掲題は僕が今思いついた嘘の迷信なんですけど、古来から綿々と受け継がれております迷信なんてのはそもそも全部まるっと嘘っぱちでして何か「ネガティブな行為」を咎める理由を明確に言語化して擦り合わせて共有するのがめんどくせえので「それはネガティブな行為ですよ」という認識だけ共有できてりゃこっちとしては目標十分達成できてるわけでじゃあ濁しましょうそうしましょう、「他人を羨む」ということがどういうことなのか微に入り細を穿ち説明することはもちろん可能ではあるのですけれども、それをやって誰が幸せになるというのでしょう?少なくとも「他人を羨む」を控えましょうというのは僕と貴方が、よりなごやかに日々を過ごすために取りつけたい約束事であって、「他人を羨む」という行為が実際に及ぼす悪影響を突き詰めて箇条書きにしていくことが僕と貴方の間により一層のなごやかさを与えてくれるのだろうかいや与えてくれはしない。ならば細かいことはいいじゃない、「他人を羨んでばかりいると髭が生えるよ」それで十分じゃないかと思うわけです。たぶん2000年前後に書かれたようだった気がする井上ひさしの本を読んでいたんですけど(今手元にない)、その中で最近の若者言葉として半疑問語と「わからないけど」という枕詞?を取り上げていて、今の枕詞?も半疑問語であるわけですけど、例えば「最近の若い人たちは三代目Jソウルブラザーズ?とかみんな聞いてるじゃん?わからないけど」という言葉があったとして、責任の所在がなんとも曖昧でお前の口から出た言葉なのにお前の思った言葉ではないようなニュアンスがそこにはあってわかんないけど何となく不誠実な感じ?あるじゃないですかと煙たがられがちな言い回しなんですが、井上ひさしはこれらを「新しい形の敬語なんじゃないのか」と申しておりなるほどなと思ったわけです。それまではもうバッキバキの上下関係に縛られて言いたいことも言えないポイズンが魍魎跋扈する日本語社会というものが少し柔らかくなってきて、思ったことを言っちゃうことが少しずつ許されるような空気になってきた。しかし、自分の思ったことをそのままに伝えてマイルドさをキープするような敬語というものが、日本語にはイマイチ引き出しが少なくてそんな中で模索してでてきたのが「わかんないけど」だったり半疑問語だったりするんじゃねえかみたいなことを書いていて、俺はなるほどなぁと思った。そして書いてて迷信文法というものも、基本的には同じ構造なんじゃねえのかなぁと思った。つまり「夜中に口笛を吹くと近隣住民に迷惑がられて煙たがられていざという時に味噌や醤油を貸してもらえなくなりますよ、そんなに味がない芋をそんなに頬張りたいですか?」とあんまり詳細に語ってしまうとそれだけで気持ちが落ち込んできますので「口笛を吹くと蛇が出るよ」くらいでいいじゃない、わかるやろ?せやろ?ってことだと思うんですね。
それで本題なんですけど、今このテキストエディタを開いて白目でカタタタ~ンって文字列を綴っている動機は上記のブログエントリを読んだからなんですけど要約すると「LGBTカップルの惚気漫画を読んでてむかついたんだけど何故かと考えるとこいつら性差という異性愛カップルの間に横たわる屋久杉みたいなイカついハードルに思い悩むこともなく悠々といちゃついてて気に食わねえってことだと思うんだけど、それは妬みだから良くないと思った。むしろ性差があろうとも彼女らのような関係性を結べるよう努力せにゃにゃらん」みたいな内容なんですけど(たぶん)、あんまりオブラートに包まず「なんか気に食わねえ。よくよく考えるとこういう理由で気に食わねえ」とそのまんま書いちゃうのはたぶん「あえて」であって、僕はそういう世の中の何やかやなんてのは各々のごくごく個人的な感情の衝突とか擦れ違いで、それは乗り越えなくちゃならんというよりかは加味して包摂していかなくちゃならんもので極めて政治的な寛容さを御旗に掲げて寛容を良しとするだけではどうにもうまくいかなくて「なぜ寛容にするのが困難なのか」という部分も見つめつつ当事者視点で納得のできる寛容さをそれぞれが身につけていかんことには一定以上にうまくいくことはないと考えているので、そういう身も蓋もない「ずるい!」という語り口を披露したうえでその感情を消化するという流れをとった件のエントリは僕は好感が持てた。他の人がどう読むのかは知らない。
