←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

急進的な表現規制・ゾーニングへの意思は、情報媒体に対する人間の敗北宣言かもしれない。

えー、最近引っ越しましてね。分譲のマンションなんか購入しちゃいましてね。当然僕みたいなしがないリスの殺し屋さんの仲介屋じゃあ新築タワマンなんてとてもとても手が出なくて、中古の物件で建物自体はけっこう古いんですけども、フルリノベーションしてるんで中は新築同然でなかなか気に入っております。築年数?2000年。屋久杉じゃん。

ちなみにリスの殺し屋の仲介ってのは、もともと僕の前職がペンギンにベルトローラーの上を延々歩かせてですね、実はそのベルトローラーの中にあるのはローラーではなくて裸の政治家っていういわぬる闇風俗の運営をしてまして、ペンギンにめちゃめちゃ恨まれてたんでリスの殺し屋さんに命を狙われちゃったんですよ。で、僕は苦し紛れに僕の命の値段はいくらなんだってそのリスの殺し屋さんに聞くとですね、もちろんこのリスさんは葉巻をくわえているんですけども齧歯類の分際で、俺の命の値段はいくらなんだって聞くとですね、どんぐり120万個分だって言うんですね。え、俺を殺す報酬がどんぐり120万個分!?と思って、120万っていう数字は大きいような気もするけど、言うてどんぐりだし、それって俺の命の価値ってどうなのよと思ってとりあえず一回リスの殺し屋さんにどんぐり120万個ってどんなもんなのよ?て聞いてみたら俺の20匹の家族たちが1年は楽しく暮らせる量だって言うから、あーまーそれなら、うーん一人1ヶ月わかんないけど10万食費に使えたら楽しく生きていけると仮にそう考えてさ、それが20人で月200万?それが一年だと2400万?それならまあまあまあまあ、俺の命が2400万円て考えたら、まあ俺も全裸の代議士の上をペンギンたちに延々歩かせるっていう悪行をさんざん重ねてきた人間だからさ、だって偉い政治家の人たちがそれが興奮するって言うからさ!ビジネスチャンスだと思ってさ!だから、2400万円で殺されるのはもう仕方ないのかなーとも一瞬思ったんだけど、この試算人間でやってるんだけど、リスなんだよなーこいつら。だからダメ元で倍の240万どんぐり出すからって命乞いしたら、あっさり飲んでくれてね。リスも人間と変わらず現金なもんだねーつって、現どんぐりだねーなんつって、もともと俺を殺すよう指示した依頼主のペリカンを逆に殺してもらいました。なんでだよ〜!!なんでもとの雇い主ペンギンじゃねえんだよ〜!!俺の知らないところで、俺がさんざんこき使ってきたペンギンとそのペリカンの間で何があったんだよ〜。あと、それならもう鳥類の殺し屋雇えよ〜。ハゲタカの殺し屋とかいるだろわかんねえけど。そこで哺乳類に行くから金額でひっくり返されて裏切られるんだよ〜。金額っていうかどんぐりだけど〜。ちなみに240万個のどんぐりは仕入れてみたら10トンいかないくらいで、値段は900万円でした。だから、俺のリス経由で奪われる命の値段は450万円だったってこと?うーん、微妙!適正価格っちゃ適正価格な気もするわ!それで首の皮一枚で命をつないだ以降は、人間からの殺しの依頼を僕が仲介で受けて、報酬をピンハネをして、リスの殺し屋にどんぐりで発注して、生計を立てています。ペンギン闇風俗からは足を洗いました。

いや、びっくりすると思いますけど、僕これでもまずブログのタイトルを決めてこれの話するぞ!て思って書き始めて、この誰にも期待されてない文章を、どんぐりの重さとか相場とかをググりながら書いてますからね。なんで!?なんでそうなっちゃうかな。しかも、最初の「120万個のどんぐりで20匹のリスが1年暮らせる」っていう数字は完全な出鱈目なんで、今は「そこもやっぱここまでやったんならちゃんと調べて直した方がいいかなー、リスって一年でどれくらいのドングリを食べるんだろー?」ってググりたくてソワソワしてるの。ググらなくていい!!ググらなくていいの!!なぜならすでに1500字も書いてるから!

