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I have a radio.

ツイッターで、ブログ書きたいから、なんか書くお題くれ、って言ってたら、「ラジオについて書いてくれ」ってのがあった。

なので僕とラジオの話をしよう。

大学浪人してた時、勉強する以外死ぬほど暇だったので出会い系をやってたら、年齢でいうと一つ上の女の子と知り合った。地元の糞田舎が死ぬほど嫌だったのでなんの計画性もなく都会に出てきたものの別にいいことなんか一つもなくて、いつも死にたい女の子だった。うっかり風俗に堕ちてしまった、ものすごくありきたりな出会い系にいがちな女の子だった。

僕はその子の死にたさにめっきり当てられて、こんなに他愛もない子が死にたがってるのは良くないと思って彼女に死んでほしくないなと思った。僕にできることは何もないけれど、彼女の生きる活力になればと思って、彼女から送られてくる死にたいメールにあっけらかんと面白おかしく返事をしようと僕はいつも躍起だった。僕は死にたいと思ったことなんか一度もなかった。

僕は良い大学に行くために良い予備校に通う必要があって、だから僕は都会に出ていた。彼女には彼女の論理があって彼女の身体は都会にあった。だから、僕らは必然やがて顔を会わせることとなった。

喫茶店で顔を会わせた彼女はなるほど、死にたそうだった。

たぶんやろうと思えばやれたんだろうなーということは今でもわかるが、それって彼女の死にたい理由をよりくっきりさせることにしかならないだろうし、じゃあ口説いちゃ駄目なら俺はどうすりゃいいんだ。俺は困った。

困りながら、俺は喋った。世の中捨てたもんじゃないよと言いたかった。だけど、それはそのままに言ったところで伝わるわけはないから、俺はただ只管に喋った。喋り続けた。今でも、あんなに喋ったことは、後にも先にもあの時だけだと思う。

彼女はつまらない人だった。こっちがいくら面白いことを言っても「へー」とか「あはは」とか、一つも面白いことなんか返ってこない。期待されたことなんかないんだろうなと思った。だから、僕は彼女の力を借りずに、一人で、ただ彼女を楽しませようと思ってただ喋った。

喫茶店でたぶん4時間くらい喋ってたんじゃないかと思う。僕はあの時、間違いなくおかしくなっていた。意地になっていた。彼女をただ楽しませるために、それ以外の意味が何一つ存在しない場所に、あの喫茶店をそういう無意味なものにしたかった。

小学生の時の話もしたし中学生の時の話もしたし高校生の時の話もしたしおばあちゃんの話もおじさんもおばさんも、全部、話せるだけ話した。僕はただ喋り続けた。

彼女は僕の話にコロコロと笑いながらたびたび言った。

「すごい面白い、伊集院さんみたい」

そりゃそうだ。僕は伊集院光のその話しぶりを真似てずっと喋っていた。

彼女と僕との数少ない共通点は月曜深夜の伊集院光のラジオを熱心に聴いているということだった。

伊集院光のその深夜ラジオは、ただ一人でただ喋る。笑い声を添えるだけの放送作家はいるものの、喋るのは伊集院光ただ一人。

彼女がそれを面白く聴いているのは僕も知っていて、僕もそれを面白く聴いていたので、僕は彼女を楽しませるために伊集院光の真似をすることに全神経を集中した。

話す内容はもちろん僕の話だ。僕にあったおもしろエピソード、僕に話せるのはそれだけだ。それを、伊集院光のやり方で喋ろうとする。もちろん今までそんなの試したこと一度もない。ひとりっきりで、なんの援護もない中で喋り続けるなんてその時までやったことなかった。

彼女は本当にそれを喜んでくれた。

「本当に面白い、伊集院さんみたい、お金とれるよ」

とか、そんなつまらないことを言ってくれた。

俺はだって伊集院さん以外に一人で喋り続ける方法を知らなかったからそうしただけで、伊集院さんを真似てる自覚はバリバリにあったのだけど、「そんなに似てる?普通に喋ってるだけなんだけど」なんて言っていた。「やっぱ聴いていたら似ちゃうのかな」とか言っていた。僕は、僕一人の力で誰かの時間を楽しい時間にするだなんて伊集院光のやり方以外に知らなかった。それがどれぼど不細工でも、僕にはそうするしかなかった。

やれるやれないの話で言えばたぶんやれたんだけど、僕はやろうとはせずにさんざん「面白く喋る人」をやって、彼女と別れた。彼女は「こんなに笑ったの初めて」と言った。それが嘘か本当か考えることを僕はずっとやめている。

それから彼女はしばらくして死んだらしいが、彼女が死んだことを、ちょっと出会い系で知り合って付き合ったわけでもやったわけでもない僕が、彼女が死んだことを知れたのはまぁ幸運なのかもしれない。

僕にとってのラジオが何なのかと言われるとよくわからない。思い出すのはこの話ばかりだ。俺はラジオのお陰で人を笑わせることができた。ただ、その瞬間を笑っていさせただけで、その後のことをどうこうはできなかった。

向こうからしたらまったくの他人事で全部お世辞で、俺の話はすげえつまらなくてうざいだけだったかもしれないか。今でもたまにそう思う。思えば思うほどそれは確信に変わりそうだ。

それでも俺は、あの時のことを思うと後悔しきりなのだ。あともう少しだけ俺が面白ければ。本当にそう思ってしまう。

 

そこらへんの話からずっと向こうの未来の話、いつだったか伊集院光デビット・リンチの絵をなんとなく気に入って買おうとしたらその絵のタイトルが「I have a radio」だったのでえらく興奮したみたいな話を、ラジオという仕事にえらく熱心な伊集院光が熱っぽくかつおもしろおかしく語っていて、僕はその話を爆笑しながら聴いていて、同時になんだか泣いていた。