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『ヴァインランド』は「髭の小説」

トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』を図書館で借りてきて読み始めた。単行本で約600ページもある長編小説だ。実のところよくわからなかったのでピンチョンの長編ならどれでもいい気分だったのだがある人が入門編にちょうどいいと薦めてくれたので『ヴァインランド』になった。ただしその人もまだ『ヴァインランド』を読んでおらず、人に薦められたままに僕に教えてくれたに過ぎないらしいので、僕は孫的なポジションに収まり、そしてこの文章を読んでいるお前はひ孫に相当します。ともあれ買うと3800円もする本なのでそれをタダで借りられるとは、ありがたい話ですとか言うかなと思うじゃん?税金を納めてるのでお礼を言う気はさらさら起きません。ふるさと納税をしておいしい牛肉が届いてすきやきをやった時も、僕は「いただきます」「ごちそうさま」を言いませんでした。

それで、僕は『ヴァインランド』を読み始めたのですが、僕より以前に借りた人の中に、髭を抜く癖のある奴がいたようです。読み始めてすぐに気付いたのですが、たまに一本二本の毛根の形が残った長さ1cmあるかないかの髭がページに挟まっているのです。女性には想像しにくいかもしれませんが、と言いつつ、男性のうち何割かが首肯してくれるものなのかもよくわかりませんが、髭を抜くのが癖になっている男というのは一定数存在しています。僕もその中に含まれてないことはないのでしょう。口髭は抜きにくいので、主に顎鬚がその対象になるのですが、何日か髭を剃らずにいると無精髭が目立ってくるわけですが、これを親指の爪の先と人差し指の爪の先で上手に一本を摘まみ上手にプツンと引き抜くと、これがなかなか得も知れぬ快感だったりするのです。みっともないのであんまりやらないように心がけてはおりますが、そういう癖が世の中にはあるということを僕は重々承知しています。しかし、そうして読書をしながら摘まみ抜いたその髭を、そのまま本になすり付けるとは、ましてや借り物の、ましてや3800円の本に擦り付けるとは随分に随分な話じゃあないですか。まあでも僕は結構ズボラで潔癖からは程遠い人間なので、何も一行一行を指でなぞって読むでもなし、ちょっと髭が挟まってようと普通に読んでりゃそれに触れるわけでもないのだから知ったこっちゃねえやと構わず読み進めていたわけですが、あまりに毎ページに髭が挟まっているので観念してまずは髭を取り除いてやることにしました。というのも、嫁も「もしかしたら読もうかな」と言っていたのを思い出したからです。僕はこの段階でまだ50ページしか読んでいなかったのでよくわからなかったのですが、もしこれが面白い小説ならば嫁と感想を言い合いたいことはそれはもちろんだ。しかし、嫁は僕に比べれば遥かに潔癖な性質なので、髭が挟まっているのを見たらそれだけで読む気が失せてしまうかもしれない。それもつまらないので、僕だってどこの誰とも知らぬ髭に触れるのはいや~なことなのだが、どうせこの後も髭のことを気にしながら読み進めるはめになるくらいならさっさと問題を解消してしまおうと思い立ったのだ。

それで僕は、一度読み進めたところに栞を挟みこむと、翻って毎ページ毎ページを頭から順にチェックしていき、髭を見つけては左人差し指を押し当て、その髭を剥がし取り、ティッシュの上に移しを延々繰り返した。と言ってはみたものの、延々続くに思われたその作業は思いのほか早くに終わり、というのも、髭が挟まったページというのは大体25ページから75ページまでの間に限っていて、それ以降はまったくそんな汚れのない状態が続いていたからだ。ともあれ相当の覚悟を持って作業に臨んだ僕は安堵し、いくら潔癖からはほど遠い僕だって、自分の家に他人の遺伝子情報が転がってるのはさすがに良い気がしないので、どこぞの誰ぞとわからぬ髭をくるんだティッシュをゴミ袋に移し替え、それを表のゴミ捨て場まで出してきて、戻ったら石鹸で手を入念に洗い、そうしてまた『ヴァインランド』の続きを読み始めた。

今、100ページほど読み進んだところで、どうにも海外の翻訳した小説というのは面白くなってくるまでにけっこう時間がかかるイメージがあって、この小説に関しても僕は80ページあたりからやっと面白くなってきたような印象だ。それでもまあ面白くはなってきたので、このまま最後まで読み進められそうな予感が今はもう頑としている。髭を抜きながら読み進めた彼は、どうだったのであろうか。75ページあたりで退屈に絶えかね投げ出してしまったのかもしれない。単純にそのあたりで髭をキレイに剃って最後まで読みきったのかもしれない。岩本虎眼に髭どころか下顎ごと吹っ飛ばされたのかもしれない。右手首を切り落とされた場合もきっと髭を抜きながら本を読むなんて芸当はなかなかできないであろう。なんだかんだ結構めんどくさいしいや~な思いをしたので、下顎か手首くらいは吹っ飛んでいて欲しいなと願う。どうあれ、『ヴァインランド』はこの後どう読んだところで、「髭の小説」という側面を持ってしまうに違いなかろう。最近はめっきり、生活に埋没しながらその狭間で、例えば電車の中で、風呂で、リビングで、寝室で、本を読むことばかりになってしまったが、例えば旅行先で読むだとか、何か外部の記憶と紐づけながら本を読むというのも、随分楽しいことなのだよなぁと思い出したのであった。

なお、このブログを嫁が読んで経緯を理解して「じゃあ、気持ち悪いから触りたくない。読まない」となる可能性は全然あります。以上です。