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ポケモンGOのある世界を冒険してきた感想文/感動から懸念まで思いつく限り

昨日の20時すぎの小池百合子の事務所、あれたぶん実際の現場でポケモンGO開いたら絶対ポリゴン出現してたと思うんだけど、あそこにポリゴンいなかったらもうどこにでんのうせんしいるんだよってテレビ越しに見てる感じ思ったんですけど、誰かあそこであの時間ポケモンGOやってた奴いないですかね。

あのー、僕は現状ガラケーしか持ってなくって昔タブレット持ってた時はパズドラとかやってましたけど毎日のスケジュールを組む時にメタルドラゴンの顔がちらつくのが嫌になって、あの女子高生がプリクラに映る際の顔の角度のひとつの選択肢みたいな顔つきのメタルドラゴンを想起する自分が嫌になってやめちゃってそれ以降いわゆるアプリゲーとは全く距離を置いていたんですけど、その後登場するアプリゲーもまぁパズドラをやってた杵柄でだいたいあるあるネタとかもわかるしいっかなと思ってたんですけど、さすがに今回のは一線を画すよね、今後ポケモンGOを巡って起こる様々な話題っていうのはこれまでのアプリゲーのあるあるとは一線を画すよねと思って、流石にこればっかりは自分でちゃんと体験しておかないとなんか色んな話に「そうだね」とか「そうかねぇ」とか言い難いよねと思ったもんですから、幸いに嫁がプレイしてたんでそのiPhone借りて日曜日にちょっと遊んでたんですけどね。

まずそもそもポケモン一切知らない、マジでピカチュウくらいしか知らない嫁がやってるってこと一つ取ってみてもすげえなと思うんですよね。卵が孵ったらラッキーで嫁が「なにこれかわいい」とか嫁が言ってんの。「えっ、ラッキー知らないの?マジで?」って20年前当たり前にポケモンに熱中していた俺の部分が思うし、それ以上に20年ラッキー知らずに生きてきた人が今更自分の意思でラッキーに出会う機会を得ているってことになんかすごい驚きを感じている俺の部分もある。知らない人は知らないし、知ってる人は知っている。それ自体はすごく自然なことなのだけど、知らない人が今更知るようになるっていうのがなんかすげえ不思議だよね。しかもポケモン赤緑ポケモンと出会った俺とポケモンGOポケモンと出会った嫁とでは、ポケモンというものに対する概念が色々細部違うよね。例えば俺にとってはイーブイってすげえ希少な奴ってイメージですよ犬でいうとサモエドくらい高価なわけですよ、知ってます、サモエド?なんの変哲もない白い犬なんですけど買うとなると50万円とかするやつ。イーブイってそれくらいのイメージなわけですけど嫁にとってのイーブイってたぶんミニチュアダックスとかそれくらいのポピュラーさじゃないですか。そのギャップになんかビビる。にわか乙とかそういう話じゃなくて、俺の知ってるポケモンの文脈から離れて以前よりもっとたくさんの人がポケモンという存在を受け入れて共有してるんだってことになんか「すげえな」ってなるんですよね。嫁は生まれて初めて見たピッピに「かわいい-!」って言ってるんですけど、彼女はあいつがギエピー!!!って鳴いてしょっちゅううんこ漏らすことは知らないわけですよ。それがなんかすごく不思議に感じるわけ。

