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名前と機会と交差点

生まれてきた息子には明らかにちんぽがついていたのだが、わざわざ男とも女とも取れるような名前をわざわざつけた。ちんぽのあるこいつの中身が男でも女でもそれは俺にとってどっちでもいいし行く先々においてちんぽを取るも取らないも好きにすればいいのだが、どちらにせよ折角親としてつける名前なのだから、どうせなら最期まで名乗り続けて欲しいからくらいの理由で、男でも女でも成立するような名前になった。

出産祝いに俺の妹が絵本を贈ってくれた。

小さな子供が自分の名前を忘れてしまって眠れない夜にベッドの下に潜り込むと、そこにはよくわからないへんてこな世界があって、そこを旅しながら色々な動物やらなんやからアルファベットを一つずつ分けて貰っていって、やがてその子供の名前を完成させて家に帰って眠るという内容のオーダーメイドの絵本だ。カメレオンからはCをもらい、カバからはヒッポの頭文字のHをもらう。そんな調子で自分の名前を集めていく、そんな物語だ。外国発の絵本が日本に輸入された形なのだろうが、表紙には主要な登場キャラクターが勢揃いしているがその中には明らかに火の鳥としか思えない燃えてる鳥が紛れており、フェニックスのPは日本版ではほとんど活躍の機会がないだろうと思ったことを覚えている。

それから息子は車に撥ねられることもなく、車の中で蒸し焼きにされることもなく、順調に4歳くらいになって、まあ死ぬときは笑えないくらいに呆気なく死ぬのだろうが、今や今のところやすっかり走るし喋るし毎日忙しないのだが、そろそろアルファベットも理解しているのでちょうどいいのではないかと思い、その4年前に贈られた絵本を初めて読ませてみることにしたのだ。

飯も食べて風呂にも入ってあとは寝るだけの息子は眉をひそませながら絵本を読み聞かせされ、うとうとしながら1度目の読み聞かせを聴き終えるともう一度読んでくれと促し、2度目の読み聞かせを聴き終えるや否や、息子は倒れ込むように寝た。そうして俺は四年前を思い出した。

我が息子の名前を考えて、我が息子が生まれ、我が息子が我が名前を集める絵本を贈られ、その時に感じた感動はまあそれなりにはあったのだが、当時生まれたばかりで乳首を吸うか泣き喚くしか能のない息子を見ると「こいつこれわかんねーからな」と思ったものだ。この絵本は、0歳の息子を迎え入れた俺ら親如きが面白がれるものに過ぎず、息子本人にとっては全く不要なものだなぁと思ったそれが4年前だった。

そしてそれから4年が経って、息子は自分の名前を集める絵本を面白がって読めるように、やっとこさ辿り着いたのだ。

色々もらった出産祝いの中で、妹の贈ったこの絵本こそが、一番、役に立つまでに、本人に届くまでに時間がかかった。

それを俺は咎めるつもりも起きなくて、これくらいがふつうなのだろうと思う。

届けたい人に届くのはいつだってずっと後だ。後ろを振り返れば誰しもにきっと誰かがいて、その人があなたを思うあなたの思うところに辿り着くのはずっと後だ。祈るように、こうべを垂れるように、僕たちは生きることしかできないし、僕は僕に届いた無数のあの時のあの無責任なあの言葉を思い出しながら、いつ届くかもわからない言葉を、喚き続けるしかないんだろうと思っている。

以上です。