そういうわけで、どーも、ご無沙汰してます、ズイショです。

話は戻るんですけど、引っ越しまして、そしたら近所に昔ながらの商店街みたいなんがある町でして、休みの日とかプラプラするのね。そしたらさ、本当に「あー、まだあるところにはあるんだねー」て感じの個人でやってる小さな小さな書店を見かけてさ、表に新しいジャンプが出てたから、「あ、コンビニじゃなくてこういう書店でジャンプ買うのもなかなか乙なもんだね」と思って、ジャンプ持って入店したのね。中はたぶん10畳あるかないかの本当に小さなお店。埃の被ったなんなら少し色褪せたベルセルク全巻が陳列されてるような、そんなお店。

入ってまずびっくりしたのはさ、入ってすぐの本当の真横、入り口すぐの本棚がさ、18禁のエロ漫画コーナーでさ、「それってどうなの?」とは思うわけ。まあでもいいかと思って、本当に小さな店内を1分もかからずグルっと回って、で、入り口すぐの右壁面がエロ漫画コーナーで、もう片方の左手にジジイが一人レジの前でちゃちい椅子に腰掛けてるの。お前1日何時間そこ座ってんだよ、もっとなんか、ヨドバシのゲーミングPCコーナーとかに置いてある良い椅子に座れよと思いつつ、笑うけどね、小さな潰れかけの町の本屋さんのジジイがゲーマーが買うようなイカツイチェアーに座ってたら笑うけど、ジジイにとりあえず話しかけて談笑してさ、「鬼滅、どこ行っても売り切れだったのに全巻あるんですね」って言ったら「重版が今日入ってきての、うちなんか底辺やからワンセットしかおろしてもらえんかった。◯◯さん(この店から徒歩5分くらいの近所のそこそこでかい街の本屋さん)行ったらよーけ平積みされとるはずやで」ってジジイが返してくれたりなんかしてね。で、なんや世間話してたんで、ついでにせっかくなんで「しかし、ここにエロ本置くんですね、びっくりしましたわ入った時」って言ったら、エロ本の真向かいのレジに座るジジイは「まあ、わしがずっとここにいるさかいな」と答えた。だからじゃあもっと良いチェアー買えよ!!

なるほどな、エロ本は置く。どこかには置く。10畳あるかないかとは言え、部屋の真ん中にも背中合わせの本棚を置いて区切られていて、死角の多いこんな店で、この店にいつもいるのはレジ前に根を張ったようなこのジジイだけだ(良い椅子買えや)。そう考えると、ガキが立ち読みとかしようとした時にジジイが「あかんで」と言えるのは、この入り口すぐの真横しかありえないわけで、だからこの店のエロ本コーナーはジジイの真横の入り口すぐそばなんだなと理解した。入り口のすぐのところにエロ本が置かれているのはなかなか面食らうという捉え方もあるだろうが、このジジイはジジイなりにゾーニングしているのだな。

 

20年前だかそれくらいだかに、当時テレビバラエティに革命を起こしていたダウンタウン松本人志という男が、自分の番組に「子供に悪影響だから、あんなもんテレビに流すな」と全国のお父さんお母さんからクレームを入れられ、当時朝日新聞でエッセイを連載していた松本人志はその筆でこんなようなことを言い放った。

「お前たち親の影響は、テレビ以下なのか」

この問いに対する最終局面が今なのかなみたいなことを俺は思うのであった。

もちろん、20年前と今とでは事情がからっきしに違う。

あの頃は一家に一台テレビがあって、テレビはお茶の間で、家族で見るものだった。

それから間も無く子供は一人一部屋でテレビも一人一台が珍しくない時代がやってきて、今は誰しもが自分専用のスマートフォンを所有していて、大袈裟な言い方でもなく起きてる間中、せっせとせっせと自分の欲しい情報を摂取しながら瞬間瞬間を生きている。

そんな現代において20年前の松本人志の問題提起、「お前ら親の影響力はテレビ以下なのか?」言い換えるなら「お前ら人間の影響力は情報媒体以下なのか?」という問いに対して、我々はどれだけ真っ直ぐに、目を逸らさずに向き合えるだろうか。

我々はスマホやパソコンやインターネットやメディアやあれやそれやより、影響力のない存在なんかではないと胸を張って言えるだろうか。SNSを介しての人とのコミュニケーションがこんなに当たり前の現代において、我々は情報媒体にどんな感情を抱けばいいのだろうか。

