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横光利一『春は馬車に乗って』

 

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

 

青空文庫でも読める。1万字だからサクッと読める。このブログが普段書いてるエントリを最後まで読んだ経験がある人間なら苦もなくさらっと読めるだろうので読もう。読め。

図書カード:春は馬車に乗って

 

これを彼が初めて読んだ十九歳だか二十歳だかの時分、今もあまり治ってはいないようだが彼はいつだってイライラしていた。

彼は他人を介してしか物事を考えられない自身の性分を勘違いして、自分は他人に興味がある人間なのだと思い込んだ。だから彼は、他人のことをわかりたかったし、わかってほしかった。彼がそのような欲望を自覚したその日から今日に至るまで、彼がその欲望を満たすことができたところはついぞ誰も見たことがない。だから今となってはそんな欲望、土台無理がある夢のような話であることは彼もよくよく理解しているが、彼がその欲望を白日の下で現実のものにしようとするのではなく白昼夢を捕まえるように自分の脳の裡に事実とはまったく関係ない記憶として留めようとする形で抱きかかえていこうと決めるのはまだ随分先の話、当時の彼は夢でしか見ることのできないそれを現実の場に引きずり出してやろうと大真面目だった。そんな馬鹿馬鹿しい夢を実現させるための武器を彼は言葉以外に持ち合わせていなかったようで、だから彼は毎日を雄弁に生きた。そうすることが彼にとっては自分を信じることであり他人を信じることだった。少なくとも当時の彼はそのように信じて疑わなかった。しかし思うような結果は得られるはずもなく、彼は他人がわからずわかってももらえないことを嘆きながら巡る四季を通りいっぺんの苛立ちと共に過ごす。それでも日々をつまらないとは思わなかった。それを思ってしまったらもうおしまいだったので、つまらないとおいおい泣く夜があっても、泣きでもしなきゃらつまらないと思って泣いてるのだからまだまだおしまいなんかじゃないと思いながら泣いていた。それはさながらボタボタと鼻血を流しながら顔面セーフを主張する小学生のようだった。

そんな彼が、誰に相手にされるでもない生活のなかで誰に見られているでもない癖にコソコソと繰り返し読み耽っていたのが『春は馬車に乗って』である。作家・横光利一が、肺病を患いただ朽ちていくのを待つばかりの身となった自身の妻と死別するまでの生活を元にして綴った短編小説だ。

 妻は檻のような寝台の格子の中から、微笑しながら絶えず湧き立つ鍋の中を眺めていた。
「お前をここから見ていると、実に不思議な獣だね」と彼は云った。
「まア、獣だって、あたし、これでも奥さんよ」
「うむ、臓物を食べたがっている檻の中の奥さんだ。お前は、いつの場合に於ても、どこか、ほのかに惨忍性を湛えている」
「それはあなたよ。あなたは理智的で、惨忍性をもっていて、いつでも私の傍から離れたがろうとばかり考えていらしって」
「それは、檻の中の理論である」

病に侵されなにひとつ思うままにならない妻は、事あるごとに言葉を以って夫である彼を糾弾する。彼は彼なりの論理を以って言葉を返し、妻のささくれ立った心を解きほぐそうとするがそれはいつも叶わない。彼女の檻の中の理論はいつだって彼の言葉を無効化し責め立てる、彼もまた妻を愛していればこそ彼女の檻から離れることも出来ず逃げ場もないところを追い立てられただただ疲弊し消耗する。彼はそんな自身の境遇にまた言葉と論理を以って新たな解釈を与え、自身の幸福を確認する。自身が幸福であると信じられる解釈を探し、それに寄りすがって妻の隣に佇む。これは、ただ、ままならぬ他者を隣に置いて未来の果てまで寄り添っていようとする二人の物語である。何より二人の眼前には死がいつだってぶら下がっていたものだので、二人がただ寄り添い合うだけのことにも困難が付き纏ったし、死がいつだってぶら下がっていたゆえに、二人はただ寄り添い合うだけのことをやめるわけにはいかなかった。それをやり遂げるために二人は自身を慰める理論に縋るより仕方なかったし、それに縋るということはお互いを傷つけ合うことも厭わずその理論を確認しあうことであった。

彼はその小説をしばしば定期的に、繰り返し読み続けた。その物語には、言葉の勝利はどこにもなかった。ただ、言葉によって痛みを分かち合い消耗していく二人があるばかりだ。そこに当時の彼が何か希望めいたものを見出していたのか、それは今でも彼にだってよくわからない。ただ、それを読んでいる間は自身の抱えている孤独を世界で自分一人だけが抱えているわけでもないような心地がした。そんな当たり前のことを確認する手立てが彼には他に見つからなかった。なぜなら常日頃の彼はその手立てや理論を他人に求めることしかできない人間であったからだ。またそれゆえに、その物語に触れている時間が果たして彼にとって希望そのものであったのかも彼には判然としなかった。その小説を読んでいる時、決まって彼の隣には誰もいなかったからだ。それでも彼はしばしばその小説を手に取り、また日常に戻り誰ともつながれないもどかしさに打ちのめされ、そうして布団から這い出て歯を磨く頃にはさっきまで見ていた夢のことなどすっかり忘れてしまっているようにあの物語を読んでいた時の心地がどこかに行ってしまった頃、またその小説を手に取った。

それから彼は人並みに多くの人と出会い、人並みに多くの人と別れ、今もなんとか生きながらえている。幸いなことに、別れた人より出会った人の方が、少しだけ多いそうだ。それが彼の夢を叶えたことになっているわけでは到底ないのだけれど、彼自身はそれだけのことをまんざらでもない調子に思っている。彼の生活の周辺にはかつてと変わらず言葉と理論が溢れ返っていて、相変わらずそれらには助けられるよりかは傷つけたり傷つけられたりすることの方が多い。そういうものだと諦めている様子もないが、昔よりかはいくらかふてぶてしく飄々とやっていっているようだ。それでも彼が未だに時たまその小説を手に取ることがあるのは、何か忘れたいことがあるからなのか。はたまた思い出したいことがあるからなのか。それは矢張り彼自身を以ってしてもよくわからないでいるらしい。見られて困るものでもない癖に、相変わらずコソコソと隠れて読んでいるらしい。彼にはいつからか妻がいるらしい。

 

 

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