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あなたに投げかけられる言葉は、あなたの言葉がなければ生まれなかった言葉だ

読みまして、手短に書きます。

僕も日頃いっぱい文章を書いて、怒られたり、お礼を言われたり、馬鹿にされたり、蔑ろにされたり、誰かの心に残ったりしています。

僕はもう完全に自分の中でぶっちぎってるので「恐れずに発信しよう!!」みたいなラインは振り返るとそれはもう彼方で影すら見えませんが、なるほど、きっと、そのラインの手前で途方に暮れてる人はきっとたくさんいるのだろうと思う。

もっとみんなこっちこい。どんどんみんな喋れ。そうすればもっと面白くなる。俺は毎日つまんなくて退屈なんだよ、つまんないのが俺にとって不都合だ、もっと面白くなれ、だからみんなもっと喋れ。そう思っています。

で、しかし、それができない障壁として冷水をぶっかけるようなコメントがつくって現状がある。なくなればいいなぁと思うけど、まぁなくならないんだろうな。

「気にすんな」って言うのは簡単だけど、それで気にならなくなるなら苦労しない。「気にすんな」と言うのが簡単なのは、あんまり意味がないからだ。

なので、「気にすんな」よりもうちょっとマシなことを言おうと考えてとりあえずテキストエディタを開いてここまで書いたんだけど、僕にとってこれはすごく当たり前なことなのですごく簡単に言ってしまうので、もしかするとこれも「気にすんな」と同様にあなたには届かないのかもしれない。それでもまぁいっかと思えるから書いている。

僕は、僕に投げかけられるポジティブなコメントもネガティブなコメントも、等しく「よかったね」と思って眺めている。

その言葉はきっと、僕の言葉がなかったらこの世に生まれなかった言葉だ。もちろん僕がそんなことを言うよりとっくの前から、その人は思っていることを思ったのかもしれない。

でも、その思ってることを思ってるだけじゃなくて言葉にさせたのは、たぶん僕の言葉だ。僕の言葉がそれを言葉にした。

言葉にするのはいいことだ。自分の思ったことを言葉にすると、自分の思っていることを知れる。自分を知るのは良いことだ。言葉を紡げないのはきっと不幸だ。

だから、他人の言葉っていうのはそれが僕にとって耳に痛かったり心地よかったりってのは些細なことで、それ以上に、「よかったね」って思う。

俺が好きなものについて書いて「俺も好き」って言ってる人がいると「好きってわかってよかったね」って思うし、「俺は嫌い。それを好きなお前も嫌い」って言ってる人がいれば「嫌いってわかってよかったね」って思うし。それだけなんだよね。あとそこ濁すのもずっこいかなと思って言えば、俺はそれと同じくらい「俺これ嫌い」って話もするけど(しまくりクリスティだけど)、そういう時に俺は「なぜ嫌いか」をすげえ言うから、それにむかついて死ねって言う人に対しても「なぜ好きかわかってよかったね」って思ってるから。

煽るような言い方をすれば、僕だって油断すると「あれ、今日、俺、『つゆだくで』以外喋ってねえわ」って日があるわけだけど、人間みんな油断するとそんなもんだよね。そんな誰かの一日にもう一言二言喋らせたと考えれば素直に「あー良いことしたな」と思える。そんなもん。あと「これしきで満足しないでもっと喋れ」とかは思う。

なんつうか、そんなもんそんなもん。だからみんな、もっと喋れ、好きなもんを好きと言え。賛成意見ばっかじゃないけど、それも全部自分が喋らんかったらなかった言葉たちだ。ハッピーバースデーって感じだよね。

ずっとこんなこと言ってたらね、「じゃあ私もブログ始めてみました」みたいな人がたまにいてそういう人のブログ読むの俺は超楽しいし、すげえぞすげえぞみんな観ろって俺が騒ぎ続けてる劇団の公演は、昔はただの俺一人の個人的な趣味だったけど、今は俺の観測範囲で足を運んで感想をツイートしたりブログに書いたりしてる人がたくさんいて、もう俺の中ではちょっとしたイベントだ。超楽しい。当たり前のように楽しんでるけど、ぜんぶ、俺がブログ書いてなかったらなかったあれもこれもなんだなって考えたら涙が出てくる。と言いつつそれも泣いたらウケるかなと思って泣いてるだけ。

そんなもんそんなもん。良いことの方が絶対多いから。だから、なんか書きたいなと思ってる奴は、書け。あなたが書いてくんないと俺がつまんないから。俺ダメなんだ、そういうつまんなくて退屈なの。以上です。