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人が人に教えられることは「俺になれ」「俺になるな」の二つだけ

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しんざきさんのこの記事を読んで、思い出したのが掲題の言葉。これもしんざきさんの場合と同様で、俺の言葉ではなく人から聞いて感銘を受けた言葉です。

ただ、しんざきさんと大きく違うのは、別に俺が師事した人の言葉というわけではなく、ただの気の合う友人から聞いた言葉なんですが、その友人自体はめちゃめちゃ門下生を引き連れて「教えること」を今は知らないけど少なくとも当時は生業にしていた人で、そのうえでの言葉であることと彼の人となりを俺がそれなりに知っていること、そして俺と彼がそれなりに馬の合う仲だったことも踏まえて、割と俺の胸に刺さり、今も心掛けている言葉になってるんですが、さてもさても、ややこしいのは、この掲題の言葉を発したその人間の生業というのは、めんどくさいことに「ナンパ師(女性とのコミュニケーションにコンプレックスを持って門を叩く人にカネを貰ってナンパのやり方を教える、自身もナンパをしまくる人)」だったのです。

しんざきさんの語る「再現性」って、つまり「非属人性」って言い換えることは完全なイコールじゃないにせよ、ニアリイコールに言い換えることができんのかな?て読んでて思ったんですけど、じゃあその「非属人性」って本当にそんなものこの人間社会において本当の意味で存在するの?みたいなことを思って、で、その時に思い出したのがそのナンパ師の人です。

特に彼が教えてる領域というのは「ナンパ」つまりは、コミュニケーション全般で、その領域については常に「他者」が介在するのが当たり前すぎる大前提の世界なので、変数が馬鹿ほどばら撒かれてるのが大前提な世界なわけですね。

で、ナンパ師界隈やら恋愛工学界隈においても、そういうものを定量的に判断できるようにしようという考え方は当然あります。

一番わかりやすくてアレなケースで言えば「女はこういうもん」と決めつけて動き方を構築して、その動き方がハマる相手を狙っていくみたいなやり方。で、それをもうちょっと細分化しようと思ったら、女をいくつかのタイプに類型化してラベリングして「こういうタイプには、こういう対応」みたいな、そういう100%の成功率にはならないけれどもできるだけヤレる率の高いセオリーを組み立てていく、みたいな形になっていきます。はてなに長くいる方々はもしかするとご存知かもしれない鼻白まずにはいられない臭せえ臭せえ界隈かもしれませんが、そういう界隈が現に存在していて、こういう考え方の筋道で生まれるノウハウを人から学ぶにせよ天然で自学自習で習得するにせよ実際に活用してワンナイトラブを決め込む人種が港区に限らず全国に存在していること自体は肯定否定は別として、皆様も眉を顰めながら認識しているところなのではないかと思います。

で、前段でお話したこれらのノウハウなんですけど、「再現性をどう担保するか」「属人性を排除して、誰でも同じようにやったら同じような確率で成功できますよ、を考える」という体において、しんざきさんのしている「成功体験の棚卸し」という話とあまり変わらないように僕には感じられます。

ナンパ師のそういう数を稼ぐムーヴについて、まぁ世の中の大半の人は「それってどうなの?」「悪いことじゃないの?」「そんなことをしても人を傷つけるだけだし自分も本当の意味で幸せにはなれないのではないの?」と感じるところだと思います。僕もそう思います。イエス、アイアグリー。名古屋の署名の件は、本当に申し訳ありませんでした!!いや、今、「イエス」って言った手前、勢いで謝ってしまったけど、あの件は俺、なんの関係もねえわ。

で、なんだっけ、そうだ、そんな感じでナンパ師指南だとか恋愛工学の理論が方々で構築されていってる中で、そのナンパ師の人が言ってたのがそれなんですよ。

 

人が人に教えられることは二つだけ、「俺になれ」と「俺になるな」。

 

まあ、つまり、しんざきさんの文脈を都合よく拝借して解釈するのであれば、本当に相手のことを大事に思うのであれば都合良く自分の成功体験を棚卸しできるなんて自惚れることなく、その二つのどちらを教えるかだけでやり繰りしろ、それが誠実だ、て話なのかなと当時も今も俺はそう解釈しています。

難しいのは、これだけ聞くと「お前は俺にはなれない、俺になれるお前を目指せ」「お前なら俺になれる、死ぬほど努力して俺になれ」みたいなことなの?みたいな誤解を生みやすそうなところだと思うんですけど。

僕も、ヤリチンナンパ師から受け取った言葉を真に受けて何も考えず運用するほどアホじゃないのでよくよく考えながら自分の人生において運用するよう考えてはいるんですが、「俺になるな!」とアドバイスを求めてくる他人に言う時は、だいたい自分の成功体験とワンセットです。「俺はこういう風な流れでいい感じに収めた、でもそれは俺が俺だからできたことで、お前にできるとは到底思えない。お前にできるとは思えない。お前は別のやり方を探す必要があると思う、とりあえず俺の成功体験はそんな感じ」くらいの感じ。「俺になれ!」とアドバイスを求めてきた他人に言う時はだいたい自分の失敗体験とワンセットかもしれない。「状況的にかなり悪いからどうしてもうまい成功体験は得られないだろう、しかし、その後の糧になって今の俺があるので、ここでどうせ成功体験は得られないだろうしと消極的に撤退するよりかはしんどいかもしれないけど突っ込んでみるのも一つアリかもしれない、そこでお前が得られるものは俺が得たものとは勿論違うだろうけど」みたいな調子だろうか。どちらも、雑で極端な一例には過ぎないのかもしれないが。

あ、ちなみに全部、主には仕事の話ですよ。俺はナンパ師ではないんで。

 

つまり、非属人化とか再現性とかを観点にしんざきさんの組み立てる論理はそれはそれでわかるのだが、「棚卸し」ってそんなに簡単に人間にできるのかなぁ?という疑問に立ち戻った時に、下の人間に確実にそのまま継承できる何かがありえる機会って、それこそゼロじゃない?と思うところがあって。ゼロとは言わないけど、再現性はないんじゃないの?と思って。

「自分がなんらかの経験からポジティブなりネガティヴなりの何かを得た」を語って、そのうえで「俺になれ」「俺になるな」のどちらかを言うのが他人にできるせいぜいなんじゃないかなー、みたいな。自分の頭で考えようみたいな言葉もなんか寒い言葉の扱いになってますけど、他人は思い通りにならないし、その中で他人とやっていくしかないよねーて考える時に、俺はこの「俺になれ」「俺になるな」の2つで悩む態度こそが誠実だと思うし、そうじゃなくて「棚卸し」を考える態度は「俺になれ」一辺倒な感じもしてなんか嫌で、まー人は育たなくて俺が良ければそれでいいんだけどさと思いつつ、悩ましく思うのであった。

これたぶんあんまうまく書けてねえな、これが今日の俺の調子だから仕方ないか。えーと、俺になるな。

以上です。