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息子、初めての動物園。俺、初めての息子との動物園。

息子、1歳7ヶ月。たぶんよその子より発育は遅めで、その足取りはよたよたと心許無く、油断をするとすぐ転ぶ。言葉はまだ「どーじょ」と「いないっばっ」くらいしか喋らず、保育園の送り届けの際によその子がいってらっしゃいを言ったり歌を歌ったりしてるのを見ると「こいつ大丈夫か」と思わんでもないが、帰りたくなったり「もうお前行っていいぞ」と思った時はバイバイと手を振るし、気にくわないことがあれば弓のように身体を仰け反らせギャン泣きするので、彼の中で必要なコミュニケーションは身体表現だけで事足りているのだろうと解釈し、もっと複雑な何かを伝達したいと彼が願ったら勝手に喋り出すのだろうと楽観している。そういうわけで、そろそろいけるかなと思って、動物園に行ってきた。

一応動物がたくさん出てくる絵本を見せたり動物がたくさん出てくるDVDをたくさん見せてはいるものの、まあまあまだまだ彼にはそんなに楽しめないだろうなと思いつつ、とりあえずで足を運んだ。

見える動物にはそれなりの興味を示していた。塗装されたアスファルトのプールの際で日光浴をするペンギンを怪訝な顔つきで眺め「あ?」とか「お」とか言ったり、飼育室をウロウロする虎にはガンを飛ばしていたり、止まり木の上で大きく羽根を広げて威嚇するコンドルには逃げる術なんざひとつも持ち合わせてない癖に一丁前に身構えたりもしていた。

そういうのも面白かったのだが、彼には見えない動物も多くいたのが面白かった。例えばそれは草の向こうにいる屋外展示の虎とか、生い茂った木の陰で寝てるジャガーとか、遠景から眺めるコンセプトのキリンとか、水面下でじっとしているカバとか。こっちがいくら指をさして視線を誘導させようとしても彼はそれらを見つけることができなかった。

保護色って効果あるんだーと素直に感心した。「柵の向こうには何かいる」という動物園の前提、お約束が分からない彼にはそういうものは一切視界に映らず興味を持てないのだ。もし、そこが柵やら格子やらで隔たってなかったら、この息子は無頓着に彼らのテリトリーに踏み入り、頭を噛み砕かれたり手痛い蹴りを食らって死んだりするんだなーと思い感慨深かった。当然僕自身も動物園という圧倒的に人間有利の状況でなければ、「ここにはキリンがいますよ」という看板が無ければ彼らを見つけることができずライオンをぶっ殺すその後ろ足の蹴りを食らってたかもしれないなーと思うので、わざわざ命を賭けてサバンナに行かずともそういう感覚を実感できるガキと動物園のコラボレーションはコスパがいいなぁ、と思った。天王寺動物園、大人一人500円。激安。

あとは、うちの息子は歩きたがりのようだ。ベビーカーで行ったんだけど、一度靴を履かせて大地を踏ませたが最後、無限に自分の足で前に進もうとしたがる。そしてお前の前は、俺たちの前ではなく、お前は無軌道だ。本人的にはきっとのしのし、俺にとってはいかにもヨタヨタと歩きたい方に邁進する。抱え上げると「降ろせ降ろせ」と泣き、仰け反る。仕方がないので好きに歩かせる。よその子どもとぶつからないよう、よその大人にぶつからないよう、注意深く俺は彼のすぐ後ろをひた歩くばかりだ。

こいつは、冒険をしているんだな、と思う。

本当になんの比喩でも形容でもなく、ただただ冒険をしているのだな、と思う。

スマホでひとつライオンのガォーという鳴き声を聞かせてやっただけでビービーと泣き出す彼だが、動物園を一人誰とも手を繋がずに歩く彼の表情は驚くほど屈託無く勇ましく、文字通りひとつ間違えば即死になる自由を謳歌している。彼にとってはそうなんだろうと思うと同時に、いくら真っ直ぐ歩けるようになっていくら檻の向こうの動物を見つけられるようになっても、人が生きるだなんていうことはどこまでいっても冒険みたいなもんだよなと自分を鑑みる。

交際を始めた時から数えると、嫁さんとの付き合いはもう、干支を一周した。初めて二人で訪れた天王寺動物園では、キリンが交尾をしているところに出くわし、大変に気まずくお互いに口ごもったことを覚えている。今、キリンが交尾しているのを見かけても、特に気まずい空気もなく笑って話せそうなものだが、その日の天王寺動物園のキリンは、特に後尾はしていなかった。

日光浴しながらお菓子を食べ終えた息子は、りんごジュースをぐだぐだにこぼした服を着替えるべく、母親と共にトイレへと消えていった。俺は、ベビーカーを抱えて一人待ちぼうける。そして、辺りを見回す。春の陽気が気まぐれにこの日限りでやってきた3月の土曜の天王寺動物園は、本当にたくさんの客で溢れかえっていて、そしてそのほとんどは家族づれかデートカップルだった。

こいつらは、息子が見つけられなかった保護色をまとった虎やジャガーやキリンを果たして見つけられただろうか。それを見つけたとして、彼らが見つけるべきは果たしてそれだけだっただろうか。

猫みたいに腹を晒して日光浴をするライオンをかわいかったねと笑い合うカップル、こいつらこの後セックスするのだろうか。愛し合っているのだろうか。死ぬまで出会って良かったと思う関係になるのだろうか。既にそうなんだろうか、今後もずっとそうなんだろうか。

子供が山羊に触ったのだから手を洗わせたいという母親と、べつにええやろという父親、そして既に手の甲で拭った鼻水を舐めているクソガキ。彼らはこれからどんな家族になっていくのだろうか。夫婦はセックスをするのだろうか。

自分のことは棚に上げて、よその人々の動物園の冒険のその先の冒険に僕は思いを馳せる。明らかに冒険然とはしゃぐ息子をよそに、ここを訪れた誰しもが僕を含め、実は人生という冒険の真っ最中なのだなと思いながら、仕事のSlackをめちゃめちゃ返信していた。

やがて着替えた息子を抱き抱えて、嫁さんが戻ってくる。息子は、嫁さんに抱えられていると「どうだ、羨ましいだろ」と言わんばかりの笑みを僕に向ける。

今日が初めての動物園。これから何度も来るだろう。しかしそれは永遠ではなく、やがてこいつは我々と一緒に動物園に行くのを嫌がるようになり、別の誰かとまるで初めて動物園に行くみたいに動物園に行くようになるのだろう。そして更にその先には、言うことをろくに聞かないクソガキを引き連れてここを訪れるようになるかもしれない。こいつもその頃にはすっかり虎もジャガーも簡単に見つけられるようになっていて、まるで冒険でもなんでもないような素振りでいるのかもしれないけれど、俺は漸く思い直したぜ。ここは、毎日が冒険であることを再確認させてくれる場所だ。

キリンが時には人目を憚らずセックスをして、時には隠れてセックスをするように、ここは人間が人生なんか冒険でもなんでもないようなフリをしながら冒険の合間に訪れる、命と命が眺め合う、きっとそういう場所だ。

以上です。