←ズイショ→

ズイショさんのブログはズイショさんの人生のズイショで更新されます!

ウマ娘ハマって、経済動物としての「馬」について色々考える

※前半、数字が一部たくさん出てきますが、数字を追う主旨の記事じゃないので雑です。競馬についても畜産業についても、完全に馬鹿ほどニワカです。個人の思ったことを書いてることなのは随分承知です。注釈いただけたら都度反映させるつもりなのでお気軽にご指摘いただければと思います。何卒、寛大にご閲覧ください。

 

あのー、今更言うまでもなく面白いね、ウマ娘

モンスターファームで全種族を殿堂入りさすまで育成したりとか、ワールドネバーランドシリーズを累計数百時間プレイしたりとか、野球は興味ないけど育成が好きだからクラスメイトの友人からゲームボーイカセットだけ借りて64で戦わせるパワプロ選手を育成代行して金銭を授受する中学生だった俺は見事にどハマりしてしまいました。

課金は申し訳ないんですがケチな性分でものすごい微課金勢で、それでも今は25キャラ開放されてて完凸のサポカも3枚くらいあるんで、育成がワンパターンだなーと思いつつもこんな微課金でこんなに遊ばせてもらってすいませんと思いながら、この前深夜酔っ払ってる時に因子強いウマ娘とチームレースのスタメン以外移籍させてしまったので、「俺、タウラス杯どうすんの?この微課金のショボい勢力でグレードリーグに挑んで木っ葉にされるしかないの!?」というのが目下の悩みです。

それでも図々しく「まあ俺が課金しなくてもみんな馬鹿ほど課金してるし勘弁してくれよ」とサイバーグループのIRを眺めながら楽しく遊んでるわけですが、1ヶ月で150億?200億?わからんけど、とんでもない利益だかを叩き出してるウマ娘なわけです。

で、じゃあ、その元ネタの競馬ってどれくらい売りあがってるんだろ?これからウマ娘の影響で競馬の売上も上向くのかなぁ?と思ってJRAについてちょろっと調べてみたら、年間の売上が直近で年間3兆だかで、ピークが4兆とからしくて、ウマ娘の直近利益が開発費やら人件費とかを加味しつつストア手数料30%も加味しつつで考えても、ウマ娘の流行り方のスケールって「競馬という文化をもう一回全盛期まで見事に返り咲かせてやるぜ!」て言うには(言ってないけど)ちょっとショボいじゃん、みたいな。

もちろん競馬の方の売上はあくまで売上であって、払い戻しがあるわけなので、JRAの手元に残るのは25%だか50%だかググってもよくわからないのだが、もちろん売上は売上に過ぎないのでJRAの年間売上3兆とウマ娘の月間利益150億を比較するには吟味が必要にはなるんですけど、ウマ娘の「人にカネを使わせる魔力や魅力」よりも競馬の「人にカネを使わせる魔力や魅力」ってのが断然ツヨツヨなんだなという事実を目の当たりにして呆然とした僕なのでした。

ほんで、そうなると、「競馬」ってなんなの?というところに興味が湧いてくる僕です。

もともとの競馬の印象は、「なんかわからんけどギャンブル」の僕でした。

僕はギャンブルは全然やらない、楽しまない気質の人間で、たとえば投資型の保険にいくつか加入しているものの、担当の保険の営業マンにも「最近上がってますよ!」みたいな感じで定期的に電話連絡を入れるのを喜ぶお客さんがいるというのもわかるんですけど、僕はそういうので一喜一憂するのもかったるいんでそういう定期連絡は要らないです、年に一度くらいの現状報告で結構です、あとは引き下がるべきかどうかみたいな状況になった時のみ連絡ください、て伝えていて、なので本当に年に一回くらいしか連絡がありません。

勝ったとか負けたとかいちいち騒ぐのがかったるいんですよ。だから、まあ賭けない遊びの麻雀とかやったりはしますけど、パチンコだのなんだのの類は一切やりませんし、宝くじも買わない。TOTOもやらないし、まあギャンブルが好きじゃないんです。もちろん、気まぐれや気の迷いでちょっと手を出した事は何度かあって、その時に見事に勝てないってのも、それはある種のラッキーなのかもしれない。つまり、「ワクワクを買う」みたいなことにあまり価値を感じないのでギャンブルとは縁遠い生活を送っている僕です。

