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『がっこうぐらし!』めっちゃ面白い

『がっこうぐらし!』ってアニメがありまして、今僕は2話まで観たんですけど、それがすげえ面白えからお前らも観ろ、普段アニメを観ないやつも試しにいっぺん観ろ、という話をします。で、裸眼で観ろって話をこれからするわけなんですけど(なんでそこ制約を強いちゃうんだよ)、僕がおもしれぇおもしれぇって巻き舌で繰り返すにあたりネタバレなどが出てくるんですね。けど、この作品、この文章を今まさに読んでいる貴方がなんの前情報も持たぬままにこの文章を読んでいる貴方であるならば、せっかくだし、前情報を一切持たぬままに1話を見てみても良いのではないかと思います。ニコニコ動画で無料で一話観れるらしいんで。なので、このアニメの情報を一切知らなくて「過去ズイショさんがおもしれぇおもしれぇって騒いでたやつを振り返るに結構勝率いいな波長合うんだなこれが」という奇特な方がいらっしゃれば、せっかくだし、1話を観てから読んだほうがいいのかもしんない。つまりネタバレ注意エントリであることをここに明記しておきましょう。

そしていつものようにこうして前置きをしつつもいきなりネタバレ本文をスタートしてしまうと望む望まないに関わらず視界に入っちゃうかもしれないじゃないですか、だから全然関係ない話をして行を埋めるっていうのがこのブログのネタバレエントリの通例なんですけど、いやそんな何回もやってたかはわかんないけど少なくとも1回2回はやったことある気がする、しかも俺これやる時、PC表示を想定して「スクロールしないと本文が始まらないように」とか考えてやってますからね、どんだけ埋めなくちゃならねえんだよ。でも最近ビックリしたんですけど、ブログ飯から果てしなく可能な限り遠いこのブログ、今一番プロブロガーに足を向けて寝ているブロガーの俺こと僕ですから、広告もなければカスタマイズ?タグ管理?とか何もやってないんですけど一応いつだったか思い立ってアレだけは導入してるんですよ、なんつたっけ、サイト閲覧者わかるマッシーンみたいなグーグル菊門なんとかみたいなのは導入してるんですけど、滅多に見ないんですけど、先日、半年ぶりとかに覗いたら90%くらいはスマートフォンでブログ読んでるっぽいよ的な意味合いくさい円グラフが表示されていてパソコン屋つぶれるぞ、と心配になった(もっと思うことあるだろ)。

さぁ、そういうわけで概要を説明しますと、まだ2話なんでよくわからんのんですけども、どうもゾンビウイルスにやられて機能が死んでるっぽいゾンビだらけの街がありましてゾンビにならずに何とかかんとか生き延びてる萌えキャラっぽい4人の少女が学校で寝泊まりして頑張って生きるみたいな話なんですけど、主人公の女の子がちょっとやられちゃっててゾンビにやられたわけではなく頭がやられたっぽくて、彼女視点で始まる第1話ではここまで説明したようなゾンビフルな世界観は全くすっかり隠ぺいされて単に学校に寝泊まりして起きたら食事をして授業に参加してと楽しく学校生活を満喫するだけのほのぼの日常系ゆるコメディっぽいぬるい話が展開されてるかと思いきや終盤のところでそんなゆるふわな日常は最早主人公の女の子の頭の中にしかなくってゾンビフルな現実を拒否した主人公が窓ガラスも割れまくった廃墟然とした学校で一人平和な日常を寝ても覚めても見ているだけなんだよっていう飛び道具とか手品みたいな第1話で注目を集めたわけです。わけなんで観てみて「ふーん」と思ってとりあえず2話も見たんですけど、この設定がね、思いのほか良いんですよ。まさか漂流教室の関谷を主役席に配置するだけで、こんなにゾンビ世界並びに日常ゆるふわ世界の輪郭がくっきりと浮かび上がりグッとくるとは思ってもなかったんで僕はのけぞりええ声で「ふゎ~~~」と言いました。

