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書く筋肉のトレーニングにおいて自分が何を意識してるのか考えた

変化球が欲しいからこれから毎日ブログを書くよ。

http://matoyomi.hatenablog.com/entry/20131029/1383034533

いっぱい書いてるのにいまいち望んだほどの手応えがないなと悩んで書き方変えたいなとか言ってる人を見かけたので何か書こうかなと思いました。ただ「わかりましたか?」というアンケートをとれば「わかった」「わからない」を押さえてぶっちぎりで「言いたいことはわからないでもないけどよくわからなかった」という回答が大多数を占めてそうな僕です。あーしたほうがいいよとかこーしたほうがいいよとか人様にあーだこーだ言えるほどのもんを書いてる自負はさっき犬が咥えたままどっか行っちゃたんで、どっか行っちゃったというか校庭の真ん中をウロウロしてるのは見えるんですけどどうせ近づいたら全速力で逃げていくのが目に見えてるのでもういいやと捨て置きます。書き方の話をしてる人を見かけたので、俺も勝手に書き方の話しよっかなくらいの。たまにはそういうことを考えるのもいいかもしれない、いやたまにはかどうかよく分からないですけど、こうして日々文章を書いてみるという感じは筋トレに似ているところところがあります。そしてまた「書く筋力」というような言い回しを見かけるシーンも時たま散見されるわけです。そう考えると筋トレというやつは今どこの筋肉をいじめているのか意識するのとしないとでは効果が雲泥の差だと聞きますので書く筋トレにおいても自分の中で自分にとって今鍛えてるのは何なのかを意識してみるのもたまにはいいかもなと思った次第です、いやたまにはかどうかよく分からないですけど。だから、ここから続く文章というものは要約すると「最近集中的に鍛えてるんだけどちょっと俺の腹筋触ってよ」くらいの意味合いしかないんじゃないかと思います。

ここまで一息に書いて「さて」と思ったんですが、せっかくだしせめて出来る限りにおいて一般論っぽく書こうと思うものの難しいというか思ってた以上に自分の中で固まってなかった。なのでイタチみたいな顔で恐る恐るテキトーに始めます。

たぶんこれ一番大事なところなんですけど出発点としてはまず自分の型というものをハッキリ認識できているかどうかってことですよね。ここでいう「型」というものは別に割となんでもよくて、ある程度の文体の選択でもいいですし毎回基本的には起承転結の流れで話を進めるみたいな文章構造の選択でもいいですし主にこういう視点から言及するぞみたいなキャラクターでもいいですし小見出しを先にまとめてから書き始めるみたいな構成でもいいですし或いはそれらの複合であったり、まぁあんまり複合しすぎてカッチリしちゃうとこの後そういう話が続くことになると思うんですけどガチガチになって身動き取れなくなってしまうと思うんで一言二言で言えるくらいにまとめた方がいいと思います。例えば自分で言うと「書き始める前予定になかったものでも書いてる最中に思いついた喩えとかギャグは極力全部入れる」とかなのかなたぶん。改行しないとか一文の長さとかはたぶん型じゃなくて前述の自分の「型」の部分を徹底した結果の副産物な気がするたぶん。

とりあえず何でもいいので一つ、自分の中でこれは徹底して絶対にこれだけは厳守するぞという「型」の部分が何なのかをちゃんと認識する。無ければ作る。一番やりやすいのはやっぱ文体とかになると思うんですけど、よくわっかんないし自信もないよっていう状態でそこをじゃあどうしようかってなって「ですます調で書く」とかに設定しちゃうと今度は広すぎてあんま型の意味がなくなっちゃうんでやっぱ人の模倣とかが一番手っ取り早いんでしょうか。ブログでも本でもなんでもいいんですけど、まぁ色々思いつくままに試してみて自分にしっくりくるかなってやつを見つけよう。

「型」が見つかったら後はとりあえず書くだけですね。お題は何でもいいと思います。読書感想文でもいいですしニュースへの言及でも日記でもウケる目的で書く与太話でもキリンの生態でも書きたいことを好きに書けばいいと思います。舌が紫。ここでの課題はまずは「型」を身体に叩き込むことです。なので書いてて「これつまんなくね?」と思っててもグッと堪えてとにかく書く。しんどいはしんどいと思うので出来るだけ書くのが苦じゃない題材をチョイスしてとりあえず書く。がんばって書く。すごくがんばる。がんばれ!お前も頑張った方がいいと思うよな、犬!!

