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「ネットがおっかない話」をネットでするのは難しい

エンブレム取り下げをきっかけに「ネットの影響力」についていっぺん考えようやみたいな話が盛り上がってるような盛り上がってないようなで、僕も昨日だったかちょっと書いたんですけど「もう一回ちゃんと書こう」と思ったのでもう一回書きます(最初からちゃんと書けよ)。

前回の自分のエントリでも引いてたシロクマ先生のエントリの追記的なやつなんですが、僕もついつい何かに引っ張られて前回は「そうは言ってもさぁ」みたいな感じで喋っちゃってたんですけど、この追記も併せて読んで気付いたのはとりあえず色々枝葉や扇情的な修辞はあるものの結局この文章の言ってるところって「おっかなくないですか?俺はおっかねえ」の一言に尽きるんだって思ったんですね。で、「おっかないですよね?」という問いかけであれば本音で言えばみんな「そうだね」ってなるはずだと思うんですよ。おっかないかおっかなくないかで言うとそりゃあ、おっかねえ。でも、「おっかない派」が賛成多数になったら「じゃあおっかないのは止めにしましょう」ってなるかって言ったらならないじゃないですか。「そうだね」と言ったっておっかなさは何一つ解消されないわけでそうなるともう「そうは言ってもさぁ」の一つも言いたくなるよね、おっかないからこそ。一連のエントリにコメントが殺到するのも結局そういうことなんじゃねえかなと思い至りました。

ので、おっかねえ中どうすりゃいいのか、とりあえず俺はこうしていきます、って話をします。規制だとかシステムの面から制御だとか逮捕だ逮捕だ全員しょっ引けみたいな話は今回は全部置いといて個々人の気の持ちようの話に留めます。

前回自分のエントリについてたコメントの中で僕が一番なるへそなと思ったのは「これは新しい公害なんだなと思う」みたいなコメントで、僕もまあ、そうなんだと思うんです。じゃあこの公害にどう立ち向かおうかっていうと公害を説得することだけではないと思うんです。それも必要かもしれませんけど、それよりもっと公害の被害を受けるかもしれない人間の側に公害対策を啓蒙する方が大事だと思うんですよ。それは前回も触れてた通りです。またこれは別に「対策しときゃ大丈夫だ、対策してない愚か者だけがひどい目に合うんだ」と盲信してるわけでは別にないです。

と、ここまで書いていて気付いたんですが、シロクマさんのエントリを僕はどういうわけか「公害を説得しようとしている」ように読んでいた節がある。でもよくよく読み直すとシロクマさんの言ってることは「おっかねえ」ってだけの話で、別に説得はしていない。でも説得してるように(されているように)見えた。ので、説得しても仕方ねえよと前回喋った。これは何なんだろうと思ったんですけど、単純にあの文章がインターネット経由で読まれてるからってのもでかい気がしてきた。

厄介なのはこのインターネットが生身の人間を殴るのに強すぎるしなんか流れでタコ殴りにオーバーキルしちゃうししかも殴る相手完全に間違ってる時もあるみたいな話、加害者である自分と被害者になるかもしれない自分の両方を意識しなくちゃならんわけですけれども、どうしてもインターネットでその話をされてもそれを読んでいるのはインターネットにいる自分なのでどちらかというと加害者としての自分を取沙汰されているように思われ、脊髄から来る反発を招きやすいという側面もあると思うんですね。

あと、避難訓練って平時の時にやるから意味があるわけじゃないですか、緊急時にやる避難訓練ってそれただのぶっつけ本番じゃないですか。遠足で歩く際の注意事項って、遠足が始まる前にしっかり教えるべきじゃないですか。遠足の真っ最中にいきなり注意を始めたって「押すなよ絶対に押すなよ」にしかならないじゃないですか。こう考えた時にネット上って平時じゃなくて緊急時だし、教室じゃなくて遠足の真っ最中だと思うんですよ。もちろん、そこに教師と生徒とかの明確な上下関係があればぶっつけ本番の現地での忠告も機能するかもしれないですけど、実名も顕名も匿名もみんな一律に自由に喋れるインターネットでは教師不在の全員生徒じゃないですか。そこで誰かが「押すなよ絶対に押すなよ」って言ったってみんなはしゃいでますから「お前もさっき押してたよな?押してないと言えるか?つまりそれは押せってことだよな」って流れにどうしてもなっちゃうわけです。

であれば、当たり前すぎて面白くもなんともない結論になりますが、ネットじゃない場所で「ネットって怖いね、気をつけようね」って話を各自した方が色々受け入れやすいんじゃねえかと思うんですよね。