なんかこうみんなの中で、世間的にどういう言い方でどう分類されてるか知らないんですけど、つまり僕の感覚の区分になるんですけど、いわゆる日常崩壊系ってジャンルが物語のパターンの一つとして確立されてますよね。ゾンビ映画なんかその典型ですけど、街や法が何らかの理由で機能しなくなってサバイバルするはめになったり、あと最近多いのは既存の法とは全く違ったルールが支配力を持って機能して人間同士互いの命や尊厳がものすごい軽くなる(しばしばそのルールはゲーム的なものとして描かれる)的なのがすげえ多いですね。山田悠介あたりからドカッと増えたイメージですけど、ここ何年かはマガジンがそういうのすげえ好んでやりたがってる傾向ありますよね。アレが中高生にウケまくるって傾向もなんか気持ち悪いな、あんまり健全じゃないな、という思いがこれ『がっこうぐらし!』全然関係ないそういえば前から思ってた話なんですけど、どういう現代っ子の気分が反映されてああいうのウケてんのかなって思うんですけど。バトルロワイアルみたいな子供が銃火器で殺し合ってる話より、ソーシャルアカウントの運用で騙し合いをやってミスると突然血を吐いて死ぬ話の方がよっぽど気持ち悪いなと思うんですけど、当時バトルロワイアルに怒ってた人らはどこ行ったんだろうってちょっと不思議ですらあるんですよね。それこそそういうのにけしからんという世代は僕らよりもっと上で、彼らにとっては銃火器はリアリティがあるけれどSNSはリアリティがなくてピンとこないってことなのでしょうか。僕個人はなんか気持ち悪いなぁと思うだけでけしからんとまでは全然思わんのですけど、けしからんと怒る人はちゃんと基準をもってけしからんラインに抵触してるものには平等に唾を飛ばして起こり飛ばせよそれがフェアってもんだろと思うんですけど、アレ絶対抵触してると思うんだけどなぁ。話が逸れたんですが、いわゆる日常崩壊系ととりあえず呼んでみますけれども、そういうジャンルというのはそれはもう古今東西枚挙に暇がないんですけれども、そういう世界観の中で描かれるお決まりのパターンっていうのがまたいくつかありまして、まず人間の欲望が剥き出しになるパターンですね。倫理の箍ともみあげが外れてモヒカンヒャッハー暴力最高みたいなのとかあと極限状態だと善人だと思ってた人がころっころ裏切るねみたいなテーマもありがちですよね。で、まぁそれに対して王道展開だと、そういう環境に負けちゃって動物的な振る舞いをする他の奴らに対して最低限の倫理感は持ったまま生き延びようとする主人公とかそんな感じなりますよね。あと、これもやっぱ最近の傾向だと思うんですけど、特にこの倫理観を守ろうとする主人公陣営にもありがちなんですが、ちょっと日常の平和な世界に飽いてたところがあって勿論不要な弱者への暴力は振るいたくないし利己的になりすぎず利他的に振る舞おうとしながらもそういう振る舞いを平和な日常以上に分かりやすく行使できる異常事態にちょっとテンション上がってるところが無きにしも非ずってパターン多いですよね。日常ではヒーローになれないけど非日常では俺にもヒーローになれるチャンスが、みたいなそういう臭いを前面に押し出してガンガン団扇で煽いでくるみたいなの多いですね。「日常で輝けない奴が輝ける」って状況を積極的に作る必要があるから身体が資本のガチンコサバイバルじゃなくてゲームを元にした殺し合いだとか騙し合い化かし合いが絶対的な効力を持つような世界観をお膳立ててやってるのかなぁとも思う。余談になるんですが、いや俺が『がっこうぐらし!』をすげえ推したい理由と完全にリンクしてるので余談じゃないんですけど、実は僕この手の日常崩壊系の話自体は結構好きなんですけど、この「非日常なら俺でもヒーローになれる」系のスメルが香ばしいのって俄然苦手なんですよね。だから(俺の観測範囲では)みんな大好き『アイアムアヒーロー』とかも苦手であんまりマジメに読めないんですけど、結構そういうスメルが最近キツいよねえ生きにくいよねえと思っていたところでの『がっこうぐらし!』ですよ。まだ2話なので今後しんどい展開も勿論出てくるかもしれないんですけど、何はともあれゾンビがいようとモヒカンになるでもなくテンション上げて高揚感でハァハァとゾンビをぶっ倒して回るでもなくどっかにすっ飛んでしまった平和な日常を頭の中に拵えてあの頃のまんまのルールで毎日を生活することを選んだイカレ娘とそんな彼女の異常行動を受け入れながらそれなりに緊張感を持って生存し続けようとする3人の真っ当娘、この作品は僕がなんとなく感じていた日常崩壊系への違和感を代弁してくれたようで俺は胸がすく思いです。

