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ボウリング場の娘

中学2年生の時、同じクラスには女子バスケ部の主要メンバーが固まって配置されておりクラスの女子グループの中心は自ずと彼女らだった。僕はそんな女子バスケ部の中でもクラスの学級委員長も任されていて女子バスケ部の誰に聞いても次期キャプテンは彼女だとみなが口を揃えて言う優等生の女の子が好きだった。1年生の別のクラスの頃から僕はその娘のことがずっと気になっていて、クラスの中にいる時でも、休み時間とかに廊下で部活仲間で固まっている時でも、いつも輪の中心にいていつも明るく真っ先に口を開いてはみんなの他愛ない会話の呼び水を作り、かと言って出しゃばり過ぎず、誰の言葉にも目をまっすぐに耳を傾けてはコロコロと笑い、勿論教師たちにもオールマイティに可愛がられていて、なんか一言で言って当時の俺にはいささか眩しすぎる、そんな女の子だった。

2年生になって彼女と同じクラスになって、そうして僕の13年の人生の中で何度目かの、好きな女の子と毎日同じ教室に通えるようになるたび訪れる、何度目かの正念場を迎えることとなった。僕は彼女に少しでも気にかけてもらえるよう、動き出すのであった。

まず1年生の時にやっていた、主に男子ウケを狙っての教師に皮肉を言うような笑いの取り方をやめた。優等生のあの子はそういうことを好ましく思わないはずだ。闇雲に人を揶揄するような笑いもやめた。あの子はそういうことを好ましく思わないはずだ。そういうわけで僕は、それまでクラスに混沌をもたらすために使っていた自分の能力を、調和をもたらすために使う方向にシフトした。全ては、彼女に好ましく思われるような自分であるためだ。

そうして僕は、それまで杓子定規な教師を馬鹿にするために、行儀のいいことを言って協調性を強要するクラスのいい子ちゃんたちに反発するために使っていたよく回る口を、クラスの調和のため、一体感を高めることのために使うようになった。それによって険悪になったかつての男友達もいたし、かつての振る舞いをやめたことによって仲良くなった男女もいた。全ては憧れの彼女と少しでもお近づきになるためだった。そして、その日がやってくる。

冬休みを目前に控えた二学期も終わりまじかのある時、僕は憧れの彼女から「放課後、話があるから教室に残っていてよ」と休み時間にこそっと言われた。男友達と休み時間に談笑している時に突然にぐいっと腕を引っ張られ、廊下まで連れ出され、耳打ちとまではいかずとも、ぐいと顔を近づけられていつものように彼女は僕の目をまっすぐに見て、小声でそう告げたのだ。

放課後、たしか芥川だったと思う。何かしらの文庫本を広げて頭真っ白のまま自分の席に座り込んだまま惚けたままの僕の目の前に現れたのは、憧れの彼女とボウリング場の娘だった。

ボウリング場の娘は、べつにニックネームでもなかったのだが、僕がたびたびそう呼んでは笑いを取っていた同じクラスの女子バスケ部の女の子の一人だった。彼女は、実に恰幅のいい女の子で、たぶんその時、横も縦も僕より大きかった。僕の憧れの彼女が女子バスケ部のリーダーなら、ボウリング場の娘は女子バスケ部のムードメーカーだった。いつも豪快で男勝りで、体格が体格なので、他の男子からはゴリラだとかなんだとか言われて、しかしそう言われても笑顔で「そんなん言わんといてよ」と男子の肩をぶん殴り、痛がる男子を見てみんながひと笑いみたいな、いつも気丈で明るくよく笑う女の子だった。男子のことを「ちょっと男子〜」と呼ぶ女の子だった。そんないつもガハハと笑い、男と張り合う彼女が、僕の憧れの彼女の後ろでモジモジとしているのである。

僕は彼女をゴリラと呼んだことはなかった。そんなことを言えばきっと僕の憧れの彼女は僕を軽蔑するだろうと察していたからだ。彼女の父は地元にある当時数少ないアミューズメントパークの店長をやっていた。アミューズメントパークというか、いわゆるただのボウリング場である。だから僕はいつもそれを言ってひと笑い取っていた。

