僕が誰か人を思い出すたびにふっと頭をよぎって怖くなる話があって。
かつて、「オセロ」という名前の女お笑いコンビがあって、今は、ない。「オセロ」の名前の由来は、片方が肌が白くって、もう片方が黒かったからだけど、黒い方がなんだか面白いことになってしまった。芸人的においしい面白さじゃなくって、いわゆる洗脳みたいなものにハマってしまったのだ。ブレイクと言って差し支えないテレビ露出度で頑張っていたはずなのに、自称占い師だか何だかに入れあげて、事務所をやめて、干されて、なんか週刊誌でヌードをやったりして、その後どうしてるかはあんま知らん。それで、そんな笑えない面白に特攻していった女芸人の仲の良い先輩に、伊集院光という人がいて、その人がラジオである時、面白くなってしまった後輩芸人についてリスナーからメールで問われこんなようなことを言っていた。
そういうものに頼らざるをえなくなった時に、こっちは頼ってもらえなかったんだから、「なんで頼ってくれなかったんだ」って部分も含めて俺の自己責任でしょ。
何せ昔のラジオの記憶でソースもないもんだから、引用表記もなく、なんとなく思いついたまま俺の記憶に頼って書いたけど、たぶんそんなことを言っていた。そして僕はこの言葉をなんとなくあやふやに、頑なに、歯を食いしばって、心に刻みたいと思った。
自分は、ネットでもリアルでも、概ね、馬鹿なことばかり言っていると思う。それで馬鹿だなぁと思われてると思う。そしてそれでいいと思っている。そういう風にいたいと思っている。
言葉を信用しているか信用していないかみたいなことを度々考える。僕の答えはいつだって一辺倒に全く信用していない。言葉は、いつだって僕の心を伝えない。気のいい馬鹿だなあいつはと思わせるのでいつも精一杯だ。そんな形でも、どんな形であれ、人の心に僕が潜り込めるのなら僕はそれで一向に構わないと僕はいつからか考えるようになった。
僕はきっとあなたの一大事に、あなたの一大事に僕はきっと登場しない。お呼ばれしないお役御免。きっとあなたは僕もいないところで例えば、生きるか死ぬかとかの決断をする。その瞬間に僕が立ち会うことはきっとない。お呼ばれしないお役御免。
なんで頼ってくれなかったんだって部分も含めて俺の自己責任でしょ。みたいなことを雄弁を職業にしている人が言っていた。ならばそれはそういうことなのだろう。僕の、誰しもの、あらゆる飛び交う、言葉なんてやつは、ちっとも僕の手元から離れないのだろう。届かないのだろう。ちっとも、僕の持ち物に過ぎないのだろう。その限りにおいて、僕の言葉は、誰の役にも立たないのだろう。
そして僕は、食べてしまって欲しいと思った。僕の言葉は僕の言葉だ。僕とあなたが交われば交わるほどに僕の言葉はより僕の言葉となるだろう。そんなの怖いと思うようになった。僕はここで言葉を吐き出すよ。僕の思いつくままの言葉だ。それは譲れない。それを食べて欲しい。だからこそ譲れない。どうぞ召し上がれ。僕の言葉の僕の真意なんか要らないし、君がそんなもの欲しがる保証なんてどこにもない。だから、どうぞ召し上がれ。それはきっと僕の考える僕とは違うけど、僕の言葉を勝手に召し上がって出来上がったあなたの中だけの僕が、あなたとお話できるなら僕はもうそれで十分すぎるんじゃないかと、最近の僕は考えるようになった。あなたと出会いたかった。でもそれ以上に、僕はあなたに幸せになって欲しいんだ。
僕は、エピソードになんかなりたくない。それよりかはもっと空気みたいに血肉になりたい。忘れたまま、あなたの中にいたい。思われて思われて疑われるくらいなら、人知れずあなたの当たり前でいたい。
みたいなことを考えた時に、結局僕は、さんざ疑って通している言葉に頼らざるをえないことに気付く。たくさんの言葉を書いてきた。これからもたくさんの言葉をきっと書いていく。僕のことは忘れてくれていいし、忘れなくたって信用してくれなくていい。何か悩んだ時にいちいち聞きにこなくたっていい(聞きにこられたらすごく大事に聞くけど)。俺の言葉はどこに行くのだろうと思っていた。誰かのものになる。それでいいと思えるようになってきた。俺は誰かのものになれないのだから、それでいいと思えるようになってきた。誰の許にもいれない俺の言葉が、あなたの胸元に飛び込むことを願おう。