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「秒速5センチメートル」とかいうポルノアニメを観ました

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

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えーと、なんか嫁が「そういえば観てないから観たい」とか言ってて、なんかまぁまぁオタクの教養的な、2年の1学期で習うみたいな作品とのことでとりあえずTSUTAYAで借りてきて観ました。観始めて5分から「あ、これあかんぞ」と思いつつ「でも観ないことには、とりあえず観ないことには」と頑張って最後まで観たのでこれで何のうしろめたさもなくdisれてご飯がうまい。

直感的になされたこの作品に対する僕の最初の言語化は、「あ、これポルノや」でした。

ここで僕が使った「ポルノ」という単語なんですが、そんな狭義的な手放しに共有可能な辞書に載ってるニュアンスよりはもう少し広いと思われますのでまずはそこをちゃんと書いておきましょう。僕があひる口で言うポルノというやつは、「現実の僕らの振る舞いに影響を与えかねない、人間が本来備える欲望をよく満たしてくれるフィクション」でございます。まー例えばAVなんかが典型ですよね。AVはどうしようもなくフィクションであるわけなんですけれども、何せ僕らはこの世に身体一つで生まれてその時を迎えるその瞬間までセックスとかどうやったらいいのか知らずに生きるわけじゃないですか、ティッシュとか何箱くらい用意しておけばいいのかなぁ?とかそういうレベルなわけで不安で不安で藁にもすがりたい童貞と処女が今日もこの空の下に蠢いています。そこで出てくるのがポルノです。ポルノはフィクションとして性欲を刺激するためのフィクションとしては大変優秀でございますが、それをそのまま参考にするのが僕とあなたの健康ラブラブセックスライフに有用なのかというとそれはどうなんだろうという趣がまず一つあります。しかし同時にAVでの所作が共通認識となって、AVみたいなセックスでコミュニケーションを遣り繰りする人々というのもまるで全然いる美しい国日本という側面も恐らく確実に存在するでしょう。いや、見たり聞いたり確認したりはそんなにしてないので僕の想像上の話といえばそうなんですけど。何せ見せてくれないでしょ?見せてくれるなら全然見るけどさ。ゼロから構築するのがめんどくさいからフィクションでも構わないから共通タームをそのままに流用してしまう、というそういう僕らのサボり癖を僕は日々苦々しく感じています。

で、そんなことを考える僕にとってこの「秒速5センチメートル」という作品は本来糞めんどくさい恋愛のあり方を無理やりに分かりやすく規定してその運動力学を現実にも適用させかねないエネルギーをもって描く優秀なポルノ作品なんじゃねぇかなと思ったわけです。AVがひたすらに気持ちよさそうに描写されるように、この作品もことさらに美しく描写しようとしているので、より一層そのノリを強く感じます。

まぁ、まず言いたいのは、「とりあえず本当にこれに類似した経験があるやつは手をあげなさい」ってことなんですよね。おるんか、おるんかいなと思います。そしてそんな経験がなくて「わかるわ~」とか「俺もこういう恋愛したいわ~」とか抜かす奴は「AVみたいなセックスしたい」と公言してるレベルで気持ち悪いということをまずは自覚して欲しい。次に、「類似した経験あるんで余裕で共感できます」という人、そういう人がいるのであれば「え、そのうえでこれをどう褒めるの?」ということです。それを糧に今はより良い恋愛ができるようにPDCAサイクル回してんの?ということです。「子ども叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道」なんて言葉はありまさあが、その許容してあげる心持は他者に向けるものであって自分に引き付けるのはそんなにいいもんじゃねぇなと僕は思います。ああいう頭でっかちで一事が万事みたいなテンションで恋愛をやらかしてしまうということは別に若いとき往々にしてありますし、そういう思い出を抱えて生きることは決して悪いことではないんですけれども、その思い出はいつだって視界に入る部屋の一番目立つところにでんと置いて埃なんぞ被らないように日ごろから丹念に手入れするような、そういうもんでは決してないだろって話なんです。ああいう恋の苦味を知ってるならそんな手放しに好き作品には挙げられないでしょ。だって徹底して苦味を濾過してんだから、肝心なところがないんだから。

