正直者も嘘吐きも、こう言った方が都合が良かろうと自分なりに思ったことしか口にしていないという点で大した違いはない。自分にとって望ましい、こうあるべきだと思ったことを手を替え品を替えどうお伝えしてやろうか言葉にしてやろうかどう態度にしてやろうかどう思い通りの結論に納得させてやろうかと画策した結果、自分が一番適切だと思った言葉を吐いているという点でやってることは全く同じなのだ。真正面から相手をねじ伏せようとする戦士だって、相手を翻弄しようとする魔術師だって、「目の前の相手を動かなくなるまで痛めつけたい」と思って自分にとって最善だと思うやり方を突き通してるだけの話で、「コソコソと小賢しいマネをする戦い方は卑怯だ」と戦士が魔術師を罵倒したところで「俺が叩きのめやすいやり方以外は俺に都合が悪いからやめろ」と言ってるだけに過ぎない。そして、善の心を持つ戦士も、悪の心を持つ戦士も、きっと敵対する魔術師を前にしたら同じようなことを言うと思うので、やっぱり正直な物言いだからと言ってそれ自体が善だとか受け容れられるべきものだとか素晴らしいことだとかなんてことはどうしたってありえない。「正直に忌憚なく思ったところを述べたのだからそれは一つの意見として受け入れろ」と言われたところでそんなもんこっちからすると「今から俺はお前の顔面をぶん殴るので直立不動で立っておいて避けるな」と言われてるのとほとんど変わらないわけで、誰もが各々のフィニッシュブローをばしっと叩きこむためにジャブで牽制したりとかフットワークを使ったりとかまず脚を攻撃して機動力を奪ったりとか別の攻撃を積極的に混ぜてそちらに注意を引きつけたり色々考えて動いてるわけでそんな中で自分だけはそういう工夫をいっさいがっさいすっ飛ばして気持ちよく殴りたいんだと言われたってそんなスクリューパイルドライバーの練習みたいな言い分が通用するのは小学生までですよ。動かない2コンを相手に一生練習していて下さい。なんだか物々しい喩えが続いていて穏やかじゃありませんが、範馬刃牙さんも「相手の嫌がるところを徹底的に攻め続ける格闘と、相手の喜ぶところを徹底的に攻め続けるセックスは表裏一体だ」というようなことを申しておりますので、ここで述べていることも別に相手を議論でボコボコにする時の話に限ったわけでなく、お互いを尊重して妥協点を探したい時にも通じる話だと思います。虚言妄言言い換え閑話休題比喩あるあるレトリック舌足らずな論理等等を駆使してドロドロに溶けた自分の思考を自分なりに述懐した後、最後申し訳なさそうにポツリと言い添えた正直な思いがなんとなく相手に受け入れられた時というのはなかなか気持ちが良いものです。その僕の正直な思いが良いもんか悪いもんかはまた別の話。以上です。