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悪い芝居「春よ行くな」をまだ引きずっています

2日前に観劇した「春よ行くな」という芝居をどうしてくれようか、まだ引きずっています。引きずってはいるのですが前回書いたことからあまり何がどう深まったというものでもないので参ります。

何年前だったか同じく悪い芝居という劇団の「団欒シューハーリー」というお芝居を観に行きました。当時も感想をブログに書いてたような気がするのですが、どこのブログで書いてたのかよくわからないのでどうしようもないんですが。

そのお芝居は家屋の隅っこに僕らが座る客席があって、普通の日本家屋の居間で行われる一風変わった家族劇でその登場人物が属する家庭はなんとも歪ではありますが彼らが歪なりに家族になっていくまでを描いたおおむねハッピーエンド感のある作品でした。開演前、部屋中に記号となるような小道具をぶち撒けて毒々しい照明に彩られ混沌そのものであったその空間がストーリーが進行するにつれて生理整頓され、窓を開かれれば自然光に晒され、最後には家族へと成長しつつある登場人物によってすべてキレイさっぱり片付けられてしまい本当にタダの普通の家になってしまうその光景は、僕の目に確かなリアリティをもった再生の物語として映りましたが、僕はそれに痛く心を洗われるのと同時に「ならば僕らがわざわざ芝居小屋に出向いて芝居を作る・見る理由は何なのであろうか」ということを強く疑問に思ったことを覚えています。実際の生活空間での芝居がこんなにも力強く僕らの心に呼びかけるのであれば、僕らが劇場という空虚な場所で虚構を繰り広げるために四苦八苦する必要は一体何なのだろうか。以来持ち続けていたこの問題に、今回の「春よ行くな」は一つの明確なアンサーをくれたような気がします。

とりわけ自分はこのブログも含め「表現する」「他者に働きかける」ということに一定以上の思いいれがあるぞというちっぽけな自負があり、また一時期は芝居作りの当事者になっていたという過去もあるわけですが、そういうことをどうやってやろうかということを考えるとしばしば人は自家中毒に陥るという傾向がどうしてもあるように思えます。分かってもらいたい、分からせてやりたい、啓蒙してやりたい、ぶん殴ってやりたい、気付かせてやりたい、そういった思いの全ては自分のエゴに過ぎないのですがそれに気付かないうちはまだ楽なものでそういったエゴに自覚的になってしまうと今度は自分の「分からせてやりたい」を何とか自分自身で肯定するために「俺だけは何としてでも考え抜いてまずは俺だけでも分かってやろうじゃないか」という気分になってきます。甚だ愚かではありますが、それが僕に出来る精一杯の誠実です。そして僕がそんなことをしているのだから、誰でもそうなのであろうという僕得意の逃げの一手をもってして、僕にとって劇場とはそのような自家中毒の集まる場所という側面がずっとそして今もあるように思います。果たしてそれに何の意味があるのか?「だってそうするほかないのだから」という理由で僕はこの疑問の氷解をひとまず目指さないまま今出来る限りのしょうもないことを言い続けているにすぎません。

そんな中で先日観た「春よ行くな」です。結局人はわかりあえない、いくら考えいくらわかりあえなさに辟易してハラワタ煮えくり返って苦しんで思いやろうとして悩みぬいたところで、わかりあえることはない。しかしそのことに自覚的で何とかしてやろうと思っていることくらいはお互いに察することができる。見てとれる。そしてそれに何も応えられないのはあんなにも辛い。それが分かっただけで充分じゃないか、さぁ人に会いに行こう。そしてまた、分かりあえないことを忘れてしまった時、許せなくなった時、辛くなった時、分かりあえない人にそれでも触れられる喜びを確認するために決して触れられない第四の壁の向こうの虚構に会いに行こう。劇場というのはそんなような場所でいいんじゃねぇのかな、とそんなことを思いました。多くは語りませんが芝居のラストシーンで僕たちに向けられた「何してんの?」、あれがやっぱりすべてなんだなと思います。やっぱり芝居なんてやつはある種の自家中毒で僕は苦しんでいる気でいますが傍から見たらただの「何してんの?」なんだろう。それでも人は分かり合いたい時にしばしばそういう穴に潜らざるをえないし、そうしなければ「何してんの?」に何も言えなくなってしまうのだろう。それを許してくれる場所のひとつとして劇場というものがあるのであれば、それは素晴らしいものだし何の問題もないじゃない。そんな感じで少しスッキリしました。

別にここで言ってる劇場は何に置き換えても通じそうな気もしてきます。生活からちょっと離れたすべての営みは、そんなに安易に分かり合える・通じ合える場所ではありえないけれども、だから意味がないと断じてしまう必要はきっとあんまりないのでしょう。

こんな話がぼんやりまとまる前にポツリポツリと嫁に話していたところ「まー芸術ってそういうもんだよね」とバッサリいかれましたが僕はそんなの初めて聞きましたのでやっぱ僕がすげえ馬鹿なだけだった可能性が残ります。それでもまぁ、そんな当たり前のことをハートフルな実感を伴って植えつけてくれた「春よ行くな」という芝居にはやっぱりとっても感謝しています。良いお芝居でした。以上です。