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四天王寺の骨董市に行ってきた

三連休で暇だったので行ってきた。

俺のなかで「ある程度わかった感じ」までもいけてない話なので過度なギャグなし改行ありでダラダラ思いついた順に書きます。なんというか、俺のお得意の作法で書くには手に余るというか、そういう書き方をすることが自分の中で敬意を払ったことにならない程度に「わかってないということがわかった」レベルでしかわかってない。マジでこんなに「うまく言えない」ものって割と久しぶりかもしらん。

単純に自分は自分で思っていた以上に定価の世界?物の価値が安定している世界?大量生産が前提の世界?に生きていて、そこらへんものすごく頭が堅いまま生きてきてたんだなぁっ、って気がした。大阪に住んで長いんだけど「儲かりまっか」「ボチボチでんなぁ」っていう商人のノリが実際のところどういうノリなのかということに初めて触れた。

なんつーんすかね、士農工商なんて言葉があるわけですけど、これの一番下に配置されてる当時の意味そのままの「商」を初めて感覚的に理解した、みたいな。

よく考えたら「目利き」みたいなスキルが普通に生きる分にはあんまり必要が無い現代社会ってすげえ不思議な、来るところまで来ちゃったような世界なんだなーとかも思った。

以前タイに行った時にもトゥクトゥク乗ったりマーケットで買い物したりなんかしてたわけだけども、その都度本で読んだような「値段交渉のやり方!」をやるのが俺はマジでめんどくさかった。「(日本円換算したうえで)自分が妥当だと思う金額」を提示して、それでNOと言うなら話はなし、なんぼならイケるんだ?とかめんどいやん。OKならOKでそっから無理に値切ったりとかめんどくさいじゃん、と俺は思っていて嫁はそれに「無粋だ」と言っていたけれども、なるほど、そういうのが「無粋だ」と見做される感覚ってのがちょっとだけわかった。

その価格が妥当なのか妥当じゃないのかよくわからん言い値の世界ってすげーなー、みたいな。都度都度買い手と売り手が合意形成を経て物の価値を決定していく、みたいな。普通に生きてる世界で、そりゃあそこで俺もモノを買ったり売ったりはしているはずなんだけれども、それは合意形成がある程度事前に完了している世界というか、相場が決まってる世界というか、たぶんそれは大量生産・大量消費を前提としてるからなんだろうけども、それとは違う感じがすごかった。

いや、たぶん相場は俺には分からなかっただけであるんだろうけどね、それが見えない世界というか提示されない世界はこんなことになってるのか!みたいな。ほんとうまく言えないんだけども、僕はなんか心のどっかで金のことを「すごく便利な引き換え券」だと思ってた節があるんですよ。でもそうではなくて実際のところ金は「価値そのもの」である(こともある)ってことが本当にちょっとだけ、わかったみたいな。

阿部公房だったかなー、これググっても出てこないからめっちゃ間違ってるかもしれないんですけど、誰だったかたぶんそこらへんの時代の文豪の誰かだったと思うんですけどが「月給でサラリーをもらう形式が定着したことで日本はつまらなくなった」的なことを言ってて、当時は「あーまーなんかわかるわー」程度だったんですけれども、それがどういうことなのか全然わかってなかったんだなー、今もまだあんまわかってないけど最初聞いた時に比べるとめっちゃちゃんとわかったわー。魚は切り身のまんま海を泳いでると思ってる小学生の都市伝説とかありますけど、なかなかそれを手放しに笑ってらんねーんじゃねーか俺も、みたいなね。

次に行く時は予算ちゃんと決めて転売で利益出す目的ありきで出向いたらもっと面白いかもしれないなー。

なんか俺の中ではそこらへんがまじで「すげえ!!」てなって、興奮した感じをうまくお伝えしたいんですけれども、これでうまくお伝えできてるのかがマジで全然わからん。「今更何言ってんだお前馬鹿か?」ってどれくらい思われるのかもよくわからんけど、「そんなことも知らなかったの?」って言われても「その今お前が思い浮かべてる【そんなこと】くらいは知ってたんだけど、それじゃないんだよーなんつーかもっとすげーわかったんだよ」って言い返したくなるみたいな、いやその人の言う【そんなこと】は普通に俺が知らなかった俺が今回実感した【そんなこと】で合ってるのかもしれないんだけども、いや、まー、中学生の社会見学みたいな話してる自覚はあるからいいんだけど。「すごくない?」「やばくない?」って俺が言ってんだから「すごいよね!」「やばいよね!」て返して欲しい気分なので俺は、ああこの話、ブログに書くんじゃなくて犬に話しかけることで消化した方が良かった話のような気がしてきた。以上です。