読んでいて、考えた、とりとめのない話をします。
上の記事ではリアルの世界とインターネット世界という二つの世界が近頃シームレスで今後ますますシームレスになってくるだろうと思われるのでとりあえず東京シームレス音頭を作ってみんなで踊ろうという提案をしています。東京シームレス音頭は何せシームレスな音頭ですから順打ちにあわせて踊ると憂いを湛えてお耽美ながらも情熱的な人間賛歌的な踊りになりますが裏打ちにあわせて踊ると陽気ながらも無機質で踊り手の顔がどこかボヤけて見えるデストピア的な風景を感じさせます。このままもう2000字くらい東京シームレス音頭の話を続けて世界観を確立することは可能なのですがそれをやると完全に最初しようと思っていた話を忘れるか「もういいや」という気分になることが予想されるので切り上げます。
今後ますます二つの世界をシームレスにしそうなインターネットアイテムとしてチェコ好きさんはAppleWatchみたいなものを挙げてるわけですけど、アイテムて! たぶんゲームの中の言葉として初めて出会った影響だと思うんだけどアイテムって言葉の響き糞ダサいですよね。昔、高校生の時にぶらっとラーメン屋に入ってメニュー表を見たらトッピングのことを「アイテム」と記載していてめっちゃ笑ったんですけど、追加アイテム:メンマ100円とか書いててめっちゃ笑ったんですけど、アイテム欄からメンマを選択するとHPが回復するぞみたいなことを考えてめっちゃ笑ってたんですけど、きっとラーメン屋の親父は俺が何をそんなにケタケタと笑っているのか一切わからなかったと思うんですけど果たして狂っているのはトッピングをアイテムと呼ぶ親父なのか俺なのか。今となってはそれは誰にもわかりません。
つながる先がインターネットじゃなくて恐縮なんですけどAppleWatchなんかよりよっぽどシームレスのヤバい感じ出てるやつもうあるだろと僕はそれを読んで思って、あのーイヤホン?インカム?で電話するのってここ数年でどんどん一般的になってますけど、あれヤバくないですか? 駅とかで一人で歩きながらハキハキと喋っている人とかアレ一瞬ギクッとしませんか? 僕はギクッとするんですけど、ギクッとした僕がそいつを見やると耳に何かつけてるので、「ああなんだ電話してるだけか」と思って一安心するんですが果たしてそれは本当に電話してるのかなんて僕には確かめようもないということを忘れてはなりません。というか、ややこしいのは一昔前で考えると一人で何かハキハキと喋りながら歩いてる奴っていうのは別に昔からいて、そいつは本当にヤバいやつであることが大概なんですよね。というか、そっちのタイプのヤバいやつも別に今でもなんぼでもいるんで僕はギクッとするわけですけど。で、電話してる奴についても本当にヤバいやつについても「ここではないどこかの何かと交信中である」っていう点では全く同じなんですよね。
野田秀樹という劇作家が好きでよく観るんですけど、彼の作る物語にはしばしば二つの世界を行き来する人物というのが出てきて、実際に行き来する場合もあれば幻視する場合もあって色々で、兎に角そういう人物がキーになって二つの世界で起こる別々の物語が一つの物語に収束していくみたいなパターンが割りによくあるんですけど、このキーになる別の世界を幻視する存在というのは物語のなかでしばしばビョーキ扱いを受けるわけですね。そりゃそうだろうと思うわけですけど、他の人はそいつが見ている別の世界の存在なんてまったく了解していないのですからビョーキだと思うのは仕方のないことだと思うのですけど、そのあと物語が進むにつれて実際にその世界はあってこっちの世界と影響し合ってる、同じリズムやルールや思想が通底に流れていることを理解した他の人物がそいつの幻視する風景を知りたがるみたいなそういう展開に後々はなるわけですけど最初は今ここ以外を見ているやつはビョーキだって話になりがちなんです。現代においてもこれは同じで、こっちの世界と影響し合ってる、或いは実は地続きであることが社会的に了解されているものに関しては、電話の向こうにしろインターネットにしろシームレスに交信して差し支えないものだと認識して受け入れられて、そうではないどこかようわからんところと勝手に交信してるやつに関してはまあやっぱりビョーキと見做されるわけです。
