たぶんまぁまぁ乱暴な話を俺はこれからするような気がするんですけど。
僕、難しい話わかんねえですけど、これは何だろ。インフラ?社会福祉?世の中の便利さ?の話、ってことでいいのかな。あんま難しい話がわからない僕にわかることは金玉は油断するとキンキンに冷えるけど、陰茎は結構いつまでも芯だけはあったかいくらいなんですけど。
さ、そういうわけで男子の読者はみんな「そうかな?」って思って手で触って確認したところで本題に入るわけですけれども。今、僕が「さ、そういうわけで男子の読者はみんな『そうかな?』って思って手で触って確認したところで本題に入るわけですけれども」と言ったのも、まぁ有り体に言って僕が今これを書いてるのが夜中の1時半だからなんですけどね。どうも読んでる方も夜中の1時半に読むつもりで筆が踊っちゃうから「どうせお前ら今、気兼ねなくちんちん弄くれる状況でこのブログ読んでんだろ?」って気になってきちゃうんだけど別にそんなこたぁないんだよね。他人が、いつ、どういう風に、このブログを読んでるかなんて全然わからないのに、俺はわかった気になってしまうんだ。
なんか、こういう話になると、「未来のことも考えましょうよ」って話ばっかりなんだけど、俺は、この今・今この瞬間が、どうもおかしいなぁ。と思ってしまうんです。
本当に純粋に不思議なんだ。昔は、たぶんいつだって人手が足りなくてさぁ、百姓が子供をわんさか産んでたのって結局人手が足りなかったからでしょ。産まなきゃ詰むのはわかってるんだから、そりゃ産んじゃった手前最大限かわいがるし幸せを願うと思うんだけど(それは後ろめたさじゃなくて純粋な気持ちで)、結局そもそも、なぜ産むの?って話になったら「そうしないと回らないから」だと思う
んだよね。昔の百姓なんか、次の収穫期にどれくらい米が穫れるかなんて保障も全然ない中で子供を産むわけじゃん。とりあえずポコポコ産んでいかないと、そのうち詰むから、そりゃ産むよ。米が穫れるかはわかんないよ。お乳が出るほど飯が食えるかもわからない。お乳が出ない乳房に業を煮やしたひもじい赤子に乳首噛まれるかもわからない。それはきっととても申し訳ない気持ちになるし、つらい。それでも産まないことにはだから産んでたみたいな、昔ってたぶんそんな感じでしょと思うわけです。
そういう類の苦しさを感じることなく、子供も産まずに、すんっげー豊かな生活をしている人が、この現代にはたっくさんいるように思われるんだけども、あの百姓どもの苦しみはどこに行ってしまったんだ?わかんねえぞ?ってことを僕は思うんです。
これは、別に「苦しめ」とか「産め」って話ではないんですよ。ただ純粋に「あれ、今ってどうなってんの?」って話です。どうなってんだってばよって話です。「このハムスター結構長生きしてるけど俺、餌あげた記憶ほぼないけどなんでこいつ生きてんの?誰が世話してんのこれ?怖っ!」みたいな感覚に近い話です。このハムスターは僕であり貴方です。
なので、僕は、「今がもう不思議だなー」って思うんで、「今が良ければ未来はどうだっていいのか」みたいな話にはあんまりピンとこない。少なくともそれはこれからの話ではないだろ、と思う。「自分が死んだ後は知ったこっちゃない」と「他人のことなんざ知ったこっちゃない」の区別ができるような状況ではないだろ、と思う。
この話題に限らずなんだけど、俺、どっちに転ぼうとどっちでもいいんだよなぁ。次の世代にできるだけ良い形でバトンをつなぎたいみたいな気持ちがめちゃんこあるわけでは決してない。渡さないなら渡さないでいいんじゃない?とすらハッキリと思っている。「地方に住んでたら死ぬのは仕方ない」って気持ちも、それに納得いかない気持ちもわかる。で、そういうのって「障害者が死ぬのは仕方ない」と地続きじゃないの?って俺なんか思っちゃうんだけど。極端かもしれないけど、なんかこう、生きたいように生きる権利ってそういうことじゃないの地続きじゃないのって思うんですけど。で、そこで考えると障害者が死ぬのは仕方ないことないので、出来る限り彼らが僕らと同じように生をアレできるような社会にしようって方向に舵切ってるわけじゃないですか。それは、手間か手間じゃないかでいうと手間だし、コストがかかることだよねぇ。
でも、そういう方向だって言うなら、まぁいいんじゃないのって気はする。
究極にみんなに優しい世界というのは、ヒトという種族ベースで見れば、そりゃあゆるやかな自殺です。「ちゃんと生存競争しなさいよ!」ってオカマに怒られるやつですよ。でも俺は別に自殺なら自殺でいいやと思うし。チューブだらけで延命したって仕方ないしさ、それなら人間らしく滅びるでもいいじゃない。そういう意味では、インフラを広域に維持しようとしてくたばるのだって別に構いやしないよ、と思います。まぁ全部「自覚的にそうしたなら」という条件付きですけどね。なんか、わけわからんうちにミスってた感がありますねこいつぁ、みたいな滅び方はやめようよ、と思う。
えーと、だから何の話でしたっけ。まぁ要するに俺は、自覚的に狙ってそうしてるんなら本当になんでもいいんですよ。後ろにどんどん皺寄せがいって幸せが遠のくなんて展開ならそれはそれで、「まーそういう流れだしなぁ」って思うし、ただやっぱじゃあさんざ乳首噛まれて首の皮一枚つながってるだけの乳首の百姓女に上の世代は面と向かって「ざまぁ!」と言えよと思う。どっかにいるはずなんだよ、現代にも。首の皮一枚の乳首。そういう奴らに「お前は俺が幸せ人生を満喫するための駒だ!」とか言い切れよとは思う。そうしないとフェアじゃない。
逆に、若者だって、子供を産むつもりもないのに生きてるんならどっかの百姓にツバを吐きかけながら生きてるみたいなもんだと思った方がフェアだと思う。欲しくてできないならそりゃ仕方ないから知ったこっちゃねえけど、別に作ろうと思えば子供なんざ作れるけどもめんどくせえからって子供を産まない奴は、どっかの百姓の頑張りの結果を享受しながら生きてる癖に百姓を作る気もないわけだから、そりゃどうしようもねえわなって思うこともよくあるわけです。
話がとっちらかっておりますが、これなんで書き始めたんだっけ。今そろそろ限界で眠いんで、どうにか締めたいんですけど、まぁ、なんとなくで世界の有り様を解釈して満足するのはやめてくれ。世界の有り様ってやつは、変化を伴っていつだって今さ。それが良い変化か悪い変化はわからない。再び栄えるかもしれないし、そのまま滅びるかもしれない。
思うのは、そこにただ自覚的でいてくれってことなのかなぁ、「救われる存在である」みたいな自意識に酔ってるヒトとかまあむかつくしなぁ。むかつくて。それじゃあまぁ、なんか満足したんで切り上げます。眠いから。以上です。