で、とりあえず一通り遊んでみようか~と思って早朝6時に目を覚まして、嫁のiPhone片手に電車に乗って2,3駅離れたでかい公園に乗り込むわけですけど、これ僕の特殊能力なんですけど、年寄りにやたら懐かれるってのがあるんですね。知らないジジイババアがすげえフランクに話しかけてくんの。道とかすげえ聞かれたりとかそういうの昔からなんですけど、なんか年寄りセンサーみたいなのがあるんでしょうね、こいつは話しかけても邪険にはしない人畜無害な良いやつだみたいなのを感知する機能がたぶんジジイババアには備わってて、そのセンサーに僕はなんか知らんけど引っ掛かるみたいで。ただ、そんな俺のツイッターやらブログやらは見ての通りこのザマですから、ジジイババアのセンサー全然あてになんねえぞって俺は思うんですけど。それでまだ日も昇りきってない朝の公園をね、iPhone片手に麦茶入ったペットボトル持っててくてく歩いてたらね、ジジイババアが話しかけてきてすげえの。すれ違うジジイババアジジイババアがすげえいちいち「ポケモン?」って聞いてくるのよ。最初俺がプレイしてるのポケモンGOじゃなくてジジイババアGOなんじゃねえかと思ったもん。違うアプリ起動してんのか?みたいな。あれ、俺なんか変なおこう焚いちゃってる?みたいな。なんかよくネットしててエロ漫画の広告が出てさ、人を思い通りにできる催眠アプリでハーレムを作ってとかやってるじゃん。あれに現代の科学力で今一番近いのはポケモンGOだよね、ジジイババアしか寄ってこないけど。ジジイババア図鑑なら151匹くらいすぐ埋まると思うよ。ポケモンGOコラッタとポッポばっか出てくるけどジジイババアGOは基本被りがないからエンカウントするジジイババア全部ユニークで「すげえ、さっきと違うジジイだ!」「こんなババアもいるのか!」って調子ですから151種集めるのなんて一瞬だと思うんですけど。やっぱあれは孫とかと散歩して一緒にプレイとかしてんのかな?「ここアレでしょ?」ってババアが話しかけてきて、その話しかけられたところがちょうどポケストップだったりするわけですよ、それで「そうですね、アレですね」とか返事してると「次のアレはあっちよ」って指さしてくれてポケモンGOの地図見たら確かにババアの示す先にポケストップがあるの。すげえなと思って。お前本当にRPGとかで次の行き先のヒントをくれるババアみたいになってるじゃんと思って。リアルで初めて見たわと思って俺なんか感動しちゃって。で、その次のポケストップに行ったらジジイが一人寝ててさ、そのジジイがまた話しかけてきて「ぶきやぼうぐは装備しなくては、持ってるだけでは意味がないぞ」ってまた教えてくれるわけ。今のジジイの下りは完全100%フルの嘘だけどね、それに近い状況が現実世界で起きてんのなってビビったわけですよ俺は。実際これ今度のは本当の話だけどね、また歩いてたらジジイが話しかけてきてね、「兄ちゃん、それあれかポケモンか」って言ってきて、「そうですそうです」言うてたら、「ここらへん、結構出るのか?」って本当にカブトムシかなんか捕まえにきた子供にするのとおんなじ質問してくるわけ。それでおもしれえなって思いながら「結構出ますよ」って返してたんだけど、その後色々やってて気付いたんだけど、「ポケモンの巣」って概念があるらしいんですね、ポケモンGOは。特定のでかい公園は特殊なポケモンが出やすくなっていて、しかもそれは週替りでその公園で出るポケモンは都度都度違うっていうのを後になってから知って。俺、次からジジイとかババアに会ったら俺その情報絶対シェアしようと思って。ジジイババアに「ポケモン?」って話しかけられたら「ええ、ここはマンキーっていう猿のポケモンが出るんでそれを捕まえにきたんです」とか絶対言ってこうと思って。そしたらさ、ジジイババアはマンキーがなんなのかわかってないとしてもさ、たぶん他の人に同じように話しかけた時とか孫と話した時に良かれと思って絶対言うと思うんだよ。「わしが毎朝散歩してる公園はな、モンキーとかいう猿が出るらしいんじゃ」って言うと思うんだよ。すごくない?それめっちゃすごいと思いません?マンキーについての情報を教えてくれるジジイババアと「北の洞窟に最近ゴブリンの群れが住み着いて困ってるんじゃ」っていうRPGの中でよく見るジジイババアの距離の近さにビビりません? ロマンがあるなと思って。だからこれ読んでおもしれえなと思った人がいたら、積極的にジジイババアにそこでどういうポケモンが出現するのか吹き込んでいって欲しいなと思うし。攻略サイト見たらそんなもん一瞬で確認できるんだろうけどさ、ジジイが「この先の公園では今クラゲのポケモンが大量発生してるんじゃ」って話しかけてくる世界の方がそうじゃない世界より完全に面白いと思うんですよね。まぁ俺が強制的にプレイさせられてたジジイババアGOをみんなも同じようにプレイしてるのかはわかんないんですけども。地域とのつながりが希薄な現代うんたらなんたらみたいな話と結びつけてもっともらしいことを言うつもりもないんだけど、ポケモンGOをプレイしてないジジイババアですらポケモンGOがある世界になってちょっと嬉しそう。っていうのを肌で感じて俺はなんかすげえいいなと思ったんだよね。

