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ライオンゴロシを笑う。コロナを笑う。

ライオンゴロシの存在を初めて知った時爆笑した。ライオンゴロシは、すげえ硬いマキビシみたいな植物で、しかも針の一つ一つに返しがついててなかなか抜けねえらしい。で、うっかり口とか脚とかに刺さるともうどうしようもなくなって死ぬしかないから、ライオンですらそうだからライオンゴロシだってさ。笑うよね。俺は生まれてこの方、どれだけの水を飲んできたかわからないけれど、ミズノミとは呼ばれたことが生まれてこの方ないんだよ。だからライオンゴロシって名前をつけられるのはすげえことなんだなと思う。ライオンゴロシがなんでそんなことをするかと言うと、もっと地球上においてメジャーになりてえからなんだと思う。ライオンがライオンゴロシ刺さったまんま、痛えよ痛えようってよろつけばよろつくほど、ライオンゴロシも移動してる。つまり領土も増やしてる。生き物なんか全部そうらしいよ。カビとかもなんかそんな感じらしいし。果実だってそう。果実がなんで美味いかっていうとさ運んでほしいからだって。美味かったら食べてもらえるじゃん。そして動物なんて種ごと食べるじゃん。そしたらさ、あー美味かったって満足した動物が移動してプリッと糞をして、糞の中には種が含まれてて、そうして領地を拡大するんだって。なるほどね、美味いのにも理由があるんだねって感心するけど、じゃあ蟹は!?じゃあ海老は!?あいつら美味いメリットなさすぎて笑う。ただ美味いだけ。ただ生きて、ただ獲られ、ただ美味い。なんだそれ。もっと生存戦略しろよ馬鹿。

そういう自然の神秘を普段から笑ってると、コロナすげえ面白い。こいつら、ライオンゴロシと同じように生きるために必死なだけなんだ。こいつらは、人間を踏み潰す対象に決めたんだな。こいつらならイケるはずって、俺らのこと見てそっちに全振りしたんだなーて思う。そんなに大した危機じゃないだろって考える人もいて、世界の終わりだと思う人もいて、そういう人間ばっかりばっかりが可視化される世の中で、俺はゲラゲラ笑ってる。人間だけが特別に神に愛されて、ライオンゴロシやカビや蟹やエビやの生存戦略をただ笑うだけの立場から人間が追い出されて、本当に本当に笑いが止まらない。

この地球上で繰り広げられてる生存戦略レースにおいて、人間だけシードオブシードオブシードみたいな感じになっている現状に新型コロナが風穴をぶちあけているのが、俺は懐かしくて堪らない。

子供の頃、仏教の「地獄」を描いた絵本が怖くて堪らなかった。人間がボロ雑巾のように酷使されるあの世界が怖くて恐ろしかった。それはいつのまにか忘れた。俺は地獄には行かないつもりになったからだ。しかし、実態の俺は今、地獄のすぐ隣にいて、笑え、あれは俺らの死を恐れる想像の産物だった。地獄なんてどこにもなくて、ただ人が死ぬだけだ。ただ人が死ぬ恐ろしさと死にたくなさが、こんなにディテールに凝った地獄を作った。ライオンゴロシにも引けを取らない。殺すことに特化したものがライオンゴロシで、殺されないものに特化したものが我々の想像する地獄だ。

疫病は本当に笑える存在だ。ライオンゴロシがそうであるように、明確な戦略を立てている。このやり方なら人類を滅ぼせると、笑いながら必死に生きている。

濃厚接触って最初面白ワードだったじゃん?「俺と濃厚接触しようよ」って言われた人、たぶんたくさんいると思うんだよね。それを俺は笑うよ、ライオンゴロシに噛み付いたライオンと同様に笑う。だって、俺たちは濃厚接触をいつだってしたいんだ。いろんな意味でね。俺たちは放っておけば頼まれずとも濃厚接触して、それでのし上がって生きてきた生き物なんだよね。

笑おうぜと思ってる。最大の武器である濃厚接触を奪われた人類を笑おうぜって思ってる。俺らは神様の1番のお気に入りでもなんでもなく、ライオンゴロシやカビや蟹や海老やと同じ、ただの一生物だったんだと笑おうぜと思う。

絶望は、希望の先にやってくる。

ならば、まず捨てるべきはまずその希望だ。まずは笑おう。ライオンゴロシや果実の生存戦略を笑うように、シャチに食われるファーストペンギンを笑うように、まず今を笑おう。人間が自然界という平等に乗っかってることを笑ってしまおう。

死なないことに死なせないことに必死になろう。そしてそんな自分を笑おう。

おれの笑うことへの信頼感は山の如しで、笑うことさえできれば、吹く風と対等でいれると思う。

誰も笑うのをやめるな。そして最後に笑え。はにかむな、笑え。笑え。笑え。笑え。