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【ネタバレ注意】『暗殺教室』雑感(2015年13号)

はい、死神編で誰か死ぬかなと思ったら糞ぬるかったんで今回はそういう感じでいくんですかねと油断していたら今週になって「ほら俺の名前を言ってごらん?優征だよ?『魔人探偵脳噛ネウロ』の松井優征だよ?仕込んでないわけないじゃん?俺の名前を言ってごらん?仕込んでないわけないじゃん?松井優征だよ?ナメてた?松井優征ナメてた?」とすごいどや顔で言われて悔しかったので何か書きます。

で、僕の漫画の読み方のひとつとして、将棋観戦とかサッカー観戦みたいなノリがあって、現状で場に出ているカードを並べてこのあとどうなんのかなー、どうなんのかなーっていうのは作者どうするのかなーっていう、どういうルートが見えていてどのルートを通るのかなーっていうなんかそういうの好きなんですね。例えば推理小説の犯人当てみたいなことではなく、推理小説は必ず犯人に辿り着けてかつ他のルートはありえないようにカードを見せなくちゃならないけど、普通の物語はそこまでの厳密性は求められない。ので、きっと当てられるんだから当ててやるんだっていうノリまではいかないんだけど。ただ今俺の目が捉えられているカードを観た感じ、「こっちに行くとしんどそうだな」「一番ありそうなのはこのルートだけど」とか考えながら続きを待つのが好きなのだ。そしてそれはあくまで今出されているカードから最も自然で説得力のあるルートを探す遊びなので、俺の「こうなって欲しい」みたいな願望はあまり反映しないようにはしたい。ので、そういう人がなんか今から思いつきで喋るんですけど、知ってるんだ世の中にそういう読み方が苦手な人がいることも。何も考えず無心で来週を心待ちにするという楽しみ方をしてる人も世の中にはいるらしい。そういう人からすると、今から僕がする話は純粋に無心で楽しむためのノイズになる可能性はあるかもしれないなと思うので、無粋に思ってしまう人もいるかもしれないので、まぁ読み進めるのは自己責任でお願いしますね。

まーとりあえずビックリしたね、伏線は色々張っててたぶん今熱心な人らがコミックス読み返して整理してるところなのかな。僕はジャンプで読んでるだけでコミックス読んでないからそこらへんはよくわからん。茅野カエデという名前は矛を含んでいるわけなので、もしかしてそもそもこのクラスに武器を表す漢字を名前に含んでる奴ほかにいないのではと思いwikiまで足を運びましたが自律思考固定砲台は置いておくにしても矢田桃花ちゃんがいました。残念です。これで矢田ちゃんからも触手生えたらやったねとなりますがまぁ生えないでしょう。ついでなので思いついて調べてみたところカエデの花言葉は「大切な思い出」「美しい変化」「遠慮」、しっくりきてると言えなくもないですね今後出てくるバックボーンによっては「あ、もしかしたら狙ってた?」くらいにはなるかなぁ。椚(ヶ丘中学)の花言葉は「おだやかさ」、うーんもしかしたらなんか対応してるかなと思ったらそうでもなさそう。こういうのを考えるのは、作中で直接的に言及しないとしてもこういうところに勝手に仕込んでイメージを膨らませるみたいなことは結構あるかなと思ってるからです。

実は過去に伏線があったとしてもこの突飛な展開に首を傾げる人もいるだろうなと思うんですけど、僕がなるほどと唸ったのが、今回のこの展開でこの物語の全体像がかなりスリムになったというかどうにかなりそうな感じがしてきたことなんですよね。思えば第一話を読んでまぁおもろかったんですけど一番ビビったのは「どうすんのこれ?」だった。そりゃあ独特の世界観の新連載!としてはいいけど、連載しなくちゃならないのよ、連載を完結しなくちゃならないのよ、話を畳まなくちゃならないのよ、どうすんのよこれどういう話なのよっていうことですよね。殺せんせーはいったい何なのか、殺せんせーはなぜ地球を壊す宣言をしているのか、なぜ殺せんせーは教師になったのか、全くわけがわからんかった。「殺せんせーを殺さなければ地球が滅びる」という設定が最後まで真であれば殺さずに終わることはできないわけで、それでみんなが納得する終わり方なんてあるのか、タイムリミットまでに何かが起こりそこで地球の危機を回避するためには殺せんせー以外の力が必要となる(ので生徒を鍛えてる)みたいなそこらへんが妥当かなぁでもなんかシックリこんなぁとかはボンヤリ思っていたのですが、どのみちなぜこの椚ヶ丘中学の3年E組にこだわる必要があったのか。一応殺せんせーは死んだ誰かの意思を継いでいるっぽい描写はあったわけですが、それでも3年E組に固執する動機としては弱いなと思っていた。

