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今更ながら2700のキリンスマッシュの面白さを説明します。

キングオブコント2013を端に発した余熱で2011年に披露された「2700」というお笑いコンビの面白コントを紹介したいと思います。まずはこちらをご覧ください。


2700 キリン - YouTube

僕これめちゃめちゃ面白くて笑っちゃうんですけど、何が面白いのかよくわからないので頑張ってそれを文字に起こそうと思います。対象は「面白かったけど何が面白いのかよくわからなかった人」でその人らに「ああ、なるほど、だから面白かったんだ」と思ってもらえればこれ幸いが一縷の望み程度の話なのでまずはこれを見て面白くなかった人はこんなん読まんと便所でスマホで2ちゃんまとめ見てた方が有意義な可能性があります。

さて、「ああ、これ面白いな」と笑ける時に必ず付随して発生する感覚として「わかった」があります。わけのわからないものは笑えないのです。笑えるのは「わかった」時だけなのです。この「わかった」というやつは大きく二つに分けることができます。一つは「確認」、もう一つは「理解」です。前者は既に知っていた、自分が持っていた感覚が眼前で起こった時に「ああ、それあるよね」という感覚です。で、もう一つがもともとは知らなかったやつ、自覚的ではなかったやつです。「ああ、そういえばそういうのあった気がするけどそれはそういうことだったんか」という「理解」もまた「わからないものがわかった」という感覚であり、前者にしても後者にしてもとりあえず「ああ、これはわかるぞ、わかったぞ」という感覚が笑ける理由になります。

笑える理由の根本はこの二つ、「確認」と「理解」です。この二つは雑に言い換えると「わかった」なのでどう客にわからせるかが、お笑いのキーの一つと言ってもいいでしょう。

そのような観点から2700のキリンスマッシュを見た時、このネタのテーマは何なのかというと「学習」です。かつてわからなかったものがわかるようになる、「理解」を積み重ねて「確認」に至るまでの過程を共に見ている隣のお客さんと体験していく、その過程そのものを面白がるのがこのネタの醍醐味であり本質なのではないかという風に僕は考えています。

順を追って見ていきましょう。まずはキリンがスマッシュする回とレシーブする回を一回ずつ見せられます。ちなみにここまでは全く面白くないです。ここで「シュールで面白い」とか言っちゃうのはファッションお笑い好きです。わけわからんだけで面白いわけないです。面白がるのは勝手だけどここで脱落する人を下に見るのは愚の骨頂です。こんなわけのわからんもん面白いわけがないです。

次に一回目のBETタイムが始まります。そこで我々は一つ目の「理解」をします。ああこれは賭け事なんだ、とか、これは動物の世界なんだ、とかです。人型のキリンが出てくるだけではぶっちゃけ意味がわかりません、こいつが普通の人間の中に紛れてるのか人型の動物がいて当たり前の世界の人なのかよくわからないからです。なので人型のゾウが出てくるだけで一つ「理解」が進みます。人型の動物が当たり前の世界なら意味がわかるからです。そういう、二足歩行の動物がいる世界が幻想として普通にあることを僕らは幼い頃から知っています。そういうのも一つの「理解」です。で、スマッシュにBETしたゾウは綺麗に負けるわけですけれども、これ自体は別にどうってことないです。あるとすれば「賭けに負けて悔しがる人」という既に僕らが日ごろ知っている人と同じ挙動を異形のゾウもやっているので、このゾウは見かけほどわけがわからない存在でもないんだなと思えばそれで十分かなと思います。

そして二戦目、ゾウは再びスマッシュにベットして負けます。我々がここから理解すべき情報は「もしかしてこれは俺が既に知っている負け続ける人のストーリーではないか」ということです。何一つわけがわからないところから出発したこのコントは、実はもう僕が知っているストーリーと同じなのではないか、と脈絡なく登場した人型のゾウに親近感を覚えるようになります。これもまた「理解」です。

そこから三度繰り返されるラストチャンスこそがこれ、「確認」ですね。これまでのよくわからないシーンを経てその中でわかるところだけ頑張って「理解」した結果の自分なりの解釈、それが合っているのかどうかを「確認」するためだけに我々はゾウとキリンの最終決戦を見守るのです。そして結果は予想どおり、我々の「理解」は別に間違っていなくて我々の思ったとおりの結末になったなぁという「確認」をもってこのコントは幕を閉じるわけです。

まーなんかそんな感じです。思いのほかスッキリ言いおおせてここから言うこともうなんかあんまないぞ。カギカッコめちゃ多くてすんませんくらいしかないぞ。でもまー、インスタント感が強いお笑いとしてのコントの世界って今後この「わかる・わからない」とか「理解・確認」とかそこらへんの押し引きをどうやるかに焦点定まっていくような気はなんだかしますね。この前やってたキングオブコント2013のかもめんたる二本目のネタなんかも、そこらへんすごく丁寧に意識してたネタだったなとか思えるわけです。共通認識ゼロからスタートするのがコントです。古いコントは最序盤で「このコントはこういう設定です」っていうのを全部共有しにかかるのが主だったわけですけど、もうそういうのはいいかなって流れはあるのかなと思います。かもめんたるはそういうのを逆手にとって「こういう設定ですよ」のシーンで嘘をつく役柄を配置しました。その嘘に騙されっぱなしで「理解」と「確認」を繰り返した客をぶっ刺すようなあのラスト。再現性不可能というと大げさなんですけど、「こういう設定ですよ」を受け入れた画一的な客を想定したシチュエーションコントというものはやっぱ今もうちょっとしんどくて、ネタやってる最中に客の理解度が変容していくような、そういう構造のネタが今後の主流になっていくのかなぁとか思っており、やっぱり今年のキングオブコント大変面白かったです。来年もとっても楽しみです。

今更こんなこと言うのも恥ずかしいんですけど、お笑いのこと僕はすごく好きかもしれません。説明し終えた時点でもうほぼ喋ることなかったんですごい雑なんですけれども、以上です。