手塚治虫なんかを思い出せば、わかりやすい気もしまさあが、「人間のつくったものが人間を追い越して、人間はそれに隷属するしかない」みたいなそういう未来の集団幻想を、みなさん多かれ少なかれ持ってますわな。あるじゃないですか、マザーコンピューター的な何かが?どこかのタイミングまでは人間の言うことを聞いてそれを踏まえて人間のより良き道を助言しようとしてるんだけど、どこかのタイミングからは「人間はもうダメだから私が全部決めます、人間は何も考えず私に従いなさい」みたいになるやつ、みんなまるで、デーモン族の記憶のように、なぜかどうしてかそんな物語を知っているじゃないですか。あのねー、こっからねー、マザーコンピューターにハッキングされた全国のスシロー勤務のペッパー君が、「お前ら人間はマグロなんか食ってる場合じゃねえ」とか言って口と手の甲からなんかペースト状で緑色の不味そうな完全食を垂れ流しながら、その不味そうな緑色の何かを街行く人々の口の中にねじこもうと暴走するっていうすごい面白い話を1000字くらいやりたいんだけど我慢するわ、最初のリスのでだいぶ離脱してるだろうから。どうしても聞きたい人は、TwitterでDMして!なんでだよ!そんな内緒の話じゃないだろ、スシローのペッパー君が暴走して緑色の完全食を人類の口にねじこもうとする話。ゾーニング対象でもないだろ。いや、それはー、ギリだなー。

まあ、なんかそういう、「人間が、人間が作ったでかい何かに隷属されるかもしれない」って話、全くSFじゃなくて、今まさに最初の最終局面だなって、ボロボロの椅子に座るボロボロの書店のジジイを見て思ったんだよね。そこにジジイが一人さえいれば、そこにエロ本が置いてあってもきっとそれは大きな悪影響にはならないんだ。あのジジイは、10畳あるかないかの小さな本屋の中で、本という情報媒体を相手取って、本という情報媒体を御して、本という情報媒体が誰かに及ぼすかも悪影響を抑圧しようと戦っているのだ。そんなジジイのように、俺たち人類は情報媒体と戦うのか?それとも情報媒体の影響力に対して、人類は、人類の群れとしての社会は太刀打ちできないと諦めるのか?そういう最終局面なんじゃないかと俺は考えたのさ。

もちろん、この話は昨今の表現の規制やらゾーニングやらなんやらの話があるのを前提に書かれている。

あの表現は誰を傷つける、誰に悪影響をあたえる、だからどこには出すな、どこまで引っ込め、どこにも存在するな。

それらの主張は回り回って、情報媒体に対する人間の敗北宣言にはなりはしないか?情報媒体にそんなことをやられてしまっては、そこから人類は悪影響を受けることから嫌が応にも逃れることはできません。それだけは勘弁してください、それだけは勘弁してください、私たちは情報媒体の発信する表現にコントロールされるほかないのだから、そんな表現で私たちをコントロールするのは勘弁してください。声高に叫ばれる表現を抑圧しようとする社会の蠢きが、僕には人間が何かにこうべを垂れて自ら隷属しようとしているようにも見える時があるのだ。

もちろん、これは、あらゆる表現の規制やゾーニングについての議論を根っこから否定して、あらゆる線引きを嘲笑したい意図でのオピニオンではない。それはそれで必要。それはそれで考えていくべきだろう。ただ、それだけでは解決はしないし、それだけが人間に今できることだと信じるのはあまりに人類が作ったでっけえ何かに負けっぱなしで、いかにも惨めったらしいじゃないか。

そこに情報媒体があって色々な表現を発する。それに対するリアクションを僕たちは選べないから、不快な表現は私の目の前に現れるべきではない。違うだろ。私たちの横には、誰しもの間にも、その表現に触れて自分とは違う感想を持つ他者がいる。人間がいる。隣にいる人間とそれぞれの持った感想を分かち合い、その表現から何を受け取るかをそれぞれがそれぞれに考えて自分の意思で選ぶんだよ。それが、抗うってことで、闘うってことじゃないのかよ。

お前ら、ペッパー君に緑色の完全食を口の中に詰め込められたいか。俺はごめんだね、俺はペッパー君と闘う道を選ぶね。かわいくてちっさいリスさんだってさ、人を殺してでも完全食じゃなくて自分の食べたいドングリを食べようと頑張って人殺しをしているんだよ!喉笛を縦にカリカリーって縦に裂いて殺すんだよ!うわ、想像しただけで痛そう〜〜、こんなこと想像するんじゃなかった〜〜。寝れない〜〜。寝れないから誰か、眠たくなるまでDMして〜〜。ついったらーか!なんか、変な距離感のツイッタークラスタか!しかもそのDMどうせ絶対スシローのペッパーくんの話じゃん。あいつら髪ないのになんで寿司屋の帽子かぶってんの!?変なの!!

さあ、どうする。俺は負けたくないね。負けるのなんかごめんだね。ペッパー君におとなしく完全食詰め込まれるなんて死んでもごめんだね。お前がそれでも決断できないなら、今からペッパー君の口と手の甲から出るペースト状の完全食の色の設定を、緑から茶色に変えてやってもいい。

うんこじゃーん。それもううんこじゃーん。色々喋ったけど最後うんこで終わっちゃったよー。最悪だよもー。小2かよー。最悪じゃんねー。

以上です。