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悪い芝居「春よ行くな」を観劇してきました。

えーととりあえず何も考えず書きます。たぶんぐちゃぐちゃになります。

悪い芝居という劇団がありましてかれこれ5年か6年熱心に足を運んでいるんですが、いや結婚準備の時期とかまるまる1年以上サボってたりとかしましたけど、今日見てきた第15回公演「春よ行くな」がとてもとても素晴らしい作品で、僕はほとんど腰を抜かしてしまいました。明日は腰のおじさんを家まで呼びつけてちょっといい腰に交換してもらおうかと考えています。奮発して真珠入りの腰にしようかなとすら思っています。

「何が言いたいか本当に言えるなら苦労しねぇんだよ」という言えっこねぇ気持ちをいかに言ってやって癒えてやろうかという野心なのかただの寂しん坊なのか分からない心持というものがどうも僕の中にはあるようでそれはそれでどうにかしてやろうと思うと同時に果たしてそんな気持ちは俺だけなのかそれはちょっと俺だけ大変すぎるからご免なんだけれどもお前ら実際どうなんだという確認作業を並行して実施しようと生きながらえてみたところ他人の考えてることはよくわからんという事実だけが週7で積み重なっていく毎日ですが、悪い芝居はそんな自分の連敗記録が何でもなく思えるようなド派手な負け戦を毎度毎度繰り広げて血まみれで「分かりあえねぇ」と叫んでくれるので見に行くといつも悪くない気分にさせられるわけです。そんな悪い芝居が今回とうとう遂に、その言えっこねぇ何かを言ってしまったようなところがありまして、少なくとも俺は何だか受け取ったような気になって、それはこれまでの悪い芝居の集大成とも言えるかもしれませんしやっとこさ何かをポロッと言えただけの一里塚に過ぎないのかもしれません。それを目撃した僕は何かを言わなくてはなりませんが、「あれはつまりこーだよね」とか「あそこはこーいうことだよね」などと言ってしまっては忽ちにニョキニョキとビルディングが生えるやいなや僕が見たはずの一番星はまるで無かったかのようなうっす暗い夜空の下に僕は生きるはめとなってしまうでしょう。だから積極的に作品の内部をわかってやろうとは思わずに何か今思いついたことを疲れてご飯を食べたくなるまでの間テキトーに書こうと思います。つまりいつもどおりです。

今回、本当にびっくりしたのはたまに見かける演劇とか映画なんかでの感想「何度も叫びそうになりました」「見るのが辛くて途中で席を立とうかと思いました」みたいなの、僕はこれまでそういった感想を完全に「何言ってんだこいつ」の顔で眺めていましたしそんな僕の「何言ってんだこいつ」の顔は鼻と喉の合流地点近くになぜか異常にカッサカサの鼻くそが誕生してしまったので鼻のつぶれた犬種みたいな音を喉から鳴らしたい時の顔とほぼほぼ同じです。そんな僕が今回は馬鹿にしていたはずのそれに近いような感覚に観劇中何度か陥ったのでとてもビックリしました。具体的に言うとすごく舞台上に乱入したくなりました。独り身だったらやってたかもしれない(結婚できて良かったな)。舞台上に見受けられたのは、本当に僕らがいつもやっていることで、つまりは分かりあえっこないのに分かりあおうとする不毛なやりとりで、僕らはそのような不毛なやりとりを時には泣きながらやったり笑いながらやったり相手を支配してやろうと思いながらやったり相手に受け入れてほしいと思いながらやったり、それはもうその時々でやり方はてんでバラバラではありますが、そう、いつだって。いつだって僕らは分かって欲しいエゴイスティックな気持ちを一塁ランナーなんて気にも留めず大きく振りかぶってぶん投げあっているのです。分かり合いたい僕らにとって不合理極まりなく分かり合えないこの世界は本当に空虚で残酷であるという事実を舞台上で繰り広げられるコミュニケーションは僕に突きつけました。それを見て僕は最初、そんなこと別に知っていたのでニヤニヤしながら見ていました。「あーあるよねこういうやりとりあるある」みたいなもんです。しかし次第に僕は、その舞台上で繰り広げられるあまりに空虚で残酷でやりきれない僕らが普段日常でやっているのと寸分違わぬ不毛なやりとりを見ていられなくなって、いっそのこと自分もそのそのやりとりに参加してしまいたくなってしまったのです。

聞きかじった話によると、「笑えるもの」の条件として「安全であること」は重要という話があります。ちょっと悲しかったり不幸だったりするもので笑ってしまうことと言うのは常日頃お前らあるだろ正座しろという例は枚挙に暇がないですが、結局自分自身は関係ない第三者の出来事で他人事で自分は安全という距離感がそういうのを笑うときには必要な条件だというのはなるほど感がすごくあり良いですし、かなりヤバい状況になった時何だか笑えてくるというのも何だかヤバすぎて現実感がなくなって他人事に思えてきたようなもうどうにでもなあれ感によるものだと説明してしまえば確かにそうかもなと思えます。しかしそれとは全く逆の現象もあるのだなということを舞台に乱入してやりたくなった僕は痛感したのでした。分かり合えっこないことなんて分かっててやってるよという僕たちは、分かり合えないながらも分かり合おうとしているからこそその惨めな現実に耐えられる、どうにもならない負け戦をただ傍観しているのは辛い、という話です。舞台上のうまくいかない人たちに僕なんかが混ざったところで、何かが解決できたり誰と誰とが分かり合えるみたいな虫の良いコロコロコミックになることなんかありえるはずでもないですが、このままどうせうまくいかないくらいなら俺だって何か言いたいぞこの野郎という感覚。僕らはどうしようもなく孤独でどうしようもないぞという趣旨の玉音放送が24時間365日年中無休で鳴り響くこの世界においてそれでも僕や貴方が何とかへこたれずに毎日汗を拭っていられるのは、他でもない僕や貴方こそが孤独の当事者だからなのではないでしょうか。客席から一歩も動けず、分かり合えない世界の第三者となった僕は、本当に絶望的な孤独を噛み締め涙しながら舞台上の分かり合えない世界を最後まで見守りました。