また、シロクマさんは「居酒屋や床屋でするならいいけどさ」みたいな言い方をされてるわけですけど、俺がむしろ本当におっかないと思うのは本来居酒屋や床屋でされてたような話がネットに放流されて合流して巨大になってトグロを巻いて、パンパンに膨れ上がったそれがまた居酒屋や床屋といったリアルに逆流してくることが一番おっかねえなと思うんですよ。そしてそれは例えばヘイトスピーチとかあそこらへんのところで既に現実のものとなってきている。今後この流れが色んな界隈で当たり前になるのがおっかねえ。幸いにも日本人にはヨソとウチという文化がありますから、別に両方の顔を持つのは仕方ないと思うんです、いやネットだったら何言ってもいいってわけじゃねえですけど、そのノリをリアルでも同じように発揮していいわけないんだかんね、みたいなそういう当たり前のことが当たり前の空気であって欲しいなと思う。どっちがヨソでどっちがウチかはもうよくわかんねえですけど、とりあえずは本音と建前でもいいですから、リアルでは「ネット怖いねヤバいね」って話を、家族としよう。家族て!みたいな、ほんまにネットが普及してきた今だからこそそんなことを思うんですよね。

公害だって言い方と併せて、加害者にも被害者にもなりうるって性質を考えると乗用車が増えて交通事故死が増えたみたいな話にも似てますよね。それで言うとネットで「インターネット気を付けましょう!」って言われても、なんか横を走ってる車の運転手が「お前安全運転しろよ」って拡声器で言ってくるみたいな感じでどうしても「は?」ってなりますから、気を付けたほうがいいのは事実であっても「うるせえな、余計なお世話だてめえこそちゃんと前見て運転しろ」みたいに感じられる部分は出てきちゃいますよね、どういう形であれ並走するドライバー同士で落ち着いて会話をするのって難易度高いじゃないですか。だから一つ上のレイヤーの、共に公道を走る当事者じゃないところから言ってもらった方が受け入れやすいですよね、車で言えば日中のFMラジオとか結構「運転中の方は気をつけてくださいね」みたいなこと言ってくれるじゃないですか、ああいう存在がインターネットにもあるといいんですけどね。例えばあのoffice2010くらいまで存在していたあのイルカがブラウジングしてたら何時間かおきに勝手に表示されて「汚い言葉は使っていませんか?拡散前にネタ元のソースは確認しましたか?今日も安全運転で楽しくインターネットしましょうね」みたいなことを言ってくれればいいんですけど、まぁ今IE使ってるやつどんだけいるんだって話ですね。

まぁインターネット上からもそんなようなことをやりつつ、車危ないよって話は車に乗ってない時にするのと同じように、ネット外のところでスマホを握りしめてない時に手を替え品を替え色んなやり方で地道に「ネットおっかねえ」って話をしていくことが不要なヘマこいて被害者になる人も減らせるし*1ひいてはネット上で加害者に回ってしまう人も減らすことにつながってく地味で根気が必要ですけど一番確実な方法じゃねえかなと思うんですよね。

手を替え品を替えでいうと、昔に『チコタン』って合唱曲がありまして、魚屋の息子である「ぼく」がチコタンにプロポーズするんですけどチコタン魚嫌いやからって喧嘩になってでもチコタンはエビとかタコとか魚以外の魚介類は好きやからそっちで頑張る魚屋になれば大丈夫やから結婚しようみたいな微笑ましい曲なんですけど、微笑ましい曲だと思って聴いてたら突然チコタン交通事故で死んじゃって「ぼく」の「誰や!チコタン殺したん誰や!」という痛切な叫びで終わるっていう恐ろしい歌なんですけど、これは交通事故の恐ろしさを啓蒙するために作られた曲なんですよね。日常の中で当たり前に存在して身近すぎるがゆえに恐ろしさがわかりにくくなってしまってるからこそ、ギリギリまで車の話なんておくびにも出さないことで一瞬で全てを奪ってしまう交通事故の恐ろしさを考えさせるっていう曲なんですけど、当たり前で身近すぎるインターネットもそういう風に考えていかなくちゃならんと思うんですよ。だから現代風にアレンジしてね、ポケモン大好きな「ぼく」が将来僕もポケモンの開発に携わるぞってチコタンにプロポーズするんだけどチコタンは妖怪ウォッチにはまってるから、イナズマイレブンの頃からレベルファイブのファンだから、あれ?チコタンちょっと腐女子入ってない?ってなるんですけど、まるで最初から紅白までという約束だったかのように妖怪ウォッチの潮は引けていったからやっぱ20年の実績があるポケモンだよねみたいな感じで落ち着いて結婚の約束したと思ったら突然に「誰や!チコタンのお兄ちゃんの鼻に松屋の唐辛子を差し込んだん誰や!」てなってそれはたぶんチコタンのお兄ちゃんが自分でやったんだと思うんですけど、果たしてお兄ちゃんだけが悪いのかチコタンのお兄ちゃんも確かに悪いけどチコタンを追い詰めたんは誰や!誰や!誰や!キャプテンオブザシップ、オー!誰や!誰や!誰や!ヨ~ソロ~拳を突き出せ!セイ!セイ!セイ!みたいな、そういう曲を作ったりとか、とにかくネットは便利だけど怖いよねってことを、各自が、ネットから離れてる時間を使って(作って)それぞれの場所で考えていくより仕方ねえよなぁと思っています。10年とか20年とかかけて。以上です。

*1:もちろんヘマこいてないのに完全な悪運で被害者になるケースがあっておっかねえってこともわかったうえでここではこういう言い方しますが