最近なにもかもが面白くない気がしてきている。四六時中退屈で、無味乾燥で、あくびをするより先に目を閉じて横になりたいそんな毎日だ。コロナ以前がそんなにエキサイティングだったのかというと別にそんなことはなく、今のこの感じはなんなのかというと思春期に似ているな、と思う。中学生のあの時分も、世界がつまらなくてつまらなくて仕方なくて、いつも暇で暇で仕方なかった気がする。しかしそれではいかんと思って、頑張って面白がり方を探していたのだった。そうしなければもう、毎日が何がなんだかわからなかったので。思えば、それが当たり前だったのである。それから徐々に当時の僕は不適合者なりに適合を試みた結果、世の中をそれなりに頑張って面白がって、世の中は面白いもんだと思うようになったが、せっかく俺が歩み寄って適合してやったにも関わらず、世の中の方が変わってくれやがった。それで忽ちに俺は、やっぱなんかこれつまんねえなと思っているのであり、つまりはこれが本来なのである。
それで、毎日つまんなくはあるのだが、思わぬ形で二度目の青春がやってきたぞ、と思わんでもない。青春ってやつは別に、ポジティブなもんである必要は必ずしもないってのが素敵なところだ。抱きしめようが青春、唾を吐きかけようが青春、俺と世界が対峙するならそれはどうしたって青春だ。俺の一度目の青春はなんだかんだ向こう方と折り合いをつけて終わったが、二度目も同じようにそうしてやる義理が俺から世界に対してはないし、世界の方も同じ気持ちだろう。世界は世界であり続けるだろうし、俺は俺の退屈やイライラを手放さない。かくしてここに、俺の二度目の青春は顕在されるのである。
一度目の青春よりかは身体の調子も社会的な身分も変わった。何もかもが変わってはいるが、本質的なところは何も変わっていないし、本質的なところには誰も手が届かないままあくせく生きている世界も俺もいつもどおりでこんにちわ。中心がわからないまま遠心力に振り回されるこの感じが、心地いいと言えば心地いい。俺の所在もあなたの所在も不確かな今この瞬間の中で手を伸ばせば掴めるものをただ掴もうとするこの感じ、藁にも劣る腹の足しにならない何かを掴もうとするこの感じが楽しくないと言えば嘘になる。身体はめっきり弱っているので目が回って吐きそうだ。胃がひっくり返りそうになりながらも、大きな渦をそのまま抱きかかえてぐるぐると回りながら落ちていけた一度目の青春が懐かしく、羨ましくもある。
しかし、まあ本質は変わらない。本質がわからないことにはかわらない。俺に起こるすべては、誰にも与り知らぬ世界の片隅の俺のすぐ隣で、ゆっくりと音もなく始まり、音もなく終わる。決して人目に触れることなく、俺の隣で俺の視界の中でだけ、始まり終わる。そういう青春がまたもう一度やってくる予感がしている。
この世のすべては騒音で、がやがやと馬鹿馬鹿しく、愛らしくもあるが、いわば俺のなんの役にも立たない。頬すり寄せると冷たい壁が、ただ分厚く、俺の火照りを押し返す。ただそれだけのことに感謝する。まとわりつく生温い湯気のような何もかもが、今はすっかりなくなってしまった。
これまでなら振り返ると地平線の彼方から僕の足元まで連なっているように見えていた僕の足跡が、最近はまっさら消えてしまったような気がしていて、前にも後ろにも足跡がない僕は、久しぶりに世界の真ん中に立っているような気がしていて、それは随分悪くない気分だ。
世界のすべてがつまらなく見えるし、それで最近元気がない僕の中で、一番生き生きしている時の僕が胎動している気がしている。全員死ねクソが。