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「M-1グランプリ2020」感想文

やー、今年も最高だったね、M-1。文句は多い、文句はないことはないM-1だったんだけど、今年も、今年のM-1として最高だったよね。

僕はリアルタイムで見れなかったからTwitterは絶対見ないようにしつつ22時半くらいから録画を観始めて、見事ネタバレ被弾率ゼロで完走してこのブログを書き始めたのが25時25分なんですけど、これ2歳3歳の小さいお子さんがいらっしゃる人がリアルタイムでTwitterで色んな番組の実況してるの見るたび一体どうやってんの!?って思うんですけど。麻酔銃?叙述トリック

まぁ、そんなことを言っても仕方ないので22時半頃から、まるでリアタイ実況のようにTwitterに都度都度つぶやいてたツイートと共に振り返りたいと思います。なお、全ての僕の勝手な採点は、勝手な採点である以上、審査員の点数を知る前にツイートしてしまうという勝手な矜持のあるルールでやってました。

昼からワクワク。

そして観始めた、録画の本番。2018年は審査員の空気悪すぎて、ファイナリストと観客vs審査員みたいな感じだった。2019年はその反省を踏まえて、審査員も一丸になって超面白い笑えるエンタテイメントをお届けするテンションになってた。2020年はどうなるんだろうとハラハラして観始めたけど、おおむね2019年を踏襲するテンションでみんな臨んでるな、というのは一つホッとしたところだった。上沼恵美子は、今年なんかコロナとかで私生活大変だったらしいと聞くので、元気をもらって帰ってほしいな、と思った。

敗者復活、最初の5組6組くらいしかまだ見れてないまま、とりあえず決勝観始めたら上位3組が舞台にいてて、トップバッターの金属バット観ておいて良かったな、と思った。観ておけば「あ、絶対これ敗者復活上がれないじゃん」とわかっていたからガッカリが少なかったから良かった。敗者復活ってあれ、女性ファン掴んでりゃそれでいいんでしょ?みたいなところが和牛とかの影響で感じていたので金属バット今年は敗者復活でいけるんちゃうか思ってたけど、トップバッターのあのネタみて「全然行く気ないじゃん」と思ってそれはそれでよかったよっかた、と思うのであった。あと、ぺこぱも敗者復活戦序盤だったのでちょっと見れてたんだけど、自分らのネタを食いつぶすセルスオマージュネタみたいな感じになってて、これが決勝行かれても興ざめだなーと思ったので、結果的に行かなくてよかったなー、とは思った。やっぱり、一度爪痕を残したヤツらがもう一度まっさらな爪痕を残すのは難しいな、と思う。そういう意味では、毎回毎回笑えるけど優勝できない違った切り口の新ネタを何年も持ってきてた笑い飯ってすごかったんだなー、みたいなことは思った。

インディアンスも、敗者復活をちょっと見れてたので、厳しかったけど決勝いっちゃうんだというのが第一印象だった。ただ、屋外と屋内という環境の違いとか、その日2回目のネタ出しとかで、こんなに変わるんだなぁと舞台というものの奥深さを改めて思った。同時に、これがちゃんと決勝に上がることをわかってない自分の見る目のなさも。でもやっぱ、序盤ツッコミの人が明らかにめちゃめちゃ上がってて噛みまくってるなかでボケの胸にヒマワリ活けてる人が敗者復活のトップバッターにしかできないアドリブをちょいちょい挟んでそれでツッコミの人の緊張がほぐれて本調子になっていく過程が一本目で見れたのはすごいよかったなと思った。こういうのが見たいんだよ、俺は、M-1で。って感じがすごくした。芸風としては繰り返すにはアンタッチャブルの過剰なふざけに対してツッコミがキレながら突っ込むフォーマットだったと思うんだけど、それをどこまで高速でできるかに心血を注いだ結果、キレがないというと語弊があるんだけど、ボケとツッコミのあいだが流れてるというか、なんかクライマックスがない漫才になってしまっていたなという印象があって、それはつまりこの先があるということなので、これからもっと面白くなってほしいなと心から思った。

