全然関係ないけど「EZ DO DANCE!EZ DO DANCE!」からめっちゃスムーズに「いつも余裕シャークシャーク!」に移行できるんですけど、これどうしたらいいですかね。
あのーなんか「キンプリはいいぞ」ということはそこかしこで聞いてまして「そうなんだ、みんなそう言うってことはきっといいんだな」くらいに思ってたんですけど、先立って嫁が一人で観に行ってたみたいで「よかった?」って聞いたら「よかった」って言うんですよ。ただ「どんなんだった?」って聞いても「すごかった」しか言わないわけですよ。「いや、どうすごかったの?」って聞いても「なんかすごかった」しか言ってくれないのでヤバいなこれ反抗期来たなって思って。もう嫁は俺としゃべるのめんどくせえんだきっと、と思って。これ以上「具体的にどうすごかったの?」とか聞いちゃったらきっと「うるせえなおっさん」とか言われちゃうやつだと思って、ああ反抗期って親だけじゃなくて夫にも発動するもんなんだと思って、これそのうちパンツとか一緒に洗ってくれなくなるやつじゃんと思ったんで何とかせねばと思ってとりあえずキンプリを二人で観に行くことにしたんですよ。初回は嫁もどんなもんかよくわからんかったからとりあえず手ぶらで行ってたらしいんで、今回は映画館行く前にちゃんとサイリウムも買ってって二人で歩いてたら嫁は本当に楽しみそうにしててね、俺はもうそれが嬉しくて嬉しくて、嗚呼、嫁ちゃんが不良になっちゃったけど今でもちゃんと笑ってくれる……と思って。もう気分は完全にえずいたら娘に舌打ちされるからめっちゃスローモーションで音も立てずに歯磨きするお父さんですから、もうショッピングモールとかは絶対に一緒に歩いてくれないけどディズニーランドなら一緒に来てくれるから、娘はスティッチ大好きだから、ミッキーの耳がついたヘアバンドつけてたら「キモっ」て言われるけどそれでも大事な大事な一人娘だから、必ずお母さんに話しかけてお母さんを経由する形でグッズをねだられるだけの存在になったとしてもドナルドと一緒に写真を撮る娘が笑ってるなら俺はそれでいいんだみたいなお父さんの心境になってますから、余計なこと言わずに「サイリウム買えてよかったねぇ」「キンプリ楽しみだねぇ」だけ言って映画館に行ったわけですけど結論から言うと本当に「なんかすごかった」としか言い様のない代物で、別に反抗期であんまり口利いてくれないとかそういうやつではなく、「すごかった」以外にコメントのしようがないやつだっただけなので嫁は反抗期ではなかった。良かった。
そんなわけで今回はキンプリこと『KING OF PRISM from PrettyRhythm』感想文です。
あのー、僕スポーツ観戦の中ではサッカーが割りと楽しむの苦手なほうで、これは個人の好みとかセンスとか人それぞれの話なのでサッカー面白がってる人はそれはそれで羨ましいなと思うんですけど、特に苦手なのがスポーツバーで観戦するやつで何回か付き合いで社会見学がてらに参加したことがあるんですけど、まーみんなごちゃごちゃとうるせえ。選手たちの一挙手一投足に、ボールがちょっと前に出るたびに、いちいちワーギャーワーギャーとなんなんだよ一体。お前らはおとなしく黙って見てることができないのか、騒いでないと間が持たないくらいなら最初っから応援なんかするな、とか思ってたわけですけど、そもそも騒ぐために見てるんだったらもうそれは仕方ねえわけですね。騒ぐ目的で見てる人に「騒ぐな」というのもお門違いなので、彼らはそうしたいんだからそれでいいのだ。ということで、今後サッカーを騒いで見てる人たちを特に不快に思うことがなくなった、というのが僕がキンプリを観ることで得た一番の収穫です。騒ぐのは楽しい(らしい)。それはもう仕方がないことです。
