と前半の公演開始してすぐくらいに観に行くことがほとんどなんだけど、これは千秋楽も観たかったな~、いやこれは大体毎回言うてんねんけどね。千秋楽観てない時以外は大体毎回言うやつなんだけど、それでもやっぱ千秋楽観たかったな~とか言いたいよね。芝居ってやつはさ、公演をしている間中何回も、本番の回数だけ、その役がその役のその人生のその役を、生き直し続けるんですよ。別に終わりでその役のキャラクターが死ぬってことじゃないよ。生き直すんだ。生きて、生きて、また生きる。それを何回も繰り返して、千秋楽、一番最後の初めてをまた生きるんだ。それを観たかった。ただ僕が観なかったところで、きっとその役は確実に生きたんだろうし、そして公演が終わってもまた何度でも生き続けるんだけど。「みなさんの心のなかで生き続けます」みたいなのさ、なーに言ってんだバーカって思うじゃん。でもあれってほんとだから。まじだから。一回最高の芝居に出会ったらマジだってわかるから。昨日もこの劇場で生きてたらしくて、明日もまた初めから生きるらしてくて、日によっては二度生きて、そういう風に千秋楽まで生き直し続ける人たちが、目の前で生きてたら、まじじゃんって一発でわかるから。そして、そのことを知らない人は、そのことがどれだけ頼もしいことかきっとまだ知らない。『メロメロたち』はそのことが完全にわかる、わかりすぎる物語でした。最高に面白かったので、僕は糞ガキになってしまいました。だからごめんなさい、次回からはちゃんとした感想文書くから、いやでも本当は、次回もちゃんとさせないでください。なんか、ライザップ的には、そんな感じです。

ちなみに今後の悪い芝居はというと、9月から10月にかけて、以前の作品の再演『春よ行くな、』を京都と東京でやるそうです。もちろん僕も観に行きます。3年前の初演も観てますがこれもまたすごい面白かったので今から楽しみです。「なんなの、そんなにすごいの?」って思った人はちょうど明日8月6日からチケット発売とのことなので、これを機会に是非足をお運び下さい。あと、最近のバンド生演奏やってる悪い芝居を観て「なるほど、こんな感じね」と思って終わった人は、僕がいつもの一生のお願いを使うので、もう一回だけ観に行きましょう。賑やかでガチャガチャ騒がしくって笑えて馬鹿で泣けて、みたいな作風だけではないんですよ、悪い芝居は。ということがわかるはずなので。なんかまー、そんな感じで、なんかほんとすいませんでした。次からはちゃんとします。しません。以上です。