で、そんな考えなので、競馬も「まあ、ギャンブル」くらいにしか認識してなかったんですよね。

競馬に賭けた体験で言うと、父親が割と競馬好きだったんで、小学生中学生の頃はたまに馬券買いを代行してくれてました。代行というか一口100円で買うから、ボックス買いする4頭を選べ、馬連で勝ちそうな馬を選んだら俺が買って、勝ったら勝ったぶんは小遣いだ、みたいなことを言われて馬選びを兄弟らとしてた、みたいな思い出はあります。ウマ娘の影響で「俺はウマ娘じゃなくて今のJRAに課金するか!!」と桜花賞とか賭けてみた時もその買い方して、普通に負けてたんですけど、負けた後に「あ、この買い方、穴を買わないと勝っても収支がプラスにならないからギャンブルな買い方しかできないし、これを俺に叩き込んだ親父、息子の競馬教育間違えたな!?俺は息子の競馬教育ちゃんとしよ!!」て思ったんですけど。いや、競馬に賭けるのそんな息子にのめり込まれても困るんですけど。

そんな感じで、僕はギャンブルにあまり馴染みがなくてそんなに素晴らしいものだとも思っていなくて、まあその程度のものだなと思う一方でウマ娘にどハマりして、JRAの売上に目を剥いて、「競馬ってなんなの?」てなってる状況なんですよね。

そんなことをぼんやり思いながらウマ娘をプレイしていると、多くのプレイヤーがそうなるように元ネタの馬たちの活躍や生涯がどういうものだったのかを知りたい欲がむくむくと湧いてきてネットをまた読み漁るわけです。で、そうなると「競馬ってなんなの?」に対する色々なアンサーがむくむくと立ち上がる。「競馬ってしょせんギャンブルなんでしょ?」というかつての僕の考えへの反論がむくむくと立ち上がる。俺みたいなこれまで馬に魅了されなかった人間とは違う、馬に魅了された市井の人々のストーリーが、人生が、むくむくと立ち上がる。

色々な記事を読み漁る中で、俺が特に印象的に感じたのは、ウマ娘で学んだミホノブルボンライスシャワーの関係性の裏側にいた、ウマ娘の中では登場すらしていないキョウエイボーガンという馬の話でした。ここでその馬について語るといつまでも終わらないので興味を持った方は各自ググってくれ。そこには、「馬と人の関係ってなんなんだろう」を考えるキッカケに十分になりうる、一つの物語があるはずです。

あとは、当時は「ふーん」くらいのエピソードとして読んでいた、某はてなブロガーのとある夫婦の軌跡についての述懐に登場するウオッカという馬とその夫婦との関係性についても改めて興味深く読んだりもした。

などなど、散々に読み漁った結果、自分が考えるべき問題として到達したのは「経済動物ってなんなんだろう?人間の都合で生かされ、そして殺される動物ってなんなんだろう?そして競馬ってなんなんだろう?馬ってなんなんだろう?」という問いでした。

そういえばなんですけど、僕は、酪農家の倅の倅です。父親は長男ではなかったので牧場を継ぐことはできないため、酪農業に分類されるベンチャー企業に勤めているような人間です。そんな背景のために、恐らく世の中の多くの人よりは畜産業の現場に触れ合う機会は相対的には他の人よりはたぶん多く、たとえば小学生の頃に牛の逆子の出産に立ち会ってなかなか頭が出てこない仔牛の脚に括り付けたロープを大人に混じって引っ張ったこともあれば、その仔牛に名前をつけてやったこともあり、その仔牛が思うような成長ができず肉として出荷される連絡を叔父からわざわざ電話で聞かされた経験などがあります。牛が死ぬ時に、現場の人々がどのようにそれを受け止めるか、語るか、を見聞きする経験も、全く関係のない世界で生きている人よりかは、いくらかは知っているんじゃないかと思います。夏休みの自由課題は、父親の実家の牧場に絡まれば常に楽勝でした。

とは言え、まあ、本当の現場の方々に比べれば、ほとんど門外漢も同然で、誰かにマウントを取れるような立場ではないんですけれども、せっかくなので自己紹介しました。

それで本題なんですけど、「競馬ってなんだろう?」「競馬って良いものなのか、悪いものなのか?」って考えた時に、あるあるで真っ先に出てくる話としてあるあるなのが、やっぱり「人間の都合で走らされて、人間の都合で潰される。それは競馬の闇だし、人間のエゴで闇だよね」みたいな話なのかなぁと事実として認識しているところがあります。

そして僕自身も、牛をかわいがる一方で出荷もする、そんなことを当たり前の日常として生きている親族にどう思えばいいのかよくわからない感情も、当時を振り返れば当然ありました。落とし所としては、そんなに簡単に親族を否定することは当時は難しく(今も全く否定してないんですけど)、「人が食べて明日も頑張る、人が食べてまた新たな人を産む」というのは十分に必要な営みだと考え、また一方で「人間は経済動物をただ搾取しているわけではない、愛情を注ぎ、共に生き、人間にとってより有益になるという尺度はありながらも、より彼らという種族が種として成熟していくことを望んで、人は経済動物を飼育している」とも考え、そして幼い僕は「でも競走馬は違うよね、あれは娯楽だ」と競馬という文化・経済を少し遠巻きに眺めらる立場を取ったところはあったのかもしれません。