で、また昼過ぎくらいに別の公園に出向いてみたらさ、また良い時間になってくると本当にみんなやってんのな、スマホ持ってる奴がそこかしこに溢れかえっててさ、川に入ってる半裸のガキはさすがにやってないことがひと目わかるんだけどそれ以外の人は本当全員がポケモンGOやってるんじゃねえのみたいな状況で、地図を見たらそこかしこのポケストップでルアーモジュールが発動してんのね。で、何ヶ所か回って気付くんだけど、ルアーモジュールが発動してないポケストップは日陰がないのね。日光を遮るものが何もないカンカン照りのポケストップは誰もルアーモジュールを使ってなくて、ルアーモジュール発動してるポケストップに行ってみたら大体近くにでっかい日陰があってそこにスマホとにらめっこしてる人がひしめき合ってるの。どうぶつ奇想天外を観てる時によく感じるアハ体験を感じたよね。「あー動物かしこいなー」的な、ちゃんと理由があってそういう行動してるんだねーっていう群れを成す草食動物の生態に感心するみたいな気分も味わいつつ、でもやっぱ一方でこのルアーモジュールは結構危なっかしいよなぁ、物理的に人を集められるってとんでもないことだよなとか思ったりしつつ。

よくないことだから試さないけどさ、住宅街でも結構定距離的にポケストップがあったりしてさ、それはIngressのエージェントが頑張った結果らしいんですけど、何もないところにポータルを作るわけにもいかないから形だけでもそれっぽいものをポータル申請する形になってたんだと思うんですけど、そうなると団地の片隅のちっちゃい公園のよくわかんないオブジェとかがよくポケストップになってたりするわけ。で、この「ポケモンGO開いた時に視認できるくらいの距離に住んでる人がたくさんいるポケストップ」って結構危なっかしいよなと思って。だってこれ夜の23時くらいにさ、ここでルアーモジュール焚いたらさ、「あれ、なんか家の近くのあそこのところ、ルアーモジュール焚いてんじゃん」つって部屋着にサンダルでポケモン捕まえに出てくるガキがわらわら集まってくるんじゃねえの?とか思いますもん。俺のプレイしてるジジイババアGOはかわいいもんですよ、コンビのババア、ドードー的なババアゲットだぜ!とか僕が言ってるのは全然健全ですけど、このガキGOはダメじゃないですか。団地のベランダ側に出たらギリギリポケストップの圏内に入るくらいのところでルアーモジュール焚いたらみんなベランダから出てきて「すげえ、ホタル族GOじゃん」みたいな光景は面白いからちょっと見たいけど、やっぱ危なっかしいか危なっかしくないかで言えば危なっかしいと思うし、もっと生々しい話を言えば逆に人気があんまり無いちょっと住宅街から離れたところで夜中にルアーモジュール焚いて張っとけば誘蛾灯に誘われるように一人徘徊してたポケモントレーナーが呑気な顔してやってくるなんてことは全然ありえるわけで、それはもう実際に起こってるんだっけ? こうやって書くのもよくないのかなーと思う一方いやいやこんなこと誰だって思いつくことだと思うんで、俺が書こうが書くまいがそのうち問題になってくるんじゃねえの。ルアーモジュール焚けるのは何時から何時までって話にそのうち落ち着くというかさっさとそうすべきなんじゃない?と思う。時間帯の問題で全てを解決できるかっていうとそうでもなくて、「個人の裁量で周りの人をそこに集められる」ってのはやっぱそれちょっと個人が手にできる力としてはちょっと強力すぎるだろと思うところはあって、もちろん例えば商店街が一日中ルアーモジュール焚いて活性化みたいな良い使いみちもあるんだけど、悪い使いみちもいくらでもあるよなぁと思う。漠然と危惧するだけで規制規制ってのもどうなんだっていう人もいるんでしょうけど、だってもっと具体的に悪いこと色々思いつけるけどそれあんまり書いてもダメじゃん、そこらへんがまた難しいところなんだろうけど。でもポケモンGOのある世界が今後長く続いていくなら最終的にはルアーモジュールはやっぱなしにしましょうってなるような気もする。