これは、2番手なのでこういうコメントになったんだけど、今回の大会はとにかく1つ目のボケまでのフリの時間がこんなに長いことって最近あったかなと思うくらいみんな悠長な漫才が多かった。そういう時代なのかもしれないので、そんなに東京ホテイソンも間違ったことはやってはいないのかもしれない。けど、やっぱり面白いけど物足りなさはあった。「なにかおかしなことを言い始めた、早く突っ込んでくれ突っ込んでくれ」と思うんだけど、ツッコミをグワーッとやりたいがためにボケが丁寧にどういうボケなのかを提示するっていうその時間が空虚に思えてちょっとつらかった部分もあった。去年のM-1を踏まえて見ている自分としては、それがどうも怠惰なゆるいテンポに思えてしまって、没入しにくかった。劇場で、目の前で、やられたらきっと大爆笑してるんだろうなーと思いながら。

Twitterに書いたこと以上の感想はあんまりない。二本目なにを用意してたんだろうなーとは思う。危なっかしい題材を危なげなく扱うのはそれは一つの技術だと思うし、じゃあこれを「台本」として捉えた時に、誰がやっても成立するのかというとそんなわけは当然ないし、漫才って「その二人だから笑える」みたいなやりとりなのが一番大正義なのだと思うし、じゃあ、この二人がこれをやるのは一つの芸風として成功なんだろうとは思う。ただ、まぁ、笑えるか笑えないかでいうと、なにせ題材がネットずっぷりの僕からするとあまりに身近というか普遍的すぎて突飛には感じられず、そんなに面白いことやってるようには思えなかった。

近年のM-1のなかで和牛のネタがポリコレ的な脱臭を行っていく変遷を見守っていたこともあって、今年の見取り図はどうなるんだろうという期待はすごく強かった。で、脱臭は脱臭でまぁしてた。変な難癖はつけにくい仕上がりになっていた。便宜上の「誰も傷つけない笑い」を目指しつつ、ツッコミの人の変なツッコミのパンチラインをどう残すかみたいなそういう試行錯誤は見えてて、よかったなーと思った。見取り図の、一撃変なツッコミで全然違う絵を見てる側に想起させるやり口はすごく好きなんだけど、やっぱしそれを恐る恐るやってる感じがあって、マネージャーという設定もちょっと「ガリガリに刃は研いでますけど、それはマネージャーがいる審査員にだけ本当の意味で伝わればいいです」みたいな及び腰は少し感じた。

このツイートで言ってることは、二本目も踏まえた結果としては間違ってた、と思う。いや、一本目自体についての感想としては別に間違ってないのかな。ピン同士が組んでやりました、っていう関係性のうえでこれをやるっていうギクシャク感が「関係性を客に愛してる漫才」と評していいものには仕上がっていた気はする。二本目見た印象はまた全然違ったけど。

ここまでの漫才はどれも、漫才師二人の「キャッキャウフフ」をいかに客にウフフと見てもらうか、あーこういうの好きだわーと思いながら見てもらうみたいな、そんな戦略の漫才が多かったように感じていた。俺はここまで「そうか、今はこんな漫才が潮流なのか」と思いながら見守っていたのだった。俺の好きな笑いは、たとえば脇の下を十の指でワシャワシャとまさぐるような、そんな問答無用の脳が面白いか面白くないかを判断する暇もなく問答無用で腹から声が出てしまうようなそんな笑いが好きなもんで、そういうのが今年は足りねーなーと思っていたんだけど、それもくじ運だったのかな!!俺の好きな奴らは後半に溜まってたのかな!?と思ったマヂカルラブリーの登場だったんだけど、やっぱネタのピークが前半に寄り過ぎてたのは事実だよね。最初の30秒だかのまるで冷静淡々ぼやく系のボケみたいな仕草が最初のあのクソボケのフリになってて生まれた大爆発(これは、その前のすべての演者もフリにするような大爆発だったと思う)ってのはあるので仕方ないわけだけれども、まぁ、結果から言えば「これで最終決戦残れるのか」と非常にヒヤヒヤする点数に落ち着いた。後述することにはなるだろうが、そのような「冷静淡々げやく系ボケだと思ったら馬鹿だった」というファーストインパクトも、最終決戦を見ると、これも一世一代のフリだったのではないかと考えると、考えるに恐ろしい。(もちろん野田クリスタルがすごいバカなのはずっと前から俺は知ってたんだけど)。

オズワルド、何もかも不運だったと思う。前回の反省を踏まえて、さすがに淡々とだけじゃ通じないと思って、ツッコミにアクセントないしエッセンスないしスパイスを足そうとして2019を鑑みるとそれは完全に大正解だったんだけど、2020は全然そういう大会じゃなかった。2020のM-1は、なんかコンビ間の親密度とか信頼感が点数と比例する大会になってしまっていたので完全に裏目に出てしまった。審査員のコメントもさぞ辛かったと思う。これから何をやればいいのかわからんなるやろコレ、と素直に思った。なので俺は、この段落を書き始める前にオズワルドのYouTubeチャンネルに登録した。オズワルドはどういう時が一番面白いのか考えたいなと思った。普通にめちゃめちゃおもしろいのは間違いないのだけども。

