あのー、骨折をやってましてですね。
右脚をスニッカーズみたいにやっちゃいまして。スニッカーズで言えば一番上の部分のキャラメル部分に相当するのが俺の脚では肉になるわけですけど、スニッカーズをサクッといこうとしたらちょこっとネチョっとする部分あると思うんですけど、アレがまぁ脚でいうと肉の部分というか、肉ってその程度の役割しかないんです。支えてくれる大半は骨なんです。スニッカーズがキャラメルだけで二つに離れないよう持ち堪えられるかと言えばそうではないように、俺の脚も骨が3on3でアリウープ決めた白人がサクッといったスニッカーズみたいになってしまったので少しでも動かすと骨がキャラメル部分こと肉を支えてくれないから激痛が走るっていう。あのね、みなさんこの例え全然ピンと来てないでしょ?でもそれでいいんですよ、これは俺の痛みとか怪我の状況をいい感じにお伝えするための比喩表現ではなくてね、脚折れて救急車で搬送されてる時の俺の脳内映像はいい感じにサクッといかれるスニッカーズだったっていうありのままの報告ですから。おかしくないですか?31歳のいい男がですよ、脚折って、仕事もあって家庭もあって考えなくちゃならないこと色々あるはずなのに頭のなかに浮かんでるイメージ映像スニッカーズですよ?救急隊員は怪我人なんざちょっとやそっとじゃ死なないことくらいわかってるから扱い雑なわけですよ。なのでストレッチャーに乗せられるだけでも痛くて吐きそうなわけですよ。痛さで吐き気に見舞われてる極限状態の頭のなかで流れるのは愛する妻の顔でもなく明日から引き継がなくちゃならない仕事の整理でもなくボーリング場の使われてないレーンで流れてる映像にありがちなすり鉢型のステージでスケボーやってる白人ども、そしてそいつらが食べるスニッカーズ。俺の脚、スニッカーズだなと思いながらそんな白昼夢を見るんですよ。やばくないですか?
まぁいいや、まぁ怪我した時のおもしろ話はおいおいしますけどね。まぁ今はなんやかんやで松葉杖なんですよ。手術しまして。なんか俺の大事な骨だった骨が骨Aと骨Bに両断されてたみたいでですね、しかもなんかあの向かいの家のミニチュアダックスフンドは家のなかでゆうゆう暮らしてるのに、うちの秋田犬ベースの雑種のタローは相変わらず外で飼われててなぁ。餌も、向こうのミニチュアダックスはチャム的な?ペディグリーチャム的な?なんか柔らかい、今から火を通すハンバーグみたいなおいしそうなもの食ってるにも関わらずうちのタローは残飯食わされてるな的な。それなりにタローもうまそうに食ってるからタローお前もそういうバカな態度が駄目なんだぞっていうのにもイライラしつつそれでもハッハ言いながらタローがうまそうに食ってるならいいかなと思ってたらフライドチキンの骨をタローが嬉しそうにガリガリやってるんだけどさ、その骨を真っ二つに噛み砕いてかじってるんだけど、その真っ二つの角度!ふたつに割るっていうよりスラッシュしてる感じ。二つに割れたところの切っ先がそれぞれまち針みたいにぬらぬら光ってて大丈夫かタロー!!お前そんなもん喉に刺さったら大惨事だぞー!!??みたいな、そういう角度の骨の折れ方あるじゃないですか。俺の脚もあんな感じになってんのね。だから自然にはひっつかねえから手術しようって話になって、骨Aと骨Bをピコ太郎感覚でつなげようって話になって、♪アイハバ骨A~アイハバ鉄の棒、アン!ってノリで骨Aと骨Bを鉄の棒で繋げんのね。で、骨Aに3発、骨Bに3発、ボルト入れて固定したからまぁ大丈夫じゃない?って先生は言うわけですよ。「最初2本ずつでイケるかな思ったけど念のため3本ずつ入れといたわ」言われてね。何それ完全にフリーハンドの言い方じゃん。なんとなく感覚で俺の脚に穴開けてボルト入れたでしょ?みたいな感じで手術は無事に終わりまして、紆余曲折あって今は退院したものの、まだまだ完治とはいかないわけですよ、まだ一ヶ月経ってないしね。
