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「警鐘を鳴らす」の言い間違え・「警笛を鳴らす」、なんか新語っぽくなってきてない?

まとめの内容はどうでもいいんだけど、久しぶりに警鐘の代わりに警鈴を鳴らしてる人を見かけた。

チリンチリーン。かーわいいー。

もともとの「警鐘を鳴らす」が仰々しい文脈で使われる言葉なので、対して「警鈴を鳴らす」という言い間違えはチリンチリーンとこじんまりしていて、そこに発生してるギャップがおかしくてとてもかわいらしく、見かけると微笑ましい気持ちになります。

せっかくなので他にも警鐘の代わりに警鈴を鳴らしてる人がいないか検索してみるとまぁまぁわりに出てくる出てくる。

 みんな大真面目な顔でチリンチリーンと警鈴を鳴らしていてかわいい。

 これなんかは「警鐘する」という言い間違いの更に言い間違えてるやつですね。「警鐘する」はたぶん「啓蒙する」とごっちゃになってるんじゃないかと思う。「警鐘を鳴らす」行為を「啓蒙」だと考えてる思想性が窺えるので独善的な雰囲気が滲み出てかわいいよりちょっと怖いよりになる。

とか見てると、そもそも「警鈴って何?」って人もいて、俺すごい自然に「自転車のベルでしょ?」と思ったんだけどそれを連想しない人もいるらしい。

調べてみるとアレの名前は「警鈴」ではなく「警音器」らしい。えー、小学校の頃普通にみんな警鈴って呼んでた気がする。気のせいかな?ローカルではそう呼んでたりする地域もある、とかのパターンないの?ちなみに僕は北海道です。これについては引き続き調査することにします。普通に僕の思い違いの可能性もある。うーん、みんな自然に警鈴警鈴言ってた気がするんだけどなー。

で、掲題の件です。

さすがに警鐘でも警鈴でもなく警笛鳴らしてるやつはいねえだろ、と思ってまたつぶやき検索してみたら、めっちゃいた。普通に警鈴鳴らしてる人より全然たくさんいそう。ただ、鉄道好きの人が本物の方の警笛についてつぶやいてる量が結構多いのでさかのぼって探すのけっこう大変だった。

ちょっと探してみただけでもこんなにもたくさんの人達が警笛を鳴らしています。

あんまりみんな自信満々に警笛を鳴らすので俺の方が無知なんじゃないかと不安になってくるレベルです。

不安になってちょっと調べてみても言い間違いなのは間違いなく、「警笛を鳴らす」なんて言葉は本来ございません。

ただ、「警笛を鳴らす」人たちの警笛の鳴らし方を見てると、本当は警鐘を鳴らしたかっただけの「警鈴を鳴らす」人たちとは、ちょっとニュアンスが違ってるふうにも感じられるんですよね。いや、もちろん、明らかに警鐘鳴らすところ間違って警笛鳴らしてるだけの人もいるんですけど、警鐘の代わりに警笛を鳴らそうとする人たちは、社会全体に対して警鐘を鳴らすというよりかはある一定の属性を持った個人ないし集団に対してあえて警鐘ではなく警笛を鳴らしてるフシがある。

こんなんとか。

こんなんも。

これもそう。

こんなんこんなん。

極めつけはこれ。

 

「誰かの警笛になれば」はもはや警鐘の言い間違いではないですよね。たぶん出発点は「警鐘を鳴らす」という言い間違いだったんでしょうけど、警笛という言葉のイメージに引っ張られて、もうわざわざ警笛を鳴らす人は警鐘のように社会全体を対象として注意喚起しているわけではないっぽい。世の中の多くの人には関係のない警笛を、その警笛を必要としている狭い範囲の人のために、彼らは警笛を鳴らしてるっぽい感じがする。

で、そう考えると、彼らが警鐘じゃなくて警笛を鳴らし続けてるのもなんとなくニュアンスはわかる、というか、むしろこれからの時代は警鐘は警鐘で鳴らすとしつつ、警鐘ではなく警笛を鳴らした方がよりしっくり来るシーンってのが結構多かったりするんじゃねえかなと思うんですよね。

そりゃ、本当にみんなが勝手に思い込んで信じ込んで当たり前だと思ってることはまだまだ世の中にたくさんあるでしょう。そういうのには引き続き警鐘を鳴らしゃあいい。

けど、一方で、多様化の時代です。みんながみんな同じことを考えているなんてありえないってのは誰もが理解していることでしょう。で、そんななかで同じ思想・同じ価値観を持った人たちがネット上で共鳴しあって肩を寄せ合って自分たちの正しさを確認しあってどんどん先鋭化していって、尖った思想の集団を形成するなんてのが最近のトレンドだったりもします。そして、そういう人たちに注意喚起しようと思ってうっかり警鐘なんか鳴らしたら「そんなやつら世の中のごくごく一部だろ、世の中の大多数の人間はお前の注意喚起なんか言われなくたってそうは考えてねえよ、大げさに警鐘なんか鳴らしてるんじゃねーよバーカ」と石を投げられかねない現代です。

ってなると、一部の、その注意喚起を届けたい人たちだけにのみ鳴らすものとして「警笛」ってのはわりとしっくり来るわけですよ。そんな感じでこの「警笛を鳴らす」って言葉は今後も使われてくんじゃねーかなーみたいな。ほんで、警鐘じゃなくて警笛を鳴らした方がしっくり来るシーンってのは今後5年10年かけて減りはせずとも増えてく一方だと思うし、そしたらどっかのタイミングで他のいろんな言葉と同じように「もうそういう意味で辞書載せちゃう?」ってなりそうな気もする。また5年後10年後が楽しみになりましたね。よかったよかった。

全部僕の妄想です。何もなかったらそのままスッスッスーと忘れられて、もし本当にそうなった時に「ほら!言ってたし!俺2019年の時点で言ってたし!」って言えるずるいやつです。

あと、全然関係ないけど、警鐘鳴らしてるツイートも、警鈴鳴らしてるツイートも、警笛鳴らしてるツイートも、みんなびっくりするくらいRTされてない。全っ然鳴り響いてない。以上です。