まず初めに今後吹石一恵を見かけた時に笑ってまう呪いにもしかかってくれたら嬉しいなと思うんですけど、吹石一恵と宇梶剛士は目元がそっくりだよね。親子かなと思うよね。
このエントリは掲題の通り、三谷幸喜脚本の大河ドラマ『新撰組!』を完結まで観終わったばかりの人が思いつくままになんか書き散らすだけのエントリーです。読んで楽しむにはそれなりの事前知識かテクニックか気合いか子を見守る親のような広い心が必要になってくるかと思いますので読む際は自己責任でお願いします。
ブスかわ田畑智子が甲斐甲斐しい嫁さん役でかわいかったんですけど顔変な癖に超かわいかったんですけど香取君と田畑智子の間にできた娘の子役が田畑智子に顔似てたのあれ超面白かったね。ああいうのって狙ってんのかな、特に大河では結構狙ってんだろって思うこと多くて超面白いのね。主役級キャラの幼少期とかだと割と「顔整ってたらいいや」とか子役自身の技量とかが重視して選ばれてるような気がするんだけど、メインキャラ二人の間にできた子供役で対してストーリーに絡んでもこないような場合ってだいぶ顔で選んでるような気がするんだよね。そういう意味で田畑智子の産んだ娘役の子供「あーわかる。田畑智子が産んだらたぶんこんな感じ」っていうのが最高だったね。すげぇ笑った。俺はフィールドワーク的に色々調べたり蒐集癖だったりっていう才能が全然ないので自分ではできないのが残念なんですけど「子役が親役の俳優さんに無駄に似てるランキング」とかあったらすげぇ見たい。すっげぇ見たい。誰かやってくれ。
あとやっぱ何故そこに突っ込んだんだっていう鬼門でいうと優香の一人二役ね。最初香取君の妾役で出てて死ぬんだけどその後で姉に瓜二つの妹役でもっかい出てくんの。この一人二役ってまぁまぁちょいちょいよくある手法ではあるんだけど、みんなどう処理して受け入れてんの? 俺は脳が受け入れるのを拒否してすげぇしんどくて、いやそりゃガキじゃないんだから設定としては受け入れられるんだけどそこで「お姉さんにそっくりだな!」みたいな台詞とかが入ってくるとどうしても「うるせぇよ馬鹿」みたいなことを思っちゃって一人二役が出てくるだけですげぇ見にくくなっちゃう。もちろんクローンとかそういうのだったらいいんだけど、双子とか生き写しとかはすげぇキツい。あ、でもクローンもしんどいわ。安堂ロイドしんどかったもん。三話くらいまでしか見てなかったけど。A.I. knows LOVE? しんどかった。サブタイトル言わんでええねん。別に優香が悪いとかそこまで言うつもりもなくて、単純に「うわー鬼門だー」ってところなんだけど、あの役が吉高百合子だったら、吉高百合子だったら何とかなってたんかなとかそういうことは考えちゃう。
石黒賢演じる桂小五郎の妾みたいな役が菊川玲っていうのもすごくよかった。何の化学反応も起こらなさそうな予感がすごい。無だよね。すごくよかった。
そういうわけで、一通り芸能人の悪口で読んでもきっとお互い不幸にしかならない人を振り落したところで感想なんですけど、まー超面白かったね。DVD全13巻49話時間にして37時間くらい、全然挫折の兆しもないまま最後まで観倒したね。強いて言えば1巻2巻のノってくるまでが一番キツかった。新撰組が結成して以降はほんとに早かった。タメが長かったぶん全然ダレるところなく最後まで駆け抜けられた。というかたぶんこれは三谷幸喜の配分がおかしいんじゃないかって気もするんですけど、新撰組が結成するまでがやたらめったら長いんですよ。黙っててもなんか顔がうるさいでお馴染みの佐藤浩市演じる芹沢鴨っていうやつと忍者ハットリくんでお馴染みの香取くん演じる近藤勇が新撰組の前身である組織の二頭みたいな感じになってて対立深まって最終的に芹沢鴨を殺して頭を近藤勇一人にすることで新撰組が発足されるわけなんですけどそこまでが超長いの。折り返しかなくらいのところでやっと新撰組できるの。そこまでが超長げぇの。で、その後超早いの。人死にまくり。よく考えたら俺あんなに人が死にまくる話ってあんま見たことなかったかもしれない。
