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世間話するのと熱湯ぶっかけるのは大体同じ

はい、上記読んだんで「まぁだいたい同意です」みたいな内容の話をします。

僕はもともと内容のないお喋りがすごく好きな人間なので、たとえば最近やってたので言えば電車の中で同僚と玉音放送って長渕剛みたいな言い方で読んだらめちゃめちゃ面白いのではって話になって二人でスマホを開いてググって玉音放送をただ長渕剛風に朗読するっていうのをやってたんですけどまぁ最終的に「米英」をいかに長渕に寄せて2拍で「ベイっ」「エイっ」って言うかを競う感じになったんですけど、カマキリとかのでかい虫を食うでかい蛙とか、一口目でパクついて捕らえてからの更にグッと飲み込む二口目までだいぶ間隔空くイメージがあるんですけど、それくらいの間隔を置いての「ベイっ」「エイっ」っていうあの感じ、あの感じをうまく出来た方が勝ちみたいなことをやってるくらいなんで、完全に内容のないおしゃべり大好きチームなんですよ僕は。そんなやつの意見は聞きたくないって人もいるかもしれない。いるかもしれないけど、まぁせっかくだし聞いてよね、聞かないならカマキリを一口で食べきってから立ち去ってくれと思うわけですけど、給食でカマキリの素揚げを出すようになったら歯と歯の間にカマキリのカマがサクッと挟まって歯茎出血して保健室送りになって午後休かます奴がいるみたいなのがあるあるネタになると思う。

しかしですね、このシロクマ先生のエントリで、内容のないコミュニケーションを馬鹿にしてる勢に配慮しているのか、シロクマ先生が心からおもっているのか、よくわからねえけど全然そこはおかしいだろと思うのは、「言葉」とか「コミュニケーション」とかいうものをすごく定量的なものとして扱っているということですよね。「おはようございます」を単に1「おはようございます」という一つの単位として処理しようとしていますよね。生活の中での他愛もないコミニュケーションは大事だよね、そうだよね、そこをちゃんと描いているからこそテニスの王子様はリアリティがあるんだもんね、わけのわからないトンデモテニス描写も多いけど、合間合間でみんなで焼肉を食べたりとかビーチバレーをしたりとか、そういうところでの何気ないやり取りがキャラクターが自然に存在していていいんだと思わせる説得力を生み出してるんだもんね、とか思いながら読んでたわけですけど、たぶんそんなことないでしょう。いや、テニスの王子様へつけたいケチは一つもなくて、「おはようございます」に意味があるというのは嘘とは言わないまでも説明不足でしょう、と思った。

だってみなさんねぇ、ドナルド・トランプ石原さとみに全く同じ寸分違わぬ「おはようございます」が果たして言えますか?言えないでしょう? ドナルド・トランプに「おはようございます」を言う時は、どう考えたって東京03が島田紳助に言う時のおはようございますに寄りますし、石原さとみに「おはようございます」を言う時はイモトが手越くんに言う時のおはようございますに寄せにかかるでしょう。

「内容のないコミュニケーション」という言葉にそのままケチをつけずに乗っかるシロクマさんっていうのはむしろ処世術かもしれませんね、コミュニケーションに意味を感じない派に阿っていると言ってもいいかもしれない。全く内容のないコミュニケーションなんざ、よっぽど百戦錬磨のコミュニケーションの達人でもないかぎりそうそう出来やしませんよ。内容という言葉じゃピンと来ないのなら、情報と置き換えてもいいかもしれない、「言葉それ自体」には何の内容も情報も意味も含まれていなかったとしても、その言葉をやりとりする状況の中には莫大な量の内容や情報や意味が含まれています。否が応でも含まれてしまうのです。それを見落としていることに気づきもせず「何の内容もないコミュニケーションは馬鹿馬鹿しい」と言ってるのがどれほど滑稽なことか。海の底で「酸素ボンベは邪魔だから要らない」と言っているようなものです

結局なんつうんすかね、僕の目の玉から見える世界の話をさせてもらいますと、人に言葉を投げかけるのも、水面に小石を投げ込むことも、人に熱湯をぶっかけることも、人の太ももに針をぶっ刺すこともそんなに大きくは変わらないんですよね。

相手の反応を見る、というそれだけ。

俺が「おはようございます」を投げかけても、誰一人として同じ「おはようございます」を投げ返してくる人はいない。俺とあなたの関係性に依拠した十人十色な何かしらの言葉と眼差しとの組み合わせが返ってくる。熱湯ぶっかけたって、いきなり針ぶっ刺したって、笑って済むこともあればシャレにならないこともある。昔はシャレで済んだらしいけど今はえらい怒られるらしい。それ自体は仕方ないよね。怒る人の言うこともっともだし。じゃあ熱湯や針なら気兼ねなく突っぱねられるけど「おはようございます」に対してはどうするの? かつて熱湯や針で人としての度量を試されていた時代は終わり、今なら「熱湯浴びせられたら怒るのも当然」で済む時代だけれども、「おはようございます」にはどう対処する?うまくできなかったとしても「おはようございますと突然言われたんだから機嫌を悪くするのも無理はない」とはならないよ、けどやられてることは熱湯浴びせられるのと大して変わらないとも思うんだ。

だから俺は一体どっちの立場だろうね、俺個人としては世間話も熱湯ぶっかけたりぶっかけられたりするのも全然苦じゃないタイプではあるのだけれども、それができない人たちには「まぁまぁ」と言いつつそれを強要されたらむかつく感じはわかるぞ、とも思いつつ。

いやでも、ゆめゆめそこを履き違えるなよと思うのは「内容のないコミニュケーション」というのは嘘なんだよ。それはお前がそこに内容を見いだせていないだけなんだよ。たとえばつまらない力関係のマウント取りだったり、私はこういった思想の持ち主だみたいな謎の宣言であったり、単純なあなたと同じ時間を過ごせて嬉しいみたいな好意だったり。何かしらの情報がそこには絶対含まれているはずなんだよ。だって俺たちはロボじゃないんだから。ロボ的なパンチの射程距離はそんなに長くないのだから。

自分にとって瑣末に感じられる情報を「内容がない」と形容するのは、シンプルに言ってリスクだ。「内容が何かしらある」という事実を自身の都合で捻じ曲げて解釈する人物というのは、なかなか信用しがたい。

そういうわけでシロクマ先生と結論は概ね同じなのだけど、僕は、「内容がない、それの何が悪い?」ではなくて、明確に「内容がない?それはお前の目が悪い」というスタンスです。以上です。