と、まぁ、キンプリのこと全然知らない人は「いや、映画の感想だろ、何の話してるんだお前は」ってなると思うんですけど、なんかすごいんですよ、キンプリ応援上映。平日の19時半からの回に出向いたんですけど、まず客層が控えめに言って女9:男1、正確な割合を出したら男もっと少ないんじゃないかって勢いで、女はその大半がサイリウムを持ってるわけですよ。一番後ろの席から見てたんですけど水揚げしたばっかのイカをワサビ醤油で食いたくなってくるくらいに客席が光で満ち溢れている。端的に言って「見たことがない光景」ですよね。それでまぁみんな、キャラが喋るたびに騒ぐ騒ぐ。好きなキャラが出てきたらそのキャラのイメージカラーのサイリウムに持ち替えて、そのキャラの名前を叫ぶ叫ぶ。これ別に言っていいだろと思って言うんですけど、作品本編自体は面白いか面白くないかでいうと僕には全然わからなかったんですよ。わからなかったというのは控え目な言い方で、僕はなんかあるとすぐブログに書く人種なわけですけど、別に僕が生きてて見た作品すべてについて逐一感想文を書いてるかというとそういうわけでもなくって、声を大にして「これは大いに面白かった!」と言いたい時か「みんなこれ面白いって言ってるけど俺はこれを面白いと思う感性が気に食わねえ」って言いたい時にしかわざわざしちめんどくせえや文章なんていちいち書いてられないわけですよ、その基準で行くとこのキンプリの作品本編自体は別に全然書かなくていいやつなんですよ。ただ、前述した2つの動機のほかに「なんだかよくわからんがこれは言語化するのが難しい何かを孕んでいるぞ」と感じた時も、俺はブログ書かねばと思うわけですけど、「キンプリ応援上映」という異空間全体コミコミで見た時、こいつぁ完全にその3つ目の動機に抵触しているのでこうして筆を走らせているわけです。応援上映という形態、めちゃめちゃおもしろいです。可能性を秘めています。あいつぁ21世紀に爆誕した新しい「祝祭」のかたちです。
おもしろきことも無き世をおもしろく
なんて言い方をすると、まるでキンプリが面白くないみたいな話に聞こえてしまうかもしれないけれども、違う言い方をするなら踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損損よろしく、踊りながら見た方が楽しいという結論に辿り着くのに人類意外と時間かかったな、というのが蓋が既に開いた今だから簡単に言えるシンプルなコメントです。もちろん「騒ぐのは楽しい」というのは古来より人間みんな知ってたし、歌舞伎しかりサッカーしかりアイドルのコンサートしかりなんて言うまでもなく本当に古来からみんな騒いで最高の瞬間を作り上げて無味乾燥な人生の隙間を埋めてきた。けど、キンプリの場合は映画だからね、何回観に行ったところでスクリーンに映される映像はいつもおんなじはずだからね。なのにアレが成立するんだっていうのがすごい不思議だった。これまで我々人類が双方向的に頑張って盛り上がりの最大値を押し上げようみたいな「騒いで楽しむ」ってやり方ってのは我々観客に提供されるものが「生」で「リアル」で「ライブ感」があって、いわゆる向こうにも生きた人間がいてそいつらの煽りに乗っかるような形で客も騒ぐっていうパターンが大前提でそれしかなかったわけですよたぶん。だからそういう意味ではキンプリに一番近いのは初音ミクのライブとかになるのかな。あれも、なんか3Dのミクさんがそこにいるように見えるけど、実際は何もない虚空に向かってみんなが拳を突き上げてるわけですよね。完全に祝祭じゃん。そこに何も「生」がなかろうと、そこに何かあることを信じる大勢がその虚空に視線を注いだら、そこにはもう「何かがある」んだよ。完全に祝祭じゃんかよそれ。キンプリもそんな感じ。キンプリは祝祭。
で、キンプリすごいのは、あれたぶんだけど公式から「このシーンではこういう風に合いの手を入れてください」みたいな指示は一切ないんですよね、たぶんだけど。ただ「騒いでいいですよ、声出していいですよ、サイリウム振っていいですよ」っていう最低限のルールが示されるだけで、具体的にどこでどうしましょうみたいなは決まってなくって参加者みんなで好きにやってくださいって仕組みになってて、それももちろん参加者同士が事前に打ち合わせするわけでもなく、その都度それぞれのソウルに従って叫んだ合いの手を入れて、ハートのビートを表すにはこれしかないと思ったサイリウムの色と振り方で、みんなが勝手にやって、そういう各々勝手にやってる中で大多数の人間に「彼女があのシーンで見せたあの叫びは、私達のこのシーンにおける魂の輝きを表現するのにもっとも相応しい」と判断されたものが自然と共通認識になって気付いたらそのシーンは会場一体となってその動作をすることになるわけじゃないですか、そんなもん完全に暗黒舞踏か何かじゃないですか。