あれはまだ2月だったか、野田秀樹が演劇への自粛要請への反論的な声明を出していて方々から非難を浴びていて、その時は俺もまだ野田秀樹を擁護する立場だったのである。他のどの業界もまだ事実上ものんびりのびのびやっていた時期であり(もちろん見えない先行きに誰も彼もがやきもきしていたことは間違いがない)、その中で「どうせ中止にしたって誰もそこまで困りはしないでしょ」って調子で劇場とかライブハウスとかばっかり自粛を要請されて、「ちょっと待ってくれよ、こっちだってそれで食ってるんだよ、そこで生活してる人間だっているんだよ」って話なんだろうなと思ったし、だからまあ外からは偉そうに見えるところもあったかも知らんが、俺は野田秀樹の発したあの声明を叩く側にはようならんかったな。
そして野田秀樹が叩かれてた時に、野田秀樹の過激とも取られる声明とそれに対する反感にTwitterでどうどうと中立を探していた平田オリザが今、このタイミングでオピニオンを発信してそれで怒られているのかはなかなか庇い立てがしにくく、なんつーか、苦虫を噛み潰すような面持ちの俺こと僕です。
野田秀樹が声明を出したあの時とは、4月も終わるあのタイミングでは何もかもが本当に違っている。野田秀樹の声明を拙速と非難することはできるかもしれないが、それで言えば平田オリザがあのタイミングで出したあのオピニオンはあまりに拙遅だった。困っているのはなにも芸術ばかりではない。誰も彼もが困っている。そういう局面に世界は差し迫っている。
その中で殊更に文化芸術の重要性、有意義性?を語ることになんの意味があるのか甚だ疑問だった。生産業への理解が足りないとかそういう話ではない。演劇業界では役者なんかは役者だけで食えてる人はきっとごく一部で、あとはたとえばわかりやすいところでは飲食とかそんなところでバイトもしながら食いつないでいるんだろうと思う。バイトの方もこの情勢だろうときっとままならないだろうし、大変なんだと思う。一方で、フリーランスとして大道具だったり音響だったり照明だったり制作だったりで色んな劇団の公演を同時並行的に支える人たちもたぶん少なくはなくて、本当に「裏方」としてそれ一本でやってる人ってのが世の中にはごく一部に存在していて、そういう奴らの口に糊する生活が自粛要請によって破綻することに心苦しくて、あんなことを言ってるんだろうなということも、まあ別に想像はつくのだ。
とは言え、とは言えだ。
そんな彼らを思ったとして、芸術や文化の崇高さを語るのが今するべきなのかが本当に俺の中で怪しい。
たとえば、今、困窮してるたこ焼き屋がいたとして(当然いる)、彼らは殊更に「たこ焼きは素晴らしい文化だから、たこ焼き屋を補償しろ」と叫ぶだろうか、叫ばないだろうと思う。「ただの飲食業」として、「もうちょっとどうにかしてくれよ」と叫ぶだろう。俺は、文化芸術の人らにも、叫びたいならそう叫んでくれよ、と思うのだった。
ここからは政治の話になるのだが、俺は、個人を救うやり方を探してくれよ、と思っている。職業の貴賎もなにも関係なく、困ってる人たちが生き長らえるそういう方向でやろうよ、と思っている。
俺は、自分の結婚式で、フリーランスの「結婚式専門のカメラマン」に発注して撮ってもらったんだけど、平田オリザは絶対そういうカメラマンのことを知らずに喋ってるんだろうなと思ったもんな。そういうのやめようよってすげえ思うもんな。
「みんな苦しい」ということを、どう解釈して、どう立ち会うかなんだと思う。それを実践する土壌が今全然ない。憎しみあうばかりで。苦しいな。
以上です。