勝ってる時でも負けてる時でも、あの椅子に座ってる時の中継の受け方ってM-1の見どころのひとつだよね、と思う。

放送を見る前からすごく期待してて、期待の仕方としては2018のトム・ブラウン的なそういう暴れ方を期待していて、実際に面白かったしめちゃめちゃ笑ったんだけど、大会上の果たした役割としてトム・ブラウン的だったかというと全然そうではなくて、最年長ファイナリストのおっさんがめっちゃはしゃいだ笑いをやってるっていうところで、すごく関係性というかストーリーの中での笑いに収束されてしまっていた気がしていてもったいなかった。これは、錦鯉の二人が悪いわけでは全然なくって、くじ運の問題かもわからないくらい、「今回の大会」の傾向をもろに受けてしまっていたんだろうなぁと思う。

アキナとウエストランドは、なんで残ってるのか全然わからないネタだった。旧時代的と言い切るとポリコレ勢みたいに思われそうだが、単純に真新しさがなくて、昭和の漫才に安いメッキを貼っつけたみたいなネタだった。で、他のコンビのネタも面白いんだけど、二つの肺を根本から締め付けられるみたいな畳み掛けはなくて、笑い殺しにくるというよりかは楽しませるような漫才が多かったように思う。それ自体が悪いということは全然ないんだけど、その中になんでアキナとウエストランドのこの二組が?というのは正直残った。僕は、去年の史上最高と言われたM-1に味をしめて何かしらのストーリー・潮流を作ろうとした作為があって、決勝の大御所たちではない、準決勝までの審査員たちになんらかの狙いがあって今回のファイナリストが選出されたのではないかなと少し邪推をしてしまうくらいであった。本当にとにかくテレビの前のお茶の間のみなさんを満遍なくゲラゲラ馬鹿笑いさせようと思ったらこのメンツになる・・・?みたいな。そういうのは少し感じないではなくて、そのバランスの中にこの2組の毒というのももはや稚拙に感じられるアレがどうしても必要だったのかなぁみたいなことを思ってしまったのだった。

 

その地域を知って愛着ある人からしたら、ゲラゲラ笑える漫才なのはわかるけど、これ最終決戦のネタかー??とは正直思った。むしろ取っ組み合う下りとかも含めて、なんか自分らの売り出し方を身内にアピールしてるように見えて、今回の大会を象徴しているように見えた。優勝は優勝で大事だけど、見ている人に印象的に覚えてもらうのはそれと同じかそれ以上に大事なのだ、みたいな。そういうノリを今回のファイナリスト立ちに感じていたので、なかなか見ていて、難しい色の吐息が出る漫才だった。

で、その後のマヂカルラブリー。結局一番笑ったのはこれ。ただ、ここまで書いてきたように色々考えていることはあったので、一番笑ったのはこれだけど、一番笑えたものが一番良いものだという確信は見終わった後でも全く持てなかった。ただ、この漫才と言えるかもわからないただバカな動きを繰り広げる一辺倒がここまで違和感なく受け入れられたのは、この前の一本目の1ボケ目までの長いフリと溜めがあったからこそであり、あれがあったから開幕直後の動きボケからの「それをやめないししゃべくらない」を成立させていたのでその一点におてのみは技巧的だったんだけどその一点以外については全く何一つ擁護できないので、だからこの時点では「ありがとう」としか思えなかった。なんかお行儀の良い今大会でものすごく馬鹿なことをやってくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになった。野田クリスタルがお米農家に見えた瞬間であった。