で、今週ああいう展開になったわけですが、ひとつ俺のなかでこれなら一通りの合点がいくなって仮説が出てきた。殺せんせーが3年E組に固執していたわけではなく、殺せんせーと近しい出自を持つ脅威(=触手を持っている茅野)がどういうわけか3年E組に固執していた。なので、その脅威に晒される生徒たちを守るためにも殺せんせーは3年E組に是が非でも居座る必要があった。同時に生徒の中に紛れていることはわかっているものの誰なのかまでは殺せんせーにも特定できていない脅威の殺意を(他の誰かに向けさせないために)自分に向けさせる必要もあった。この二つの目的を達成させる方法として殺せんせーが考えたのが「暗殺教室」であり、それをどうにか実現させるための交渉手段として選んだのが月を破壊したうえでの一年後の地球破壊宣言なのではないだろうか(地球破壊宣言はもちろん脅威への牽制も兼ねていたのだろう)。そうなってくると「月を破壊」とか「地球を破壊」とか「賞金がなんぼ」とかは物語の本筋ではないただの飾り(せいぜいメタファー)になってきて、物語の鍵は「触手と殺せんせーの因縁は何なのか」という一点に収束してくる。おお、それくらいならなんとかなりそうな気がしてきた。あと、月を破壊で思い出したんですが、生徒側の主人公格である潮田渚くんの名前を考えると今後、潮力みたいなものがメタファー?モチーフ?的に出てきたりするかな。もう渚くんが事態を収束させるために改造手術受けることを買って出て穏やかな殺意を持ちながら激しい勇気によって目覚めたスーパー触手マンになっても別に驚かないけどね。

まーグダグダ喋ってるけどよくわかんねーわ。「実は生徒の中にも殺し屋が紛れていた」だけだとふーんだけど「生徒の中に異物が紛れてたからこそ殺せんせーはE組に来た」ってことなら、まーなるへそってなるんじゃねえかな。これを今週のを読む以前に言えてたらかっこよかったんだけど。ましてや来週蓋を開けてみて違ってたらごめん。

これは別に今更な話になってしまうけど、『ネウロ』で言えば大きく2つ「欲(食欲・犯罪衝動・好奇心)」と「進化・成長」がテーマとして根底に流れていて、例えばミニ四駆の漫画はいつもミニ四駆の話ばかりしていてミニ四駆に関する思想や愛が物語の行く末を決定づけていくように、『ネウロ』も「欲とは?」「成長とは?」などの問いに各キャラクターが返す思想・解釈そのものがキャラクターの強さとなり弱さとなり、物語の展開に必然性をもたらしていた。恐らくこの先の『暗殺教室』も同様の手法?世界観?によって物語は進行していくのだろうと思われる。「暗殺・殺意」「教育・学び・成長」、ここらへんのテーマはもちろんのこと「自分とは何か」「他とは何か」「自分と他の違いをどのように解釈するのか、優劣を明らかにするのか認め合うのか」などネウロでも繰り返し取り上げられていたテーマもA組との対決やクラス内でのエピソードで掘り下げられてきている。人間を超越した力を持つ触手との対決がもし今後の軸になっていくのであれば、彼らはより熾烈で極端な価値観で優れた者と劣る者を認識しようとするだろうし、殺せんせーのもとで確かに学び着実に成長した生徒たちはそのような価値観にきっと悩みながらも毅然として立ち向かってくれるのでしょう。とか考えれば考えるほど『暗殺教室』も皮一枚剥げば扱っているテーマは『ネウロ』とかなり似通っていて、あれだけ変態的なハイテンションと熱量で『ネウロ』を完結させたあの作者が、同じようなテーマが根底に流れてる『暗殺教室』をいつまでもぬるぬるとやって穏やかに終わらせるわけなんかなかったのである。とまぁ、あまり考えすぎてもこれ本当ぜんぜん違って恥ずかしい可能性もあるからね。逃げ打つなよとかじゃなくて、今のところじゃ当てられっこないんだから、だからって黙ってるのも癪でね、こんな面白いの黙ってられないよ。はージャンプ面白いわ。以上です。