本来みんな新撰組の物語をどういう風においしく頂くものなのか俺はあんまわかんないんだけど、三谷幸喜の描く新撰組はもーなんか青春群像劇って感じだった。みんな好きじゃないですか、夢があってまっすぐでお互いに信頼しまくってる若者たちがエピソードを乗り越えていくにつれて成長しつつも葛藤しつつもみんな少しずつ変わっていってしまって割と最後ぐちゃぐちゃになるみたいなのみんな好きじゃないですか。前半は本当に純粋にみんな和気藹藹として楽しそうだけど後半どんどんシリアスに重たくなっていくみたいな、そういうのってなんかみんなめっちゃ好きじゃないですか、すいません僕がそんなに好きじゃなかったんでパッと例が出てこないんですけど、ロビン・ウィリアムスの『今を生きる』しか浮かばなかったんで駄目だこりゃと思ったんですけど、なんかそういう展開は例えばラノベとかアニメとかエロゲとかでも割と必勝のパターンだったりたぶんしてるわけじゃないですか知らないけど。僕あんまそういうの苦手で、後半に向けてのタメのための前半なごみシーンとかあんま要らないよ派で、たぶんキャラを好きになる才能に欠けてるから前半のなごみを楽しむ能力が低いからかなと自分では思ってたんですけど新撰組はそこのところスッと見れたね。そりゃ三谷さんの創作混じりまくってめちゃめちゃなんだろうけど基本的には実話というか史実に則ってるっていうのがやっぱ見やすかった理由なんじゃねぇかなと思う。感情移入じゃないんだけど、「うわ、そうだよなー。こんなんやってたんかー。そうなるわなー」ってすごい思うんですよ。学も何もない田舎者が志だけ持ってあーだこーだ日本はこれからどうだとか言ってるけど最初のころ全然相手にされてないのね。その中で一つ一つ出来ることからやってくしかない、この道はきっとどこかに続いてるんだって信じて頑張るあの感じね。何をするにしてもガタガタなんですよ。堺雅人演じる山南さんっていう人が初期メンバーの中では知恵者ポジションでみんな「山南さんなら何でも知ってる、山南さんは頼りになる」みたいな感じで慕われてるんですけど組織がでかくなるともっと賢い人が加入したりするからさ、山南さんはだんだんポジション微妙になっちゃって中盤くらいで切腹しちゃうんだけど、あの山南さんの感じもたぶん現代で言うところの「俺はこのバンドで一番パソコンに詳しいからホームページ作るぜ!」みたいなたぶんそんなノリだったんだろうなみたいな、うわうわうわジオシティーズにHTML手打ちで作ったホームページアップしてどや顔の堺雅人! 死のう! もうみんな忘れて死のう! とかそういうことを考えながら楽しむんですよ。「やったことがないから分からない」の連続を勘と無い頭で考えて乗り越えていく、馬鹿だから策を弄するにもいちいち乱暴なんですよ。僕も存在くらいは知ってた新撰組の鉄の掟、士道不覚悟は切腹、脱走も切腹とかいうわけわからんやつね。「受験とかどうでもいいからサッカー部やめるなんて言うなよ」の究極形ね。新撰組辞めようとしたら切腹。これもそもそも芹沢鴨一派を引きずり落とすための策の一貫として提案されたものだったんだけど、死なせたくない奴にも適用しないと筋が通らないよねってことで泣きながら切腹させんの。さっき言った山南さんはそれはもうみんなからの信頼も厚い初期メンバーなんだけど、こいつが脱走して捕まって、そこから逃げねぇの。みんな死なせたくないから見逃すから逃げろやって言うんだけど何でか知らねぇけよ山南さん逃げねぇの。ええ顔で腹切って死んじゃうから、みんな泣きながらそれを見守るんだけどね。一番死なせたくない初期メンバーがその掟で死んじゃったらもう引き戻せないよね、ほか死なせたくないやつが出てきたとしてもそいつ見逃しちゃうと「山南さんなんで死ななきゃならんかったんや」って話になっちゃうから問答無用で切腹がポピュラーになってくる。この止まれない感じとかもすげぇ分かるよね。「えこひいきは良くないからみんな平等に扱おう」を一番ラクに実行しようと想ったら「全員にめっちゃ厳しい」が絶対一番ラクなんですよ、そういう部活の顧問ほんと死ねよと僕はずっと思ってきたけどね、「さじ加減を適切に運用する」はすごくセンシティブで難しいからそういう平等じゃないみたいな不平不満を封殺しようと思ったら平等にめっちゃ厳しいのが実は一番ラクなんですよ。これはなんか観ていて、いやドラマの筋は別にそういう話じゃないんだけどそのことに気付いて俺はすげぇ「なるほど」ってなった。