で、その後においでやすこがであった。これをちゃんとやっている、と言っていいのかよくないのかが本当に全然わからなかった。面白いんだけど、これは漫才か??と思った。理由は書いてる通り、センターマイクを境に、お互いがお互いの得意なことをお互い勝手にやっているだけだったからである。それはもちろん成立していて面白いのだけど、ものすごく足し算の漫才に見えたのである。掛け算ではなく。すごく不思議な感覚で、「この二人じゃなきゃできなかった漫才」であるのは間違いないのだけど、一方で「この二人みたいな二人なら誰でもできた漫才」のようにも見えてすごく気に食わない気持ちもあった。誰にでもできることではないけれど、本当のこの二人の唯一無二の漫才だろうかと言われるとそうは思えなくて、ごめん、面白いんだけど素直に勝ってほしくない・・・!と思ってしまった。「俺にはつまんねえよ」じゃなくて「勝ってほしくない」と思ったのはM-1見ていて初めて思ったことかもしれない。で、特に今回は舞台を縦横無尽に駆け回るような、立ち位置がスイッチするような人たちが多かったから、特にこのおいでやすこがのセンターマイクを境にお互いがお互いの得意な芸をやってそれがシンセサイザーの組み合わせみたいなノリで組み重なって成立してるみたいな漫才がすごく異質に見えて、コロナの仕切りが一組だけセンターマイクのあたりにあるのかなって思っちゃったんだよね。なんか、この二人が優勝獲っちゃったら、なんかすげえ気持ち悪いなって思っちゃって、ネタは別に全然面白かったんだけど、マジでそういことを思ってしまってごめんね、とうい気持ちだった。

ただ、「こんなの漫才じゃない!」でいうと、一番全然漫才してなかったのが一番バカバカしてく笑えたマヂカルラブリーで、見取り図は一級品のガラスケースに入った漫才をしていて、これはある意味では、すごく高度な泥仕合だなと思って、私は結果を見守るしかないのであった。

 

そういうわけで、最高レベルの泥仕合を制したのはマヂカルラブリー。録画を見終えた直後にこのブログ書き始めてるので、その後のSNSでの評判とかは全く見てない。歓迎されてるのか、「見取り図だろ」「おいでやすこがだろ」と罵声を浴びているのかもわからない。でもまぁ、最終決戦の投票があんなに荒れてるのもたぶん初めてだっただろうし、だから俺あんな大爆笑したんだろうな、とも思う。

 

観終えてみると、本当になんだかコメントのしにくい大会だったなぁ、と思う。

面白いんだけど、すごく面白かったんだけど、俺が欲しかったものと違う、というのが率直な感想ではある。けど、それはもちろん、俺がちょっとズレてるからそんな感想になるんだろうな、とも思う。素直にそう思う。

突飛な発想、異常な人間の異常なんかじゃなくて、なんとなく私達の心を代弁してくれる、私達の胸の内を反映してくれていて、普段忘れている私達の胸の内を私の胸に去来させてくれる、そんな関係性を目の前に表出させてくれる、そんなコンビがファイナリストに多かった気がする。決勝戦の採点がどうのというよりも、やっぱり誰がファイナリストに選出されているかという部分に偏りを感じた大会ではあったかなぁ。

どいつもこいつも愛らしく、ちょっとおかしいボケる方もそれにガヤガヤするツッコむほうも、その互いの関係性を楽しんでいるやつらが選出されているんだなという傾向を、もしかしたらこのご時世による僕の感傷にすぎないのかもしれないけど、なんだかそんなことを強く感じるそんなM-1だった。物足りなく感じるのは、コンビの関係性を面白さに昇華するべく互いに向き合うベクトルがみんな強くなりすぎてるせいで、やっぱり去年以前のような客(視聴者)を笑い殺してやろうみたいな殺気がどうしても薄くて、あんまり酸素が多くて呼吸がしやすすぎたなぁという部分だ。

ま、今年はそんな一年だったしね、とも思う。いや、実際には俺がそう感じただけで息ができないくらい笑い転げながら行く末を見守った人もたくさんいるんだろうし、そんな人がたくさんいるんだろうなってくらいみんなめちゃめちゃ相手の顔を二度見しまくっておもしろい掛け合いをしていたし、人との付き合い方やら距離の取り方やら何から何までしっちゃかめっちゃかにされたこの年、「人前でたった二人ぼっちでただただしゃべくる」という競技において羨ましいと思えるくらいになんだかんだ仲の良さそうなボケツッコミという凸凹の関係をまざまざと見せつけてくれるというこのイベントは、やっぱし絶対素晴らしいものなんだろうなと今こうして書いていて、俺ちょっと文句言い過ぎだなと思いながら本当にそんなに文句をつけるような大会だったかなと振り返った時に思ったし、それで勝ち残った最終決戦は三者三様にものすごくいびつでものすごくその二人だから拝めた関係性ばかりだったし、じゃあそれでいいじゃん、来年のM-1も楽しみだなぁと思いました。

じゃ、今から柱合会議見て寝まーす。

以上です。