さて、一通りこの映画が好きな人を読めばあらゆるパターンのこの映画好きな人が「なんでそこまで言われなあかんねん」と思う程度に書き散らしたところで、結局何をそんなに腹立ててんねんっていう根っこのところなんですけれども、僕から見えたこの作品ってそれぞれのシーンで見ればそれなりにリアリティがある風に見えるんですけれども全体を通して考えてみると徹頭徹尾大嘘つきだろうがってとこなんですね。始まりから終わりにかけてでいうと10年くらいの月日が流れてるわけなんですけれども、その月日をあの2,3のエピソードで統括して10年来の恋が果てたみたいな風に締めくくるわけなんですけれども、そんな人生における恋愛のウェイトが高いわけがないだろうと思うわけで、そこを過剰な演出・ご都合主義的な編集において美化するのがすっげぇ気に食わない。例えば僕は嫁さんを愛してて出会ってから死ぬまでの未来までずっと好きなんですけれども、そのずっとは四六時中好きで嫁さんのことをずっと考えているってことではないですよね。生活ってそういうもんじゃないじゃないですか。電車でパイオツカイデーのお姉さんを見つけてその女性に「パイオツ姉さん」という呼称を与えるとき、僕の頭の中にその瞬間嫁さんなんてどこにもいないんです。名づけ終わって鼻の下を伸ばしたその後に「パイオツ姉さんのことを帰ったら嫁に話してやろう」と思った瞬間に久方ぶりに僕の頭の中に嫁さんは登場するのです。もちろん人生のある期間において、繰り返しの言い回しになりますがある女性のことを思い一事が万事の調子になることはありえます。でもそれってそんな長く続かない、生きることってのはそういうことではない。それをやり続けるような素晴らしく愛に溢れ愛に生きる人生っていうのは存在しうるのかもしれませんが並大抵の根性で成し遂げられるものではないはずです。それを10年前に初めて出会った彼女への恋に破れ負け落ちた時、「僕は10年間成し遂げてましたけど」と言い張り美化する振る舞いは本人にとってはあまりに容易いのかもしれませんが客観的な強度はまるで無くただの大嘘つきにしか僕には見えません。作中どこかで主人公が犬のうんこでも踏めば俺はまだ彼の心中に思いを馳せれたのかもしれませんが徹頭徹尾恋愛を美化するこの作品の調子は、俺にはただのキモち悪い妄想乙としか思えませんでした。

宣伝みたいで悪いんですけど、ちょっと前に棚橋さんとかいうの書いたんですけど、もちろんわざわざ書いて公開してる以上面白いと思って書いてたんですけど、そう考えるとたぶんほんとに僕が抱きしめたいものと真逆をいってるんだろうな。単純に。

まー、絵はすごいキレイだし、音もいいよねー。そういうところでリアリティを稼いで、なんかみんな馬鹿みたいなすげぇポエミーなこと言うでしょ?共感か憧れか何なのかは知らないですけど、あれを一種の理想のロールモデルにしちゃう層が出てくるのは仕方ないと思いますよ。それを踏まえてコメントしようとなると、やっぱ優秀なポルノとか、そういう言い方なっちゃいますねー。

俺は大嫌いだ、というのは間違いないところで、テキトーになんかうまいこと書くだろと思って書き始めたら思いのほか腹が立ってたようで筆が荒れてる手触りは実感しておりますが、概ねの感想としてはここまでに書いたとおりです。あと、風景とかの書き込みや描写が異常に写実的なのに人物の造形だけこんだけデフォルトされてるのもまぁ狙いがわかるっちゃわかるんだけど気に食わねぇみたいな文句を言ってた時に嫁が返した「水木しげるの影響ちゃうん?」ってのが面白かったです。以上です。