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弱者へ提案、弱者から提案

あのー、例えばフェミニズムとかの昨今の話にはなるんですけど。

最近でもなんか色々あるねー、広告素材上等の胸の大きい女性が云々とか、医大点数操作が云々とか、AMっていうメディアが「女が2000万貯金しようと思ったらおっさんに奢ってもらえ」みたいなおっさんが書いた記事を公開して云々とか、まあいつも話題がてんこもりなので忙しそうだよね。

で、なんか僕もいい加減、いち消費者としては、そういう話題でツイッターで盛り上がってるやつらの床屋談義にはもううんざりだなーと思うところがあって、最近はあんまり見ないようにしてるんだけど。

それでもたまには見かけちゃうからさ、見ていて思うところがあったから筆をとったんだよねー。

言いたいことは大きく二つかな?二つくらいあってね。

まず、一つが、もっとみんな身の丈にあった範囲で差別に向き合いませんか?ってこと。

「身の丈」自体がまあまあNGワードなのは理解しててわざと言ってるんだけどさ。

たとえばSNSなんかではさ、あるジャンルの専門家の著名人がさ、自分の専門外の話題に言及してさ、馬鹿なことを言っちゃってさ、それで怒られがたくさん発生して、「やっぱ自分の専門外に出ると、どいつもこいつもダメだな、全然わかってないな」って現象が発生してる。

この感覚をもっと大事にしようよ、って思うんだよね。

医学部の点数操作の問題なんかはさ、まあ最悪だよね。

アレはハッキリと詐欺だよ。

せめてさ、男と女で定員数をこんな分配にしてますよって言っとけよ、と思う。女が医者になるための道を切り開く大変さは、男が医者になるための道を切り開くそれと比べると圧倒的に大変ですよ。とせめて言っとけよと思う。それ言わないのは受験費詐欺だから。ふざけんなよと思う。

そこは叩いていいと思うんだけど、それ以上のことはわからない。

実際に、医学部に受かった女性がどういうキャリア形成をするのかもわからないし、医学部に受かって男性の労働環境もわからない。

俺は専門家ではないからわからないんだよね。そこにある種の合理性があるのかないのかもわからない。

わからないことに、自分の視点で言及することがいいのかどうかもわからない。いや、あんまりよくないと思ってないとこんな文章書かないんだろうけど。

僕はそう考えるんだけど、世の中は、みなさんは、そういう話をするのに躍起だな、とは思う。男も、女も。

 

もう一つの話は、もう少しみんな、自分の強さを信じませんか?って話です。

多様性の話は、多い昨今です。

ただそこにあるのが、弱者としての多様性であることばかりなのが、僕には気になるところです。

世の中は非情にくそったれで、どうしようもない。それ自体は僕も感じているところです。

しかし、そんなことに絶望はしつつも、僕は希望を信じたいと考える人間です。

人間はこんなにくそったれじゃないはずだ、もっとまともな、隣人を愛せる生き物のはずだ、そう考える人間です。

そりゃあ僕の理想と、現実社会の乖離は、遠くに小さく見える山のように大きい。僕は、あの遠くに小さく見える山を登りたい。あの山の頂上に登ることを考えながら、生きていきたい。

そこに登るのは僕じゃなくてもいい。誰か一人がそこに到達してしまえさえすれば、なんだ登れるじゃんとどんどん登ることを僕は知っている。歴史が証明している。端的にいえば僕はその礎になりたいのだろう。

同じように皆が考えているだろうかと考えると、そうではなさそうなことは僕はとうに知っている。

誰も、自分の強さを信じてはいない。自分が礎になるとは思っていない。礎に立たせてもらう人以外には自分はなれないし、誰かに礎になってほしいとしか思っていない。

そう確信する僕は、この点において僕ははっきりと絶望している。

 

弱者としての多様性ばかりじゃなくてさ、強者としての多様性をみんなもっと信じられないかなと絶望しています。

お前らみんな俺含め、みんな虫けら並みに生きてるじゃねえか。てめえの領分をてめえで守ってなんだかんだ生きながらえてるじゃねえか。そこを卑下するなよ、て思う。

生きながらえてるその強さをかなぐり捨ててまで、ただの弱者であり続けるのかよ。

その強さこそがプロフェッショナルで、自分の持ち場を自分の言葉で語ることこそが、お前のやることじゃないのかよ、と思う。

僕はー、大学はー、文学部でー、ぬるぬると勉強をさせていただいたのでー、社会の役には立ちません。が、俺には俺の役目がある。そう思ってやっている。お前にも役目がある。誰にでもある。

医学部なんて知ったこっちゃねえ。知ったこっちゃねえことねえが、俺はその領域において門外漢だ。弁えたい。門外漢の医学部のことに怒るよりかは、文学部の俺が怒るべき俺の身の丈にあった範囲で怒りたい。

それは、俺と同じ心持ちを持った医学部の奴らが怒る、ほんの一助になるはずだ。

そういう風に、どうかひとつ考えることにはならないもんか。隣人のことを我が事のように怒るよりも、隣人も怒りやすいように我が事を我が事として怒るようになれないものか。

俺は、社会は変わらなくてはならないと考える人間がこれほど増えているにも関わらず、遅々として変わらない社会に着々と絶望している。

以上です。