そんな感じでなんやかんや無駄にストレスフルな環境を構築しながら新撰組は成長していくんだけど、組織が大きくれば大きくなるほど外からの評価が高くなればなるほど、藩から金とかもらえるようになればなるほどまた喧嘩が多くなるのね。ベンチャーっぽいよね。上場したら株の分配で創業メンバーがめっちゃ仲悪くなるみたいな。儲かってない時が今思うと一番楽しかったな的な。というかほんとに今でいうベンチャーみたいなことを当時の才覚あふれる若者がやってただけなんだろうなって話なんですよ。攘夷派の藩士も新撰組もみんな意識高い系のよくわからん学生みたいなもんですよ、そのうえ時代が時代なもんでそういう奴らが全員腰から刀ぶら下げてるみたいなもんですよ。みんなピストル持ってる渋谷みたいなもんでしょ、当時の京都って。それがたかだか150年前。シンプルにすげーなと思うよね。大河ドラマとか、昔は全然面白くなかったけど、やっぱ普通のフィクションの物語との違いが若い頃は想像力が追いつかなくてあんまよく分かってなかったとかもあるかもしれない。新撰組の話は二十代から三十代の人がメインになってるわけで「ああ、こういう人生を生きて死んだ人がいるんだ」って感覚が、フィクションの物語の消費の仕方とはまったく違うかたちで去来するんですね。年とればとるほど、ちゃんと思いを馳せられる歴史上の人物はどんどん増えていくから、いやーおっさんが戦国武将好きなんちょっと分かってしまったわ。時代劇を楽しむというのは甲子園球児が年下であることに思いを馳せるやつの亜種やったんや。年とったな俺も。
あと全然話変わるんだけど、やっぱ49話とか全体が糞長いと話ごとに「こんなんやってやろう」みたいな遊びを入れる余裕があるっていうのは面白いなと思った。全話の中で上位5本には入る面白かった話で、経理担当の人がヘマこいて切腹する話があるんだけど、これがほんとに経理の人が切腹するだけの話でひどいんだけど、救いがまったくないんですよ。三谷幸喜の脚本捌きの上手さと言えば、色んな人の思惑とか偶然とかがうまい具合に絡み合って事態が思わぬ方向に転がってみたいなそういうところだと思うんですけど、三谷さんのその能力をすべて「何の救いもない切腹」に向けて注ぎ込んでんの。「うわ~」以外にもう何も言うことがないんですよ。「もしここで運があればもう少し良い方向に転がってたかもしれないのにな」っていうところ全部片っ端から盤石に常に運が悪いんですよ。フラグ全コンプで運が悪くて、より辛まる方向にのみ偶然の作用が延々働き続けるっていうどうしようもない話があって、それを僕は無言の微妙な顔で観ていて超面白かったんですけど、こんなんやれるタイミングってなかなかないだろうなーと思ってすごい良かったです。映画でそんなんやっても仕方ないし、ドラマでも十二話足らずのうちの一話をそういう見せ方にするのもちょっと博打感があるしそもそもメインキャラは毎週動かさなきゃいけないことを考えるとそいつが登場するだけで「延々ついてない」からはちょっと外れちゃうみたいな、やり通せない要素とかも出てきちゃうと思うんですけど、そういう出来ない要因全部ねじ伏せてただただやるせない切腹を45分かけてやってて、アレは最高だったね。
とりあえずそんな感じで『新撰組!』観終わって楽しかったんでね、この流れのまま勢いで『THE有頂天ホテル』観なおそうかな、なんて考えてて。もともと超面白い好き作品なんですけど、三谷さんは役者のえこ贔屓激しいんでね、こっちでも出てるんだって俳優さんがたくさんいるだろうと思われるので、そういうの踏まえて楽しもうかな、みたいなね。三谷さんはオダギリジョーの使い方をナメきってる感じがとても良いよね。「黙っとけ」と言わんばかりだよね。でもそれでいいんだ、これがオダギリジョーの正しい使い方だ、みたいな。そういう割り切りがどの程度好意のうえなのか悪意のうえなのかわかんないんだけどね三谷さん。個人的には、石黒賢と唐沢寿明を一つの作品で同時に動かしたりとかしてみて欲しい。俺の中では石黒賢って完全に唐沢寿明の下位互換みたいなイメージが定着しててね、それが良さで良くなさでもあるんだけど、石黒賢の良さが引き出されてるところを、見たいよね。役者さんいじりも、もう本当に延々できるんだけど始めると本当に終わらないからもういいや。あ、麻生久美子が糞かわいかったです。まじで。
そういうわけで飽きてきたし眠いから終わるけど。まぁ結論超面白かったんだけど、俺が40とか50になった時、また大河で新撰組でもやったらたぶん観るだろうしその時はたぶん「やっぱ三谷版が強すぎてイメージ違うわぁ」とか文句を言うのだろうか。とんでもない話である。以上です。