あと、これはまぁおもしれえ話でいいのかな、いやおもしれえ話にしていいのかわかんねぇ部分もあるけど、例えばうちのお母さん、霊感なんてもんが実際のところあるのか俺はすげえ懐疑的なんだけど、うちのお母さん、そういう霊的なものの影響を受けやすい体質らしくてね、神社仏閣とかに近づくと体調が悪くなるっていう人なんですよ。そのことにはっきり気付いたのは40代になってからだったけど言われて見れば昔からずっとそうだったわーって調子で、以降神社仏閣に近づく時はそれなりに体調には気をつけて気合入れてどうしても用事がある時以外はなるだけ近づかないようにしているみたいなそういう人なんですけど。そういうのあるのかないのか知りませんよ。ただポケモンGOを始めたことによってそれまでとは比べ物にならない頻度で神社仏閣に足を運ぶ機会が増える人ってのはたくさんいると思うんで、「なんかポケモンGO始めてから調子が悪いんだよね」なんて人ももしかしたら中には出てくるかもしれないなとか思ったり。この例は、よりによってオカルトと結びつけた話なんでアレですけど、「人の毎日の動き方がゲームによって変わる」っていうことで何が起こるんだろうってワクワクとだいじょぶかがあるわけです。現に俺だってね、昨日の段階で近所のポケストップの位置を踏まえてスーパーへ行く道順がちょっと遠回りしてちょっと変わったりしてるわけでね、その時点で歩きスマホとかそういう問題じゃなくてもし交通事故に遭った時に「うわぁ」ってなるじゃないですか。ポケモンGOがなかったら絶対通らなかったって言い切れる道で事故に遭ったらそれはもう「うわぁ」以外の何物でもないじゃないですか。全くたまたまの偶然だったとしても何かあれば結びつけて何か思ってしまうのはこれはもうある程度仕方のないことで、人の行動を変えてしまうっていうのはそういうことだと思うんですよね。だから、具体的に言えば例えば「通学路」という概念が日常に登場する人とかってのは一度それについて「ポケモンGO」が存在していることを踏まえて考えてみてもいいんじゃないかなとかは思いますよね。ポケストップの近くをたくさん通る通学路とポケストップの近くを一切通らない通学路だったら後者のほうが無用なトラブルが起こる確率はなんぼか下がるだろうなって思っちゃいますもん。

あとは、歩きスマホねぇ。実際自分で遊んでみた体感としては「歩きスマホの問題はポケモンGOの問題じゃなくて個々人のマナーの問題。ポケモンGOは歩きスマホを前提にしたゲームではない」みたいなよく見かける主張は、甘いというか、それじゃ足りないんじゃねえかなぁとは思った。一番気になったのは、卵の孵化があるので少しでも歩いて距離を稼がなくてはならない、ていう点ね。ポケモン捕獲チャレンジ中のモードあるじゃないですか、あの時の移動距離って加算されてるんすかね? もし捕獲モード中の移動距離もふつうにカウントしちゃってるんだったら、それはもうその時点で「歩きスマホを推奨してるゲーム」と言っちゃって差し支えないと思う。もちろん現実のマナーを踏まえて考えればポケモンを捕まえる時は立ち止まって他の人の迷惑にならないところに落ち着けてから捕獲モードを始める、がマナーとしては完全に正しいですよ。ただ、卵のことを考えるなら歩きながら捕まえた方が効率が良い、という話になってしまうのであればそりゃあ歩きながらプレイする効率厨ってのは絶対一定数出てくると思う。初代ポケモン赤緑の頃からレベル上げのためにいかに短時間で四天王を倒せるかをずっと考えていた根っからの効率厨である僕はそう考えます。もしかしたら普通に対策済みで、ポケモン捕獲モード中の移動はノーカウント、みたいな仕様に既になっているならみんなでガンガンに周知していくべき。公園のジジイババアも「うぃー、ひっく、ポケモンバトル中は歩いても卵は成長しないんじゃぞ」とか言ってくべき。得にならないこと、損になることってのはみんなやりませんから。逆に言えばそれが得になるならやっちゃうってのがやっぱ人間の心理としてあるので問題行動はゲームの中でできる限り得にならないよう整備していくべきだと思う。