犬「わん!」

さて、こうやってテキトーに書いていると大体俺は書いてるうちにハッと気付いてぶち当たるんですけどどうにも「書きにくい部分」というものが出てきます。それは言及したいけどどうも書ける気がしない話題そのものかもしれませんし、サクッと書けると思って書き始めたところどうもこう思ってる部分も自分の中にあったぞこれ書かないの気持ち悪いぞみたいなものかもしれません。手段を選ばなければ書けないこともないけれども今厳守している「型」を守りながら書くとなるとどうもうまくまとまらないぞみたいな瞬間がやがてきっと出てくるはずです。しかしこの時決して「型」を捨ててはいけません。「型」を捨てるのではなく今持っている「型」に更に何かを足す形で何とか書ききることを目指すのです。言うなればここがまさに書く筋肉のトレーニングにあたる部分でここで「型」を捨てて書こうとしてしまうとたとえそれで書けたとしても今どこが鍛えられたのかがあまり自覚できなくなってしまうわけですね。具体的に言うと「型」から外れてるのでまた同じような難所にぶち当たった場合再現するのに今回と同じだけの手間が掛かってしまう可能性が高い。なのでなんとか「型」に足す方向の努力で書ききってください。どうしても書ききれなかった場合はうまく書けてないなと思いながら推敲を放棄して投げやりにアップするか、いっそお蔵入りにするのが個人的にはオススメです。経験上、変に「型」を外して書いた気になるのが一番悪い。

このようなことを繰り返していると自分の「型」が発展していくのが少しずつ実感できるんじゃねぇかなと思います。要するにスタート時点の「型」だけでは対応できなかった際に何かしらを足して乗り切ろうとするわけなんですけれども、その「足してるもの」の中でも使用頻度が高いものとか使い勝手よく感じるものとか逆にあの話を書こうとした時以外で使ったことないなみたいなものとか色々出てくるわけです。一つこれ絶対に信じていいよというものを僕から皆様にお伝えしたいのですが人間は全体的に何もかもをナメきっている怠惰丸出しの生き物ですのでラクができる技術というものはもうこれ絶対に身体が勝手にどんどん取り入れます。「型」を守りながら四苦八苦して手に入れた技術は必ずやその身体に染み込み今後あなたが苦しまずに書くための助力となることでしょう。

後はなんかそれの繰り返しです。どこまでが「型」でどこまでが自分に選択可能な技術的な部分なのかはなかなか見極めが難しいところではあるのですが都度都度自分の中で相談しつつ、苦もなく対応可能な書ける領域というものを広げていけばいいのではないでしょうか。また、それを意識できるようになった頃には「今まで自分がこれを型にしていたのはたぶんここらへんのニュアンスを一番大事にしたいと思っていた結果であって、だとするならばここの部分は今まで型だと思って厳守していたけれどもこういう崩し方であれば型を破っても本当に大事なニュアンスの部分は維持できるのではないか」とか考えられるようになる気もします。たぶん「守破離」という古武術?か何かの概念を無意識にチョイスして下敷きにしてこういうような内容になったのかなと思ってよくよく考えるとこの段階で「破」の部分まで到達してるような気もするのでもうちょっと頑張れば「離」のところまでまるっと綺麗に言い切れるような気がしないでもないのですが自分自身「離」に到達できているような気がまったくしないので無理はしないでやめておきます。

大体以上になるのですが、あのーすごく言い難いんですけど、書いてる最中の割と手前のほうでぶっちゃけ気付いてたんですけど一つ大嘘こいてる部分がありまして、たぶんこの一連の流れで使ってる「型」みたいなものって絶対一言では言えないよね。なんかこう、一言では言い表せないというかいくら言葉を尽くしても決してしっくりはこないけど、自分の中でここはこういう書き方じゃないとしっくりこないんだみたいな、こういう書き方は気持ち悪いからヤダな、ガラじゃないな、みたいな。たぶんそういうのが「型」になっていくんだと思うんですけど、そうなってくると今までの話って全部「安易に不本意な逃げを打たずに頑張っていっぱい書け」しか言ってないってことになるじゃん。糞じゃん。って気付いたのが今。まさに今。3500字経た今。でも俺の中では書いててしっくりきてこれからはもっと効率的な筋トレが出来るような期待感を実感込みこみで得られることができたのでは俺的にはオッケーです。以上です。