今は仕方なく松葉杖二本を両脇に抱えて生きてますよ。それでリハビリとか行きながら細々生きてるわけですけどね。そうするとね、「待ち時間」っていうのが生きててものすごく多いわけ。病院で診察での待ち時間もあればね、そんな長いこと歩いてもいられないからバスとか電車とか公共交通機関に頼ることも多いわけ。そうするとね、これも人情の街・大阪っていうお国柄なのかな、話しかけてくるババアがすげえ多いわけ。松葉杖なんて目立つもの持ってる青年だからね。いやでも、お前31だろうつって?青年って年でもないだろって思うかもしんないけど、たぶん業界ではまだまだ若者なわけ。俺も思ったよ、入院中にさんざ看護師さんに「若いからすぐ回復するよ」って言われるわけ。俺もう31よ?何が若いんだよって思うけど、周りにいるのは60とか70のジジイババアばっかなわけ。そりゃ相対的に若いよ。俺が若いって言われるのは仕方ないわけよ。たぶん氷川きよしもこんな感じだったんだろうなって。社会的にはけっこうな年齢なのかもしれないけどいつまでもいつまでも若いどころかプリンス扱いでさ、そりゃわからなくなるよ。マネージャー殴るのも仕方ない。楽しんごとごっちゃになってる気もするけど、もう俺はどうでもいい。風になりたい。つまり俺もさ、若いつもりはないけれど、まだまだ相手によっちゃただの「よう兄ちゃん」であり「若者」であり「青年」にすぎないんだなって松葉杖持ってことさらに痛感したよ。とにかく、バス停でも病院の待合室でも、暇つぶしがてらにババアが話しかけてくる。
でね、最初は「ババアなんやよう話しかけてくるなぁ」程度だったんですよ。ただね、徐々に気づいてきたんですよ。
この俺にね、「どうしたん松葉杖なんか持って?大変そうやな?」って話しかけてくるババアは確実にね、もっと大変な思いをしてるババアなんですよ。なんやったらだいたい5割は癌でステージⅢ~Ⅳに到達してるんですよ。ここまでだいたい2000字くらいね、俺のした怪我けっこうたいへんやったぞっていう前段を繰り広げてきましたけどね、これを一瞬でチャラにするような重たいエピソードをババアどもは放ってくるわけですよ。僕だってこの一週間でね「見つかってすぐ手術っていうのは逆によかったよ。切ったら良くなるってお医者さんが判断したからすぐ切ることになったわけやから。これが転移とかしてたらすぐ切ろうって話にならなかったでしょ?だから婆ちゃんそれは良かったよ」って3回くらい言ってるかね?いや、俺の言ってることの医学的根拠は知らんよ?ただそんなん言われたら婆さんは悪い気しないでしょ?だから俺はそういうこと言うわけ。そしたら婆さんもまんざらではないわけ。
松葉杖なんか持ってなかったらね、こんなしょっちゅうしょっちゅうババアに話しかけられるなんてことはまぁ無いですよ。それが松葉杖を持った瞬間にね、どうしてこうも死地を乗り越えたババアに話しかけられるものなのか。あいつら結局インディアンポーカーですよ。俺が松葉杖持ってるでしょ?それであいつら察するんですよ。あいつは大したことないって。あんな若い年齢で松葉杖持ってたらせいぜい怪我で、日にち養生で治るただの怪我だって。インディアンポーカーの2か3くらいに思ってるんですよ。対して自分はステージなんぼとかの難病を去年に切除したとかそういう自分の額のカードが少なくともJQKの絵柄だってのがわかってるから。だからあいつら話しかけくるんすわ。ええけどね、話しかけてくれても。俺はそりゃ若者がらさ、あんたらが話しかけてくれなくてもツムツムとかやることは引く手数多なんやけど、あなたが手術痕見せたいなら、まぁバス来るまで暇やし見るけどええよ。ただな、この競争社会に飽き飽きしながら生きる昨今な、病気になってもお前らそうやってマウント取ってくるんかいっていう絶望な。そういうのはやっぱ感じないでもないよ。俺たちはこうやって死ぬまで、死因までインディアンポーカーにして生きていくしかないんだなっていう。最高だよ。最高に笑える。障害でもらえてる金の月額を全部待合室で教えてくれるババアも、電車を待ってるスキマ時間に面倒見てくれる子供・見てくれない子供ランキングを事細かに教えてくれるババアも、手術・転移発見・手順・転移発見の高速サイクルを相席したバスで喜々として語るババアも、すべて愛おしいね。脚を折ればわかるよ、この世界は生きにくく、生きにくいこの世界を誰しもが必死こいて生きてるよ。その一端なら知れる。全容は知れずともその一端は知れる。最高。以上です。