つまり、僕が大事にしたいのは「正直しんどい」ってことなんですよ。そら生きていくためにはアゲアゲでいかなしゃーないってのはわかりますよ。現状に慣れていった方が得だし、むしろちょっと無法者がいた方がテンション上がるし取るべき行動も分かりやすくなるみたいなのも分かるんですけど、死と隣り合わせだから生の尊さも噛み締められるし隣にいてくれる人が愛おしいし骨が軋むほど抱きしめたいしそれがより一層強い力となって何としても生き延びてやるんだみたいな、そういうプラセボ効果が生存確率上げるっていうのはわかるんですけど、「正直しんどい」んですよ。そんなずっと気ぃ張って酔っぱらってらんねえよ。「毎日」って簡単に言うけど「毎日」って「毎日」だからね。長げえんだって、「毎日」。寝て起きる限り「毎日」はずっと続いてくわけだから、そもそも寝て起きなくちゃならん。腹も減る。それはサバイバルは身体が資本なのでまずは健康であることが大事って意味でも勿論あるけれども、それ以上に俺たちは毎日寝たいし食べたいんだよ。休息とか補給とかそういうこっちゃなくて、当たり前に寝たいし食べたいんだ。事実として休まる暇はないし、食料は当たり前に手に入るものじゃないので、尊いには違いないんだけど、それを十二分に噛み締めてテンション上げてこうみたいなノリは「正直しんどい」んだよ、だって「毎日」はずっと続いてくわけだから。ずっとやっていけるちょうどいい「毎日」を僕らは目指さなくちゃならないし、どれだけ非日常を切り盛りしたところで僕らの帰るべき場所はそこにしかないんですよ。どんな状況下でだって、そこを意識しないと駄目で、そこに自然にいられるような関係性を僕と貴方は築いていかなくちゃならんのですよ、昔どおりの日常自体は決して帰ってこないとしても、「毎日」自体は続いていくのだから。映画の『スピード』でね、ラスト1分早くしないと映画が終わっちゃうからと言わんばかりに大急ぎでキスする間抜けなシーンがあるじゃないですか、『スピード2』ではあの二人別れちゃってるわけじゃないですか。実際はサンドラ・ブロックが出演拒否したんだっけ?なんで?キアヌのLINEの俺通信がすごいから?1日20件くらい?兎に角ね、そういう日常に持って帰ってこれない非日常だから成立するような関係性に陶酔するのはもうなんか「正直しんどい」なってのが何となく僕の中にあってですね、『学校ぐらし!』はそういう焼肉しんどいなってなってる俺にうってつけのツルッといける物語なんですね。まぁ2話までしか観てないんでこの後どうなるかわからんのですけどね、どうなってもいいですよ、全員死んでもいいし、誰が発狂してもいいですよ。だって日常に持って帰れるような関係性をそれぞれ自らの意思でしっかりと望みそれを手に入れようといつまでも大事にしようとしている四人であることは既に1話2話で確かに示されましたから。それだけで十分です。それを確かに望んだ彼女たちの物語だというただそれだけの事実が、今後どのルートに入ろうともきっとうまい具合に機能してくれて、手ざわりががっつり感じられるアニメになるのではないかなぁと期待しており、とりあえず最終話まで楽しく見守っていきたいなぁと考えております。以上です。

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