そして客席を立った僕は第三者から開放され、孤独の当事者に戻りおおせることとなりました。お招き頂きありがとうございました。そして俺は明日からまたこの分かり合えない世界でどうしていけばいいのだろうということを、それはとても幸せなことであるのだなという手触りを感じながらではありますが、そういうことを考えながら生きていくのでしょう。この絶望的な世界は当事者である限りにまだまだ生っちょろくて優しいという確かな質感を、どうもありがとうございました。

以上が、悪い芝居第15回公演「春よ行くな」を見ていて聴こえたような気がする「おーい」に対する僕の「おーい」を内在するなんか読みにくい文章になります。本当にとても素晴らしい観劇体験で、もしも「自分が面白くてどうしても感想を言い合いたいから感想を言い合いたいやつを縛り付けてでも無理やり見せる権」を人生で一度だけ強制執行することができるのであれば、僕は迷わずこの作品に使います。もしもこれを読んで興味を覚えた方がおりましたら是非とも劇場まで足をお運び下さいまし次第で俺が責任を持ってお前の感想を根堀り葉掘りケツの毛を毟り取る勢いで御うかがい致します。大阪は8月27日(火)まで、東京は9月11日(水)~9月17日(火) の日程にて全力で春を呼び止めるとのことです。どうぞよろしくお願いします。

 

悪い芝居vol.15『春よ行くな』

 

春よ行くなと叫ぶときには

もう春は行ってしまっている

 

http://waruishibai.jp/864197/ticketguide.html

 

 

 

 

 

 こっからは芝居そのものとは関係ない余談になるけど何となく同一エントリにまとめとくかと何となく思ったので、普段は使わない大きな改行をとったうえパラグラフの文頭まで一字下げましたが(普段からやれよ馬鹿かよ)分かり合えないし他人への働きかけがうまくいかないという孤独にどうファイティングポーズをとってやろうかというクエスチョン男爵人形へのアンサーくん人形は、僕自身は最近ちょうど考えていたところで、僕は本官さんになりたいんだななどとボンヤリと考えていた。あのバカボンのまゆげつながってる本官さん。言いたいことなんて言えっこないから言いたいことなんてないよと言葉をさんざっぱら馬鹿にして、意味の無い文字列だと言い張って何の思い入れもない思いの丈を思いつくまま日々量産している僕ですが、僕は取り急ぎそういう人になりたい。それは僕がいくら書き散らしたところで僕の意思と行動をもってなれるものではなくて、「あいつまた何か言ってるよ」と流し目で僕を馬鹿にする貴方がいてこそ、僕はそういう人に初めてなれるのだ。言いたいことはそういう「俺がいるよ」というそのことだけで、だけど「俺がいるよ」と言ってしまった瞬間に俺は「俺がいるよと言いたい俺」になってしまって本当の俺はビルディングとビルディングの隙間に消えていってしまう。なので「俺がいるよ」なんてことは口が裂けても言っちゃあいけない、花が咲いたのを見た俺は「花が咲いたよ」と言うほかなく、その場その場で思ったことを言い続けるしかない。それをただ繰り返しているうちに「なんかいっつもピストル撃ってる人」と同じように「なんかいっつも言ってる人」になった時、僕は貴方に本当に言いたい何かをお届けできるのではないかなと考えています。かつて僕を好きでいた人、憎んでいた人、気にもとめなかった人、なんかいるなくらいには思っていた人、俺を忘れた人、あの頃の俺を覚えている人、今の俺を想像する人、今も毎日会う人、たまに会う人、会わない人、会いたくもない人、そして未だ出会わぬ人々、そのすべてに俺がしてやれることはなんとたった一つだけでめちゃめちゃコスパ良いじゃん、それはとりあえず何も考えずピストルを撃ちまくる。そして会ったその瞬間もやっぱり撃ちまくっている。僕はそういう奴でいたいなと思うので、ただピストルを撃ち続けることだけで、俺が貴方と出会う準備は100年先まで万端です。

なじめないとき、どう生きるか・001

http://pyonki.hateblo.jp/entry/2013/08/22/130327

僕は、弱い。

http://inujin.hatenablog.com/entry/2013/08/23/024647

ここらへんを読んで、そんなことを考えていたのが、なんか今日見たお芝居で実感をもって「うん、俺やっぱ間違ってない。間違ってないからなんかくれ。猫飼いたいから家をくれ。にゃ~ん。」そう強く思ったのでした。以上です。

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