これ歩きスマホだけじゃなくて次のポケストップに近いからって私有地突っ切るとか、あと絶対やる馬鹿いるだろうなと思ったのは、ポケモンGOできる時間は限られていて(その時間は人によって変わって、ポケモンGOできるのは1日1時間までの子供でも、1日は24時間しかないので1秒も無駄にしてはいけないという気概の大人でも結局は同じなのだと思うのだけど)ポケモンGO起動してるのに歩かずに立ち止まってる時間というのはすべて効率厨的な観点で見ればもったいないわけですから横断歩道を信号無視して渡っちゃうとかも絶対あるだろうなと思うんだけど、そういう色々な想定される問題全部に言えることだと思うんですけど、結局テレビゲームというものの大前提として「できることはなんでもやっていい」ってのがあると思うんですよね。桃鉄とかでも、どんなにえげつない卑怯なカードであったとしてもそのカードがゲーム中に存在していて使うことができてそれを使った方が自分の得になるのなら使っていいっていうのがゲームってやつだと思うんですよね。まぁそれ使ったせいで一緒にプレイしていた友達と取っ組み合いの喧嘩になる可能性もあるわけですけど、ポケモンGOをプレイしていてそれが事件事故につながる可能性と、桃鉄プレイしてて取っ組み合いの喧嘩になる可能性って相似していると言いますか。結局「システム上できることはなんでもやっていい」っていうゲームの性質と「できるけどやっちゃダメなこと」の集合体とも言える現実の性質とってめちゃめちゃ相性が悪いんだよなってことだと思うんですよね。そこをどう調整していくのかってのがたぶん大事なところで、もちろんこれはゲームじゃなくて現実だからってマナーを共有していくことももちろん大事だとは思うんですけど、ゲームの中でやって得すること損することっていうのを現実のやっていいことダメなことと整合性が取れるようにしていく調整っていうのもたぶん絶対必要で、システム上そういう仕様にできるのかできないのかみたいな難しさはきっとたくさんあるとは思うんですけど「ポケモンGOが悪いんじゃなくて個々人のマナーの問題」で片付けちゃならん部分っていうのはまだまだすげえたくさんあるんじゃないかなぁと思うわけです。

このポケモンGO旋風的なものが一過性のものなのか、結構これからしばらくポケモンGOがある世界ってやつが続いていくのかまぁちょっとわかんないですけど、僕も一日プレイしてみてすげえ感動したし、ワクワクしたし、いつもとおんなじ道歩いてても確実に僕はいつもとは違う世界を冒険していたし、こういうおもしれえものこれからもドンドン見ていきたいなと思うんで、だからこそ、なんかこう問題になりそうな部分とかってのは「それくらい気にすんな」じゃなくてどうやればうまく折り合いつけられるんだろうって方向で現実世界とうまいこと共存していってくれるといいのになぁと思ったのでした。

あと、頑張ってジム落としてさ、とりあえず一回ポケモン回復させてから俺のポケモン配置して俺のジムにしてやるぜと思ったら回復している間に他の奴がジム制圧しててさ、周囲を見回したらそれっぽいスマホ持ってる奴がいて「あいつか!」って思う感覚面白かったんだけど、ああ、これで生活サイクルバレるよとかプライバシーがどうのみたいな話になるのかーって分かったんだけど、俺があの「あいつか!」の感覚を初めて味わっておもしれーってなった時にまず一番に思い出したのはさ、昔のゲームセンターとかバーチャロンの対戦台で相手ボコボコにしてたら反対側に座ってたヤンキーが乗り出してきて「てめえナメてんのか」「いやすいませんナメてないです」みたいなそういうのあったじゃないですか。そういうの大丈夫かなって思った。昔はもうそういうのも含めてのゲーセンみたいなところあったけど、いやそれもどうなの?昔はそういうもんだったで片付けていいの?って部分と、意外と今でもゲーセンってそういう空間なの?おじさんわからないから教えて欲しいんだけどって部分と両方あるんだけど、近所のジム落としてたら怖い兄ちゃんが話しかけてきてさ、「ここは俺ら赤チームの縄張りだからてめえもうジム戦しかけてくるんじゃねえ、今度落としたらただじゃおかねえからな」とか言われたらどうしようかなと思うよね。それでヤンキー怖いから忠告を守ってそこのジムは触らずにしておくんだけど俺以外の誰かが落としてるのが確認できちゃってさ「俺の仕業だって思い込んでる可能性あるからもうあそこには近づけないぞ」みたいな。まんま高校生の頃の「ヤンキー高校の奴らの溜まり場になってるから近づけない喫茶店」みたいになっちゃったりしてさ、挙句の果てにジジイが「お前さんのことを探している奴らがおるらしいぞ」って話しかけてきたりして、いいよジジイそんなイベントのフラグ立ててくれるんじゃねえよみたいな。ババアが「あいつらに会ったらこれで隙を作って逃げるのよ」って催涙スプレーをプレゼントしてくれたりさ。「何かあった時はこれでわしを呼ぶんじゃ」って笛を渡してくれるジジイとかさ。そこまでいくともう俺は完全にポケモンGOじゃなくてジジイババアGOの世界に取り込まれてるよね。それはそれでめちゃめちゃ面白いと言って言えないことはないけど流石に勘弁してくれよみたいな。

しかし。こんなにゲームと現実がリンクしている世界を俺が生きてるうちに生きられるなんて思ってなかったけど。怖いけど面白いし、面白いし怖いけど、いやー、おもしれえですわなほんと。以上です。