キンプリは暗黒舞踏。僕が一番笑ったのは、なんか主人公?の男の子が夕焼けのなかで友達の男の子と抱き合うシーンだったんですけど、そこでは誰一人として歓声をあげずみんなただ拍手してるのね。おかしいじゃん。なんでみんなで拍手してんの?「ギャーッ!」とか黄色い声を挙げても良さそうなシーンじゃん。でも誰もそうしないの。ただ拍手をしてるの。それはたぶんそこにいるみんなが「このシーンを称えるには無言の拍手で賛辞を送るのが一番なんだ」と思っているからなんですよ。それがもう状況としてはかなり異常なわけです。しかもこれだって、もしかすると大阪の俺が行った映画館のその回の上映ではそうだっただけって可能性まであるのがヤバいと思うんですよ。大富豪のルールが中学校によって微妙に違うのと同じ感じで、違う映画館では全く違う騒ぎ方をしてる可能性があるわけです。どういうことなんだよ。キンプリは祝祭であり、暗黒舞踏であるということがこれで少しはお分かり頂けたでしょうか。
で、今回のこのキンプリって映画はかっこよかったりかわいかったりする男の子たちが歌って踊って友情に燃えて希望をばらまくみたいな話だったので、さっき言ったとおり客が女ばっかなのね。女のための空間なんですよ。俺が騒げないんだ。俺も大人だからわかるんだよ「あ、これは男の俺が何か声を挙げたらザワッと変な空気になるやつだな」ってのがわかるので、俺が騒げないから、他の人が騒ぐのまで含めて眺めるエンターテイメントとして見るしかないわけ。今回のキンプリに限った話で言えば、俺は祝祭に参加できなくて、ただ祝祭を見る側の人間にしかなれないわけなんですけど、そうなると、客の仕上がりによって面白さがだいぶ変わってきちゃうんですよね、もちろんそれは実際に参加してる人らにとっても同じなんでしょうけど。だから劇団四季なんかだとさ、公演日によって役者さんが変わったりするんでファンはそこも考えて何日の公演のチケットを取るか考えなくちゃならないみたいなのあるじゃないですか。あれに近い考え方を応援上映に臨む際には頭に入れておく必要があるわけですよ。不思議!スクリーンに流れる映像は毎回完全に一緒なのに! だからそういう意味でいうと、平日にぶらっと行ったっていうのはある意味で失敗でしたね、これは別に貶したい意味じゃなくて、たぶんリアルな数字、僕のキンプリ応援上映体験は40点くらいなんですよ。これは別に「つまんねえよ」って意味じゃなくて、もっとトータルの「体験に対する満足感」でいうと90点とか100点になるような客の入り方がもっとあるだろうなって話なんですよ。そこはもう完全に運ですから。だから熱心に通い続けるリピーターの気持ちも全然わかるんだよね。
「同じ映画をそんなに何回も見てどうすんだ」って思うじゃないですか。でももうアレ、映画じゃないから。どっちかっていうとボウリングとかに近いよ。ボウリングもやることは毎回一緒じゃん。10フレーム、10本並んでるピンを延々倒し続けるだけじゃん。それでもこっちのテンション次第で結果がよくなったり悪くなったり、「5フレーム目のスプリット取れなかったところで気持ちが乱れたけどそれを引きずらずに6フレーム目にストライク取れたのはよかったな」みたいな反省や収穫や知見が毎回あったりするわけじゃないですか。たぶんキンプリ通ってる人らの感覚はそれに近いんですよ。「カヅキとアレクのバトルまでは良かったんだけど、あのシンくんがセロリを食べれた時に叫んだ『シンくん偉いよ!』の言い方がしっくりこなくてあそこでちょっと集中が途切れちゃったな」とかたぶんそういうノリでキンプリ通ってると思うんですよ。で、そうなってくると、まだキンプリを映画だと思ってる人からすると意味がわからないと思うんですけど、応援上映に参加する側にも「練習」と「本番」があると思うんですよね。