じゃー、たぶんあんまり伝わらなあ話をしまーす。
言葉は、大事にしたいよね。
言葉を大事にするってなんだろうって考えた時に、ひとつの側面としてまず何よりどうしたって「伝わる」ってことが大事だなと思っていて。ネットの僕しか知らない人とあと家族と親戚は、むしろ真逆の「こいつ何言ってるかよくわかんねえな」的な印象しか僕に対してないかもしれないけど、それはもうプライベートだから、なんで俺がお前らがよくわかることを喋ってやらなくちゃならないの?と思ってる節があるからで、そこから逆算すると「伝わる」ように喋らなきゃって言うのは、僕のしごと観なのかもしれない。
僕は、伝わるように喋らなくちゃな、と、とてもいつもよく思っている。それは普段やってる仕事が決して利害が一致するとは限らない両者のあいだに立ってなんやうまいこと収めるような仕事をしているからなのかもしれない。
察しの良い方はもうわかりましたね、そう、私の職業は、アシカショーのアシカに食われるイワシです!!
みたいなことしか言わないのでネットでは誤解されがちなんですが、普段は、ちゃんと喋らなくちゃと思って生きているんですね。
言葉は伝わらなきゃ意味がない。
伝わらない言葉はどれだけその言葉で自己主張できた気になったとしても結局自己満足なんです。そういうことを、いつも考えている。
例えば、トレードオフという言葉があって、ニュアンスが細かいので便利ですけど、いかんせん知名度が低いですね。年代によっては知名度どかんと減りますね。じゃあ年配には恐る恐る使う。まぁ、それだけの話ではあるんですけど。全く同じ話をしている。相手の年齢が違うだけです。「ここはトレードオフですね」と言うべきところ、相手がおっちゃんでそこまで話した感じトレードオフって言って通じるか通じないか怪しい時、僕は迷わず「あちらを立てればこちらが立たず、みたいな感じですね」とか言うんですねトレードオフと言わずに。
例が陳腐ではありますけれど、そういうふうなことを心がけることがどれだけ役に立っているのかは実際わからないのですけど、僕のなかでここはちょっと譲れないというか。大事にしたいところではあるんですずっと。
伝わらなけりゃ意味がないし、伝えたくないことまで伝えたくはない。
例えば、話の腰が折られるのも嫌なわけです。僕が何か喋ってる時に「今のイントネーションおかしい、やっぱ君、普段はわかれへんけど北海道民なんやな」とか言われるのすげえ嫌だ。それは自分が実は北海道民なのが嫌なのじゃなくて「いや、今そんな話してへんやん」ってなるのがただただ嫌だ。変なイントネーションが出たのは自分の責任だけど、そんな今言いたいかね、とその話を振る人にも思う。と思ったところで、その他人を責めたってどうにもならないわけで、結局自分を変えるしかない。そういう風に自分は生きている。
つまりまー僕は、郷に入っては郷に従えというか、どう郷に従順したところでおまえはおまえでいたらいいだけだろ、くらいにしか思ってないんですけど。僕が擦りむいた膝小僧に貼ったのは絆創膏か、カットバンか、バンドエイドか、なんてことは、僕が決めることじゃないんですよ。相手がどれを正解と思っているかが何より大事で、それを先回りして適応することこそがコミュニケーションで、相手に通じない正解なんざ意味がないし、それを自分のステータスにしようなんざもってのほかだと思って生きてるわけです。
で、そんな調子で生きてるんですけど、たぶんなんか嫁と子供の話をしていたんですね。今はお母さんのおっぱいと粉ミルクしか飲まない、「生まれるの早すぎただろ」としか思えないクソ雑魚の三ヶ月の息子が家にいるんですけど、こいつもまーそのうちは飯とか食うんだなって話をしてる時に。
僕言ったんですよ。
「子供の頃はマックとかすごいおいしかったよねー」って。嫁に対して。
言った後にすごい、びっくりしちゃって。
ここは、関西、大阪、なのですよ。マクドナルドは、関東ではマック、関西ではマクドと呼ばれてるのですよ。
当然、自分は、会話を円滑に進めるべく、関西に移住してきてからは、「マクド」と呼ぶのが正解として、それを身体に染み込ませて生きてきてたわけです。僕はだって、僕はなんのこだわりもないので普段ここは人に合わせる。関西の「マクド」と呼ぶ人と一緒にいる時は「マクド」と言うし、関東の人といる時は「マック」と言う。どっちでもいいんだ、ただ自然であればそれでいい。それでも「マック」と言った時に関東の人と会った時に「あれ?関西なのにマックなんですか?」と言われることもないではない、まぁそういうイレギュラーもあるにはあるのだが、何よりここで大事なのは、俺は関西に住んでからとんと「マクド」と呼ぶことに徹していたということだ。
にも関わらず、思わず京都の出の嫁に言ってるのだ。
「子供の頃はマックとかすごいおいしかったよねー」って。
これすげー無意識だったのね。何の意識もない。じゃあ何の意識が残ったのかというと記憶なんだろうね。だって、おれはもともとマックと呼ぶ地域の人間なんだから。北海道。
普段はマクドと呼ぶのが当たり前の土地にいるからマクドと呼んでいる。ただ、それが「子供の頃」という記憶と共にマクドナルドのことを思った時にマックという言葉が口をついて出た。長々ダラダラ書いてきてなんと僕が今日みんなに教えたかった大ニュースってこれだけなんですよ。これだけなんですけど俺の中でなんかすげえ「うわっ」てなって。なんかわかんない気持ちになったんですよ。ちょっと、「寂しい」みたいな気持ちもあったかもしれない。なんでかはわからない。ああ、俺今はマクドって呼んでるけど昔はマックって呼んでたんだよなってことに、なんかすごい思えば遠くに来たもんだ的な。そういうものを感じてさ、なんか「すげー」って思ったんだけど、絶対伝わってないでしょこれ。「いや、好きにマックって呼べよ」みたいな話じゃなくてねこれ。あと伝わりやすさの話に戻るとアップルのマックとややこしいから全国的にマクドナルドはマクドと呼んだ方が効率的だと思う。以上です。