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嗚呼あの悪人も人の親

先日書いた文章がGWで自粛もしなくちゃで家でスマホをいじるくらいしかやることがないのか知らんが広く拡散されて沢山の人に読まれて、それでなんだか居心地が悪かったので書く。

俺は自分の書いた文章についての感想を割とねちっこく追跡するタイプなのだが、件の文章については割と好意的なリアクションが多くてありがとうございまーす。今から皆様に冷や水をぶっかけまーす。よろしくお願いしまーす。

いつも文章は一筆書きでほとんど推敲もせずにぱぱっと書くんですけど、先日の文章は「ちゃんと愛情をかけられてる子供ほど無防備で危なっかしいし、愛情をかけられてない子供ほどきっとびくびくして死や危険に敏感なんだろうな」というアンビバレンスな想像を起点に書き始めてみたものの、いつもの通り一筆書きをやっていたら、なんだか「子供は大事、子供を愛することは大事」なんなら「子供を持ち慈しむことは大事」に偏り過ぎててあんまりうまく出来には仕上がらなかったなというのが直感です。

それで、それは、俺の不手際だったのだけれど、思いの外たくさんの人に読まれてしまって「うんうん、わかるよ、私も子供が大好きで絶対守るよ」みたいな感想に偏り過ぎていて俺は大変な居心地の悪さを感じた。

ブラック企業腹立つわ、20代を擦り潰して殺すな、費用対効果最悪やぞ。

という気持ちに嘘偽りはないのだが、「子供を大事にする親」vs「ブラック企業」みたいな気持ちは全くなくて、むしろブラック企業を経営する人たちというのは一般的にすごく家庭人だろうとも思っている。

たとえば森喜朗だって身内から言わせりゃ「すごく家庭を大事にしてくれる、そんなに悪い人じゃない」らしい。それは、身内から見たらそうなんだろうし、家庭を身内を大事に健気に生きる我々だって、外から見たら森喜朗ほどではないにしろそれなりに邪悪なのかもしれない。

テキトーな漫画なんかを読んでるとなんかわからんけど義憤の一味に拉致された大富豪のお嬢様は大抵に「私のお父様がそんなはずはないわ」と叫ぶし、中学生の女の子をいじめ抜いて凍死させた子供の親はきっと「うちの子は悪くないです、あの子は変だったから死んだんでしょう」と言うだろう。

俺たちは何にどう心を動かされようと、それは俺たちの善性を担保しない。悪人だって自分の子供はかわいいし、自分の子供がかわいいと思えばこそ他人に対して冷徹な悪人にもなれる。

俺が文章を書くうえで人に投げかけたいのは、そういう人間の弱さであってつまらなさと切実さであって、身内以外にはどこまでも無頓着に冷酷になれる愚かさを知ることで、もう少しマシになろうよと一番下のゲのゲの下から、お窺いを立てたいんだよな。

俺は、子供が俺の子供だから大事にしてるけど、こいつが何かやらかした時に庇い立てする気は一切ないよ。何かやらかさない為に口酸っぱくケチをつけながら、こいつが俺から見て悪いことやった時に一切庇わない俺でいたいなと思っている。

ここらへんが、まあ俺の筆の未熟さがでかいんだけどさー、違う伝わり方で嫌だったんだよな。

エモい文章なんざ書こうと思ったらなんぼでも書けるんだけどさー、島田彩とか幡野何某とか最近賑やかだけど、やっぱエモい文章なんざわざわざ喜ばれると思って書くのは考えものだぜ。クソみたいな文章を書いていきたいもんです。

以上です。