やっぱ毎日ボウリング球投げ込まないと技術が落ちてくから、週末の大会に向けてコンディション整えるために一人もくもく投げ込む日ってのがボウラーにもあると思うんですけど、俺が見たあの平日のキンプリの観客もたぶんそういう要素があったんじゃねえかなぁと思ったり。やっぱ土日に見た方が良かったのかなってのは心残りです。さすがに今回はもう一回観に行く気ないですけど(嫁はもっかいくらい行くと言ってた)、次回作が出た時はそこらへんも含めて観に行く日を検討しようかなと思っています。ただ、エリートプリズムのみなさんがどこでどう動いてどう叫ぶみたいなフォームがまだ定まってない公開直後とかもかなり見応えがあるんじゃないかなと思うので、やっぱ次回作出たら2回観に行くかもしれない。
もちろん、この応援上映っていう形態はこんだけ俺が熱く語ってるとおりキンプリの専売特許にするにはもったいないポテンシャルを秘めてるので、応援上映を前提とした作品がもっと出てくればいいなと思うし男性が混ざっても違和感ない作品があれば俺だって大声出して応援したい(けど俺あんまかわいい女の子にテンション上がらんので、そういう人でも騒げるくらい応援上映向け作品のバリエーション増えてくれとも思う)。で、そういう風に「合いの手を入れながら見る」って文化が育っていくと嫌な言い方すると「合いの手のレベル」もどんどん上がってくと思うし、そこらへんも盛り上がっていって欲しいなと思う。例えば気になったのが、キャラが「ごめん」って謝るシーンでみんなが「許すよー!」って合いの手入れてたんだけどそれちょっと違うくね?と思った。お前に許してもらっても仕方ないだろと思って、そこは、謝られる側のキャラに大して「許してあげてー!」って言って、そのキャラの「気にするなよ」みたいなセリフに対して「よかったねー!」「もう顔を上げてー!」って言う方が面白いと思う。面白いと言うのは「そういう手順の方が、叫んでて気持よくて楽しいんじゃねえか」みたいな。もちろん、俺が見た回はそういう合いの手だったってだけで、ある映画館のある上映回では俺の代案なんかメじゃないから面白い別の合いの手が考案されてそれで会場が一つになってる可能性もある。そういうのが面白い。そういう意味ではマッドマックスとかゼロ・グラビティなんか全く比較にならないレベルで「映画館で見ないと全く意味が無い映画」と言えるかもしれない。「なんか盛り上がってるのでDVDになったらレンタルしてみよっかな」って思ってる人は悪いこと言わないから映画館に足を運んだ方がいい。あれは家でDVDで見ても意味ない。或いはもう、逆に、DVDにオーディオコメンタリーみたいな感じで各地の千秋楽(?)公演の客席の声を収録しちゃうかだよね。もしそんな形で出たら俺は普通にDVD買ってもいいと思う。ほんで、そういう風に合いの手の知見が共有されることで、今後の応援上映の合いの手がよりソリッドにハイレベルになってくみたいな流れが見たい。さすがに本編無料で流れちゃうことになるので制作側としては勘弁してよって話なのかもしれないけど、ニコニコとかで色んな人が「俺たちの合いの手」をアップするみたいな流れも面白いかもしれない。俺が見た回は40点だったって話をしてたわけですけど、そこのアベレージを上げていくやり方っていうのはこの時代いくらでもあるし、逆に40点がアベレージの時点で10年前では考えられないわけで、ネットを含めたクチコミによる情報共有みたいなのがあって応援上映っていう形式が成功できているのかもしれない。そういう意味でさっき「こんな簡単な結論に辿り着くのに結構時間かかったな」みたいなことを書いたけど、この時代だからこそ成立してるみたいな部分もあるわけで。
なんか、全然話まとまってないですけど、まとまるわけがないんですよ。ああいうエンターテイメントが成立するってのはすごい時代だ。広義の意味での「演じる楽しみ」みたいなものが、まさかこんな形で広く受け入れられるだなんて俺には想像もできなかった。理論上できることはどこかでわかってたけど、成立してるのを見ると本当にすごいなと思った。俺はものすごく興奮したよ。あと、ザキヤマとフジモンによるキンプリ応援上映があったら5000円払ってでも一緒に見たい。以上です。