「●●さんは、ボウリング場の娘やもんねー」

「いや、その言い方ボウリング場に住んでるみたいなってるから!」

そのツッコミも僕が友達に仕込んでいた。

アミューズメントパークを経営していたとしても、家は別にあるだろ。住居と一体型の床屋じゃないんだから、一体型の家屋に住んでない人にボウリング場の娘はおかしいやろ、床屋の娘はわかるけど、ボウリング場の娘はおかしいだろ。そうやって話を広げたらまあウケるので、僕はいつも一緒にいる友達にそういう感じで話を広げれば面白いし、別に俺たちがバカなこと言ってるだけだから彼女を傷つけることにはきっとならないし、と、僕が仕込んだ結果そうなっていたのである。

そんなボウリング場の娘が、僕の憧れの彼女の後ろでモジモジしているのである。

憧れの彼女は言う。

「●●さん、ズイショくんのこと、好きやねんて」

ボウリング場の娘は俯いて頬を赤らめた。僕の憧れの彼女の手を握りなおした。

そして僕は途方に暮れた。

 

僕は結局、ボウリング場の娘からの実にモジモジとした告白を受け入れることはできなかったし、憧れの彼女はそれにどうやら不服だった。

「あんなにいい子なのにどうして?」とその後も何度か言われた。

「いや、僕が好きなのはあなただからですやん」とは結局最後まで言えなかった。

言えなかったのは、なんでなんだろうな。そんなに友達の恋を無邪気に応援できるってことは、全くまるで俺に興味なんてなかったってことと思ったからかな。憧れの彼女と僕が、二人きりで話す機会というのはそれから何度かあって、それは全てボウリング場の娘は本当にいい子なんだからねという話で、挙句彼女はボウリング場の娘を思うあまり僕に涙まで見せた。こんな残酷な、僕が彼女のことが好きな理由の確認の仕方はなかった。あんなに美しい涙を流す彼女を前にして思いの丈を伝えられなかった理由が僕には今でもてんで見当がつかない。

ボウリング場の娘も僕に涙を見せていた。憧れの彼女と連れ立ってきたその日、僕は待っていた人と待っていなかった人を交互に見ながら狼狽するばかりだった。「ほかに好きな人がいるから」とも言えなかった。目の前にいるほんとは好きな人を「ほか」と呼ぶことなんか俺にはできなかったし、それ以上のことを言える雰囲気でもなかった。ただ「ごめん」を繰り返す僕に、ボウリング場の娘はさめざめと泣いた。どういう終わり方でその教室を後にしたのかは残念ながら覚えていない。今の俺にも彼女を傷つけない教室の出方を思いつかないということは、それなりの帰り方しかできていないのだろう。

 

さて、これは、僕の記憶だ。編集済みの、32歳の僕の、記憶だ。

ボウリング場の娘は、結局どうして僕のことが好きだったのだろう。どうして僕なんかのために涙を流すほど、彼女は僕になにかを求めていたのだろう。確かにここまでの文章を読めば、僕は彼女をゴリラ呼ばわりする他の男子よりかは優しく見えたのかもしれない。しかし、これを書いているのは他ならない僕で、僕がそんなことをいくら書き囃し立てたところで、それが事実なのかどうかは最早かつてボウリング場の娘だった彼女にしかわからない。

僕は、こういうのが時たまどうにも堪らなくなるのだ。人生の答え合わせのなさに、地面に転がりたくなる。こういうことを思い出すと、今そばにいる人間を大事にしたいなとは思う。しかしそれがなんだ。俺の両手からこぼれ落ちた、砂のような君や貴方が、今の僕を昔よりマシにしてくれているのだとしたら、俺はどちらに足を向けて寝ればいいのやら。

今から飛行機に飛び乗って、地元に舞い戻って、あのボウリング場に行けば、僕は答えを見つけられるのだろうか。いや、反語のやつだろう。

セーブポイントもなければ100点もない人生に嫌気がさす。僕はボウリング場の娘をこれからも思い出し、戻れないしやり直せないし確かめられないことを噛みしめるのだろう。僕は僕で、ボウリング場の娘どころじゃなかった。あの時彼女は、たしかに僕の純愛の障壁だった。しかしいま思い返せば僕の純愛の一部であったのかもしれない。

こんなことを考えるにつけ、他人なしには空っぽの自分が身に染みて、僕はただ呆然と、僕が知る全人類と僕だけが世界のすべてのような気持ちになるのであった。

ボウリング場の娘は、しくしくと泣きながら僕に言った。

「ズイショくんは、誰にでも優しいもんね」

横にいる憧れの彼女の目は憎悪に爛々と燃えていた。

 

以上です。