そこの境目ってどこなんだろうというか、これほんと僕の中でも全然まとまってない話なんで結論とかないんですけど、複数の世界を同時に生きることをお互いに許容してる現在なんですけどそれを結構フランクにノリであんま何も考えずにこの交信はセーフあの更新は微妙とか分別してるんだけどそれってどうなの?どうなのもないんだけど、なんかヤバいよねとか思うんだ。このヤバいっていうのは別に脅かすような警鐘のニュアンスで言ってるわけでもなく、チェコ好きさん同様に結構すごい時代に生きてるよねのニュアンスに留まるわけですけど、例えばハキハキと快活に喋りながら一人で歩いてる人。イヤホンなんもつけてなかったら「あれ、この人ヤバい人かな」と思うし、イヤホンつけてたら「ああなんだ電話をしている人か」となるわけですけど、そのイヤホンの向こうに生身の人間がいる保証はないわけだし、もっと言っちゃえばイヤホンの向こうに生身の人間がいたとしてもそいつがヤバくない保証もないわけじゃないですか。エレベーターを待っていたら二つ同時にチンと開いて、片方にはイヤホンつけて一人で喋ってる人が乗ってて、もう片方にはイヤホンつけずに一人で喋ってる人が乗ってて、さあどっちに相乗りしましょうかって考えた時、それはどっちが安全かわからないですよ。イヤホンつけてないヤバそうな人がよくよく聞いてみたら「美空ひばりさん、私は人生で挫けそうな時はいつもあなたの歌う東京シームレス音頭を聞いて勇気づけられています。いつも本当にありがとうございます」って言っててヤバいんだけどまぁ無害だなって感じで、逆にイヤホンの人の言ってることを聞いてみたら「え、もう二桁も殺したの?くっそ~負けないぞ~」って言ってる可能性もあるわけじゃないですか。そいつはたぶん生身の人間と喋ってるけどそいつの方がよっぽどヤバいよっていう。まぁ、正解は「乗らない」です。
お金はみんな価値があると思ってるからお金なんだって話と似てるのかな似てないのかな、その世界の存在をみんなが了解しているのなら複数の世界を同時に生きているのは別に普通のことなんだってなってるけど、その世界が普通かどうかなんてわからないよみたいな。あとは、自転車乗ってる奴が音楽聞いてるのか補聴器なのか傍目からはよくわかりませんみたいな話とか。なんかそこらへんと似たような何かに、気持ち悪さでもないんだけど、まぁザックリな言い方をすると関心がありますよね。ザックリすぎるだろ。でも別にそれってイヤホン電話とかAppleWatchとかに限った話でなくて、別にビョーキじゃなくたって、複数の世界を同時に生きているのは今に始まったことじゃなくてズルくて極端な言い方をすれば、そも【僕が生きていてあなたも生きているこの世界】と【僕が僕の視点で見て参加しているこの世界】って微妙にズレてるわけじゃないですか、ラーメン屋の親父は僕がメンマ齧りながら魔王の城を目指す勇者だとは露とも思わないわけじゃないですか、その時点でちょっとやっぱズレてるんでそういうズレてることがインターネットというものすごくズレてる世界の出現でわかりやすくなったってだけの話かもしれないですよね。
繰り返すにこれは別に警鐘でもなくて、そういうもんだけどそういうもんがあまりにアリになるのもなんか変だから変だなぁくらいは思っとこうねってだけの話で、もちろんそれが一概に悪いこととは言えないから、例えば東京シームレス音頭の楽譜を写した透明のプラスチックの下敷き、これを東京ディズニーランドの地図に重ねると音符をなぞって結んだ線が地下道の見取り図になるんですね。東京シームレス音頭というこの世界にはない別の世界の美空ひばりの名曲をこっちの世界に持ち込むと東京ディズニーランドをもっと楽しむことができるんです。そういう風に、自分の考えることにしても、インターネット世界にしても、また別の世界にしても、それをそうやって今の世界に重ねてやることでもっと違った見え方になるのだろうみたいなイメージが僕の中にはあって、だからまぁそれは良いことでもあるんでいいんだけど、一概にいいこととも言えなくて、例えば東京シームレス温度の楽譜から浮かび上がった地図も表打ちの部分を辿れば楽しい楽しい隠しアトラクションに行きつくんだけど、裏打ちの方を頼りにすると地獄に辿り着いちゃったりとかそういうこともあるだろうと思うので、二つの世界を重ねてやる時はそういうことを踏まえた慎重さも大切だろうし、重なり合って見えた一枚を世界と思っちゃいけないぞ、それは色んなものが重なった結果であって重ねる前はそれぞれどうなっていたのかっていうのを意識しとかないとそれって危なっかしいよね。今後危なっかしさはどんどん増していく一方なのだろうけどみたいな、なんかそんなことを考えちゃうんですよね。
元記事たぶんあんまこんな話はしてないし、俺自身書き始める時こんな話をするつもりじゃなかった気もする。まぁいいや。あと東京ディズニーランドは千葉です。以上です。