僕はこのエントリの人がぷりぷりしていた漫画を全然読まないでこれを書き始めているので実際のところはよくわからないのだけれど、似たような経験というか思い出したエピソードがあって、それはいわゆるバイセクシャルの男性とお喋りしていた時のことで、彼はある時期までは普通に女の子とお付き合いをしてすったもんだの青春を謳歌していたのだけれどそのうちに「あ、わて、同性愛でも全然いけますわ」となった人なんだけれど、その人が「一回男性とお付き合いしたら女性はもうめんどくさくて無理ですね」というようなことを言っていて、僕はそれを聞いて「まぁそうだろうなぁ」と思った。そこから僕は完全にネプリーグのファイブボンバーのテンションで「恋人と付き合っていてめんどくさいなと感じる瞬間(その中でも、自分で想像するに相手が同性だったらあまりめんどくさくはならなさそうな事例)」を古今東西して、つまり同性愛者である彼がそれを呼び水に「ああ、そんな煩わしさは同性同士ではありませんよ、こんな感じでとてもめんどくさくないですよ」というトークを展開してくれそうなお題をごきげんようのサイコロ感覚で提供して、そして思惑どおりそんなような話題がしばらく続いたわけなのだけれども、「危うさ」というと文脈上やたらに恣意的で言い過ぎなんですけれども「危うさ」のようなものを僕が感じたのは事実で、つまりそういう人たちというのは「めんどくさくなさ」とか「合理性」といった観点から同性愛者という生き方を選択しているわけではないけれども、そういった観点から「同性愛の良さとか利点」を説くことは可能といえば可能なんだなということだ。
「その人にとってそれが自然な生き方であるのなら自然にその生き方を選択できるのが当たり前だ」みたいなのがたぶんここらへんの話題をする時のスタート地点かなと思ってるんですけど(と本当にそう思ってるので間違ってたら言ってね)つまりそれは合理的とか効率的とかそういうのは全然関係ないもっと根本の「それが当人にとって自然な状態だから(たとえ非合理的でも非効率的でも関係なく)」というところをお互いに尊重しましょうねという土台のうえにされる話なのだろうと思うんですけど、もちろん先述したバイの男性だって「だから異性愛より同性愛の方が合理的で気苦労も少ない良い生き方ですよ」なんてことは全く言ってないしそもそも僕が水を向けたわけだから誘導尋問っちゃ誘導尋問なんですけど、そういう言い方ってしようと思えばできちゃうわけで極端な例を出せばtwitterなんかでものすごいミサンドリーをこじらせたパートナー持ちのレズビアンの人が完全に線分を延長するとそこに到達しちゃうよねみたいなことをつぶやいてるのを見かけたりするわけですよ。男性を選ばない生き方を選ぶのはもちろん自由だけど、「あれ、なんか今男性性であるところの俺と結婚してるうちの嫁さんまでちょっとdisってなかった?」みたいな瞬間があるわけですよ。まぁ、これは極端だって分かってるからいいんですけど。同性愛者という生き方がその人にとって自然ならもちろんそうすりゃいいと思うんですけど、そこに恋愛市場でいつまでも四苦八苦してる男女にマウント決め込む既婚者みたいな構図が出現してしまうとそれはマジョリティ対マイノリティとか全く関係がない個人対個人の普通の健全な決闘(ただし金的あり、目つぶしあり、加勢もファンネルもありあり)みたいな地獄の様相を呈することにしかならねえんじゃねえのかなと思って。
よくわかんねえけど、LGBT?の人には大変なことはたくさんあるだろうし、それが理不尽な社会的抑圧に因るものなら解消されなくちゃなんねえしだけど、異性愛者の人らだって好きで異性愛者に生まれたわけじゃなかろう点では大差ないし、性差があるからこその気苦労*1?もあるだろうし、そこらへんの気苦労を少しでも解消するための考え方?方策?をLGBTカップルの実践が提示してくれるだろうってのは先に挙げたエントリでも語られている通り。ただその過程で今後セクシャルマイノリティの人たちの位置がフラットに近づけば近づくほど異性愛者の性差に起因する大変さへの問題意識が「むかつく!」とか「妬ましい!」っていう感情として発露されるケースっていうのはどんどん増えていくんだろうなと思って、そりゃもちろんそれは褒められた感情じゃねえしこっちで解消すべき問題ではあるんだけど、そういう時に「好きで異性愛者やってんだろ、知らねえよそんなの」と言われたらなんかそれもしんどそうだなと思って、同性愛が完全な「普通」になったとしても性差は依然としてなくなりはしないわけで、だからこそお互い何の因果か自分の望む望まないに関わらずそういうカタチでそういうココロで生まれてきてしまったもん同士、上手にフィードバックし合えるといいですねってだけの話なんですけど、たぶん僕が不安に感じているのは何かっていうと、別にLGBT周りの話だけに限らず生き方の多様化みたいなものが本当の意味での「イチ抜けた」でしかないのだろうかという話で、もしそうだったとしてもイチ抜けを無理に引き留めることは良くないことだろうとは理解しているので、ただできることはそういうあれこれが各個人にとって彼にとって彼女にとって貴方にとって「イチ抜けた」なのかどうかを確認しようとしてみることだけで、つまりそういう目的で書かれ貴方に読まれようとした文章がこれです。
まぁなんか「他人を羨んでばかりいると髭が生える」と同時に「あの人に生えた髭は私の髭だったのかもしれない」ってことだと思うんですけど、髭はどこからが好きで生やしてる髭なんだろうなとか思ったんですね。よくわからんけど。以上です。
*1:気苦労ではなく男性社会による抑圧だという人もいるかもしれませんが、世の中にはそのような男性性の加害性に悩んでる男性もいると聞くので、とりあえずこのエントリでは気苦労と書きます