しかし、こうしてウマ娘をきっかけに競馬という世界を懐に抱き込まれるような形で認識した僕はどうでしょう。正直、結論はまだ出ていません。

ただ、僕がウマ娘の圧倒的なコンテンツ力に魅せられて半ば強制的に巻き込まれた競馬の世界を見ると俺はもうよくわからなくなってしまったというのが正直なところです。

話を聞くだけでも、当時の空気感を当時の肌で感じることができなくても、ウマ娘という媒介がありながらも、その時々を生きた経済動物・馬たちとそれを当時に生で感じ取った市井の人々の人生が交錯していくことがそこには確実にあった、ということについて、俺は「人間が好きに走らせて、好きに殺してるだけだよ」とはとても思えなくなってしまった。

競走馬の世界に携わる職を持つ人々ないし、競馬ファンにおいて「馬肉を食うか食わないか」論争が存在するということは存じ上げています。俺はまぁ今後もめちゃめちゃ食いますね、うまいんで。馬肉。

しかし、他の経済動物、例えば牛であったりとか、鶏であったりとか、豚であったりとか、それらの経済動物の飼育に携わる人たちが「俺は自分が育ててる動物は食べないよ」と言ってるのは寡聞にして聞いたことがありません。これまじで、そういう人がいるなら純粋に聞きたいから、このエントリ拡散されて欲しいんだけどなー。読んでる人、いたら、よろしくね。これひとつ取っても、馬っていろんな経済動物の中で特殊な位置付けなんだなーて思います。「負け続ける馬をにわかが応援する」ハルウララブームを「死なせないために勝たせたい」競馬業界の方々が一部で冷ややかな目線を向けていたという話も、ウマ娘にハマって調べたことをきっかけに見聞きしました。馬を食べるか食べないかの話についても、ハルウララが安易に脚光を浴びることの是々非々についても、喧々轟々の賛否両論が巻き起こるのはよくわかる。どちらも否定する気は全く起きない。

しかし、それは競馬という世界の特異性であって、経済動物を扱う様々な業界の中ではやっぱり特殊な世界であって、そして何より、経済動物と人間の繋がりがどういうものであるか、人間が動物を使役して人間のためにを第一に考えながら飼育して共存する、この今の世界の現状をどう解釈するか?そういうシステムに依存しきった社会と一人一人がちゃんと向き合う一番の一助になるんじゃないかと選ばれた生き物が馬なんじゃないかってことを、俺はウマ娘から入ったにわかの分際で考えてしまうんだよね。

牛の世界においても、牛は一頭一頭に名前がつけられて、骨格とか乳房の張りとかで審査される品評会みたいな舞台があって、そこで優秀と評価された牛は種牛なり産む牛なりとして長生きさせてもらえて、そこで評価を貰えなかった牛は事情によっては肉にされる。馬と何も変わらないんだよね。

一方で高評価を得た牛が、全国区で名前を轟かせるかというともちろんそんなことはない。牛は直接交尾をするしかない馬と違って、冷凍した精液を全国に配送して人工授精できるので、本当に人知れず全国の国民の食を支えている。昨日、自分が食った牛の親の名前知ってる人、誰かいる?いないでしょ?でも、生産者は親の名前も知ってるし、子の名前も知ってるどころか名付けてる。馬も牛もそういう意味では何も変わらないし、脚光を浴びるチャンスを与えられてる馬って、そういう意味で本当に不思議な経済動物なんだなということを改めて認識している。

個人的な話で言えば、自分がそういう家系だからっていうのもあって過激派ヴィーガンとか苦手なんだよなぁ。「食うためにころすとかかわいそう!」てそんな浅はかに言われてもさ、俺は本当の意味では現場の人間では全くないからあんまり偉そうなことは言えないんだけどさ、そんな何も考えてないわけないじゃん、て思うし。

そう考えた時に「経済動物たちと関係ない人たち」と一番接点を待つ経済動物として存在する「馬」という存在を俺はすげえ考えてしまうんよな。ヴィーガンも世の中にたくさんいるし、逆に動物なんか人間がコントロールするものだからどうでもいいだろみたいな考えの自称リアリストもいるし、でも実際の現場にいる人たちは馬でも牛でも豚でも鶏でも、羊とか挙げるとキリがないけどさ、鹿を狩る人も熊を狩る人も、ジビエを出す料理店の人もさ、そんな割り切ることなく真ん中あたりで日々考えながらやってるんだろうからさ、せっかくこんなにウマ娘流行ってるんだったら、それをきっかけに俺がグダグダ喋ったようなことを考えてくれる人が、1人でも増えたらいいなと思うのだった。それが、動物のためにもなるし、人間のためにもなるだろうしさ。

 

なんか説教臭くなってしまったので、どうせならせっかくだしもう一つ。みんな、サークルで募集するのは中距離シューズで統一しない!?

 

以上です。