単に思いついただけでtwitterでもよかったんだけど140字微妙に足りねーと思ったのでとりあえずメモ帳開いたけど、そこまで書くことはない。
妊婦バッジつけて歩いてたら攻撃してくる奴もいるから気をつけろよみたいな話をこの前見かけたけどそれが本当かどうかはさておき「助けがあると嬉しいです」って人は結局何かしら人より「弱い」ところがあるというのは事実なわけで、それを表明するのは当人にとってもハードルがあるし悪意を持つ人に目をつけられるかもしれないというのも可能性でいえばごもっともだ。
であるならば人に親切したりちょっとしたコミュニケーションコストを他人に支払う余裕がありますよって人がそれを意思表明した方がよっぽどうまく回りそうな気がするんじゃねぇのみたいな話。
もちろんデメリットというか親切バッジをすることでのリスクはちょっと考えただけでアホほど出てくる。
まず未成年は親切バッジの所持禁止な。親切はそんなケツの青いガキが表明できるようなものじゃねぇんだ。
あと、親切バッジの意味するところは「話しかけてくれたら出来る範囲での親切はしますよ」であることの周知は必要です。終電過ぎた繁華街で佇んでる若い女に親切バッジ持って話しかける男は6億%湧くよね。親切バッジは「話しかけてくれても邪険にはしませんよ」の表明であって、逆に親切バッジを持って人に声をかける奴は絶対に信用してはならないという共通認識がないといけませんね。あーじゃあもうこの時点で実現無理じゃん。まぁいいやでも続けます。
親切バッジはあくまで「話しかけてくれていいですよ」と本人が表明してるだけであってその人が本当に親切かは不明です。むしろ親切バッジをつけるの大好きな地雷的めんどくさい人柄というのも我々はこれまでの経験から容易に想像することができるわけです。あくまで親切バッジは最後の一押し、「あの人だったら助けてくれそうだし親切バッジもつけている」となれば助けが必要な人が声をかけるハードルもグッと下がるのではないでしょうか。
親切バッジをつけているとめんどくさい人に話しかけられる確率が跳ね上がります。まず人を騙そうとする悪い人たちが寄ってくるのは間違いないです。そういう人は回避するよう自己責任でお願いします。モンスター親切プリーズ野郎とかも絶対寄ってきます。客観的に見て「それはてめぇのワガママで親切する筋合いねぇだろ」みたいな要求をかましてくるアホがいっぱい寄ってくるのは目に見えてる。これが一番厄介かなぁと親切バッジを思いついた瞬間は思った。そういうモンスターをどう扱ってやろうか、またアホの癖に親切バッジつけてる奴なんなのあいつみたいな話になると思うんですけど、この親切バッジもし実際にやってみたらtwitterを筆頭としたネット相互監視社会と笑けるくらい相性がいいような気がするのでやってみたらどうなるのか【見たい】。見たいだけかよ。見たいだけなんですけど。
あと、親切は無理してするもんじゃないので、親切バッジつける人もつける外すの見極めは大事にしましょう。今日しんどいなーって時はそっと親切バッジをポケットにしまいましょう。あと、飲んだら外そう親切バッジ。
「親切バッジで性格を変えよう!!」みたいな啓発セミナー開く奴は絶対出てくるけど、それはもう何やっても出てくるだろうから必要悪かなー。
今のお住まいに越してきてもう二年くらいになるんですけど、先々月くらいからかな、最寄のコンビニ店長と普通に世間話とかするようになって、二言三言程度ですがちょっとだけ仲いいんですけど、店外で出くわした時の会釈くらいは一年前にはとっくにやってたので、もし親切バッジみたいなもんがあって俺がそれをつけてればこうやって二言三言喋れるようになるのにももっと時間かからなかったんだろうなーとかさっきふと思いついたので、なんかもややーっと空想してました。
そういう「別に話しかけてくれていいですよ」が可視化されるだけで、結構楽しくなるような気がするんすけどね。まぁそれは俺が人と喋るの嫌いじゃないからなんですけど。以上です。